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給料は仕事の大変さと等しくないけれど



一般的に販売職、介護職、事務職、養護教諭の方の給与は、激務な割に低いと思わないだろうか。

あんなにも激務なのに、労働に見合った給料が支払われていないことに対して、わたしは声を上げ続けたい。

激務な人にこそ、給与と待遇を良くして、労働環境の改善を図るべきだと思っている。

給料が高いと許せることって沢山あるから。

その給料で求めすぎだろ?


わたしは学生時代、
男性オーナー一人とアシスタントの女性二人で構成されている美容院に通っていたことがあった。

その際、雑談の流れで「働く人に求めることとは」という話になった。


「やっぱり気が利くことかな。例えばカフェならもう終わっているカップがないか気を配り、水を注ぐタイミングを測る。こういう美容院だったら、髪の毛を乾かすのにしたって色々やりようはあるよね」

と言う感じで、たぶん10分ほど話が続いた。

「こういうことは一言で言うと『気遣い』と表現されるけど、こういう『気遣い』が出来る子の居場所はいつも温かいだろうね。居やすい環境になるんじゃないかな」


かつてのわたしは笑顔で聞きながらこう思っていた。

「月給15万程度しか払えないのに、レベル高いこと求めすぎ。自分は給料を上げる努力をしないで、部下にそんなハイレベルなことを求めるなんてアンフェアじゃん」と。


でも今思うと、給料安い高いは置いておいて、そういう気遣いを学んでおいて損はないよな、とも思うのだ。

そして、給料が安いことを理由に、仕事に手を抜いても良いだろうと思っていた自分を少し安直に感じる。


上司目線で考えると、そういう『気遣い』のできる後輩の方が贔屓したくなるし、仕事も優しく教えたいと思うだろう。

給料は低いかもしれないが、気遣いが出来る人は、絶対人から好かれる。

指名されるようになる。



そして、その現象と対になる事象もある。


給料が高くとも、それに見合った結果を出さない人もいる

仕事の内容は難しく見える。字面だとすごく難しく感じる。

イメージとしては難しいと思われがちな仕事だが、実は手を抜いてもバレないようにする人も居る。

蓋を開けてみると「え、これだけしかやってくれないの?」と釈然としないが、世間的に見ると「かっこよくて優れた」仕事に感じる。

そういう現象って残念ながら、世の中にはある。


実は、80%で終わらせてきたこともあった


少し抽象的な話になるが仕事をしていると、「ここまでやれば合格点」というラインがうっすら見えてくる。


形だけ作って後はさくっと片付ける。

でも、手を抜いている人と100%本気で仕上げた時の差は歴然としている。
例えば社内で発表する資料とか。

痒いところまで手が届く仕事をしている人って、結局評判が評判を呼んで、本人がアピールしなくても評価されるのだ。

わたしはコンサル営業をしていた時がある。


大体それを言うと皆「難しそうだね!」「激務でしょう!」「そんな中成績が良いなんて努力してるんだね!」と言ってくれた。

でも違う。

実は80%くらいでやっていた。
手を抜くことばかり上手くなる自分が少し苦々しく感じた。

資料のプレゼン発表会などで、実は優勝したことはない。

しかし、営業成績はずっと良かった。


なんでかと言うと、全て100%で仕上げる必要はないと気づいていたから。

だから、社内のプレゼン発表など、自分の成績に直接結びつかないことには本気で挑まなかった。

情報だけ営業から取りたい取引先には、力を注いだ提案資料は作らない。
相手が欲しい情報だけ最低限与えて、線引きはしっかりする。
受け答えだけ愛想良くしておけばOK。
商談をすることで満足する企業も多いと分かっていたから、そんな手の込んだ資料は作らなかった。

確実に契約が取れると思う企業には100%の力を注ぐ。即レスは当たり前。


そのメリハリのつけた営業スタイルは一定数評価された。

でも、今思えばプレゼンなどで資料を一生懸命作ったり、グラフを幾つも組み合わせて作り上げたりすることは、絶対自分にとってプラスになっただろうに、と思う。



100%で仕上げる心って、不思議と相手に伝わってしまう。
もしそこまでやり切っていたら、もっと見える形で還元されただろうな、と思う。

だから、下手に賢くなって立ち回りだけ上手くなるより、一生懸命物事に取り組んだ方が良い、と思う。

手を抜いた後のしっぺ返しって絶対あるから!

よしもとばななさんは著作でこう語っていた。

ベッドカバーを替えるのを仕事にしている人がいるとしますね?


例えば、あなたがベッドカバーを替えるのを仕事にしている人であるとしますね?
あなたには不幸なことがあり、むしゃくしゃしていました。
あなたならどうベッドカバーを替えますか?

①ちきしょ~、知ったこっちゃねえよ、ベッドカバーなんて。適当に替えておこう。
②何も考えずにさくさくやる。
③ここに寝る人が良く眠れますように!という思いを込めて替える
④面倒くさいな、でもキチンとやっておけば眠る人もやった自分も気持ちいいしね!

「気」が良いのは③に見せかけて④です。
そしてほんとうに不思議なことに、④の人は必ず人気があります。
人には必ず伝わります。黙っていることを相手には分からないと思ったら、大間違いなのです。

よしもとばなな著「嵐の前の静けさ どくだみちゃんとふしばな4」


ちなみにわたしは②。
自分がむしゃくしゃしているのとベッドカバーの持ち主には相関関係はないし、何も考えずにさくさく終わらせちゃう。

今思い出したけど、あまり喋らなくても不思議と人望がある上司、④だ。
間違いない。


何が言いたいのかと言うと、人のために100%に近づけようとして奮闘していることは、必ず実を結ぶ。
相手に伝わるし、指名されるようになる。

映画やドラマでもそうだ。

あんまり面白くなかったな、という作品はクリエイターが『まあここまでで良いでしょ』と思って「こなしている」。
役者が本気で挑んだ作品は、画面越しでも伝わってしまうものだ。


作るからには100%を目指そう


いま、わたしは完全に趣味で記事を書いている。
採算を取る気はないし、いまは訓練期間と言うか、コツコツ文章を書く期間だと分かっている。


今後インタビュー記事にも挑戦してみたいな、なんて考えている。


だから、どうしたらスキルアップするのかを一生懸命考えている。

文章を書くにあたって、自分の中で使える表現を心のタンスから引っ張り出したり、この表現は冗長だから削ろうと思って添削したり。

文章を書くからには、100%でこの世に出したいと思っている。


みんなが、なんとな~く心で感じていたことを明文化した文章を書きたいのだ。

「そう言ってる人は居ないけど、わたしもそう思ってたの!」と言わしめることがわたしの夢だ。

だから、文章を書くことに関しては「ここまででいいよね」と自分で臨界点を決めることは絶対しない、と自分に誓おうと思う。


給料は仕事の大変さと等しくないけれど、頑張っている人は、いつか評価される。


これは理想論ではなく、確信に近いものだ。

世の中って上手く出来ているのだ。

それを証明する方法をわたしは未だ持たないけれど、この考えを自分の支柱にして、これからも歩んでいきたい。




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