人間関係は鏡(最近の気付き色々part.2)
ついこないだも「最近の気付き」
的ことを書いたばっかりな気がするので、
パート2と題しまして。笑
・世界を見つめる視線
好きな人に撮られた写真の自分が一番可愛い、
とはよく言われることだけれど、
そういう時って撮っている側も
こちらのことを好きとか素敵とか可愛いとか
そういう好意を寄せている場合が多いわけで、
そうなってくると
写真が上手いか下手かっていうのは、
撮っている側がレンズに写っている世界を
どんなふうにポジティブに
好意的に捉えているかということに
かかってくるんじゃないか、と
最近思ったんですよね。
まわりの世界に対して
全面的に好感を持っている人の写真は
やっぱりキラキラして見えるし、
自分のまわりの世界を
ネガティブに捉えがちな人の写真は
やっぱりどこか暗い印象がある。
それは、カメラの色味とかフィルターでは
どうにも隠し切れないことのように感じる。
その人の人となりを知らなくても、
撮った写真の雰囲気や
撮られた写真の中の被写体を見るだけで、
その人が自分のまわりの世界を
どう捉えているかってことは、
わりと分かってしまうような気がするのだ。
写真は、カメラの性能やフィルターじゃない。
そういう物理的なことよりも、
どのように世界を見つめているか
ということのほうが写真に大きくあらわれる、
と私は思う。
・「だからなに?」マインドさえあれば
私は韓国アイドルが大好きで、
彼女たちに絶大な憧れがあります。
例えばなんですが、
そんな彼女たちと同じような格好をして
私が街を歩いていたとして、
それを見た他の誰かから、
「いい歳なのにあんな格好してて変だね」とか
「自分のことアイドルだと勘違いしてない?」とか
「私にはそんな格好絶対できない!」とか
そういうことを直接言われたり、
直接言われずともそう思われていて
陰で笑われていたとする。
(実際に私はアイドルみたいな格好をして
街を歩くことは余裕であります笑)
で、そういう発言をされたり
裏で笑われたりしていることに気がつくと
(気付かずとも勝手に被害妄想してる人も含め)
いちいちそれに傷つく人もいると思うんだけど、
私のマインド的には、
こちらがそれを一切気にしなければ
それはそう思った側の負け、というか、
嫌味に対してわたしが「?」となれば
その発言は無効になるというか、
そんなふうに考えておりまして。
だってこれって、
私が「だからなに?」と言ってしまえば
それで最後なんですよ。
この話はそれで終了。
変だから何?
私が自分をアイドルだと勘違いしているから何?
あなたにこの格好はできないから何?
私が楽しそうにしているのを見て
何故あなたがもやもやしているかは
よく分からないけれど、
私は私の好きなように
楽しく生きているだけですから、
あなたの見下しや嫌味は私には届きません。
そんなマインドで日々生きている。
裏で嫌味を言われていたとしても、
勝手に見下されていたとしても、
それは向こうの人生の出来事であって、
私個人とは一切関係ないことなのだ。
私はそういう、他人の何か言いたげな視線や
含みを持たせた発言なんかは
全て華麗にスルーして、
好きなことをして生きていくと決めています。
見下したければ、バカにしたければ、
嘲笑いたければ、どうぞご自由に。
こちらが楽しく生きているという事実は
私がそう思っていさえすれば
一ミリたりとも変わらないのだから。
そうやって
日常の余計なノイズを意識して削ぐことで、
快適で豊かな生活を送れるようになると思う。
逆に言えば、
見えないはずの他人の視線を気にしたり、
なんとなく自分のことを悪く言ってる?みたいに
勝手に悪いふうに勘繰っているうちは、
絶対に人生楽しめないぞ、と思います。
大体、こんなことを書いたけれど、
実際問題私のことを見下すような人自体
周りには全然いないわけで、
もしも万が一
私を見下すような人がいた場合には、
「だからなに?」と思って生きていれば
こちらは無敵なんだよ、という
自分による自分のための備忘録でした。笑
・優先順位を付ける
例えば将来のためにお金を貯めなきゃとか、
キャリアを積んでおきたいとか、
それってもちろんすごく大切なことだと思う。
でも、
節約のために今本当に食べたいものを我慢して、
将来を考えて今やりたいことをやらず、
時間がないと言って会いたい人にも会わずに、
果たしてそれを素晴らしい人生と
胸を張って言えるのだろうか?と思うのです。
数年後には
食べたくなるものなんか変わっているだろう。
やりたいことだって変わっている。
会いたい人はいなくなっているかもしれない。
先のことを気にしすぎて
「今」を蔑ろにしていると、
結局いつまで経っても「今」を生きられない。
今を蔑ろにしていると
結局今の自分は不幸なままで、
そういう今が続けば
結局未来もずっと不幸なままなのだ。
将来のため、キャリアのためと
言い訳を練ってだましだまし生きるよりも、
バランス感は大事にしつつも
「今」の自分を大事にして生きていきたいと
私は思う。
今やりたいことは我儘に全部やってやろう!
って意味ではなくて、
優先順位を見誤って本当に大切にしたいものを
見失わないようにしたいな、
というニュアンスの話です。
取り返しのつかない状況になってからでは
遅いから。
会いたい人には会えるうちに。
今しかできないことは今のうちに。
未来のことを考えることは必要だけど、
それによって今の自分が大切にしていることを
蔑ろにしていないか?と振り返る時間も
きっと同じくらい必要なことだなあと思います。
・人間関係は鏡
「人間関係は鏡よ。鏡は先に笑わないからね。」
これは、のび太のおばあちゃんの言葉らしい。
いやあ、そうだよなあ。
人間関係は鏡とはよく言ったものだけれど、
鏡って向こうから笑いかけてくることは
絶対にないんだから。
こちらが笑うから初めて向こうが笑うし、
こちらが睨めば向こうも睨むのだよな。
私も、自分から鏡に笑いかけて
たくさんの人と笑い合える人でありたいな。
これは、
笑うことで誰かによく見られたいとか
良い人間だと思われたいとか
そういう話では全くなく。
よく見られたいから鏡に笑いかける人と、
純粋に周囲と良い人間関係を築きたいから
鏡に笑いかける人とでは、
思考の次元が全く違うと思う。
私は自分を良く見せるために笑うよりも、
自分以外の誰かと純粋に良い関係を築くために
笑っていたい。
自分を良く見せようと笑えば、
私は良い人間ですというアピールができて
自己顕示欲は満たされるかもしれないけれど、
その笑顔が相手への純粋な興味や好意ではなく
自分の欲のためのものだと分かれば
その時点で笑いは返ってこなくなる。
逆に、純粋に仲良くなりたいという気持ちで
笑いかけたその誰かは、どんな人であれ
自分にはない色んな価値観を教えてくれる
かけがえのない人となるのだから。
狭く深くももちろんいいけれど、
誰に対しても邪推なく興味を持って
仲良く楽しく過ごせた方が、
自分の幅が広がることは間違いない。
これからも鏡にたくさん笑いかけながら、
たくさんの人と関わって生きていきたいなあ。