詰め込み教育。。結局は。。
みなさん、こんにちは。
今日も、ふと思いついたことを書いてみます。
今回もあらかじめお断りしておきますが、私は、どっぷり昭和の人間です。
詰め込み教育を受け、その中で生きてきました。
田舎育ちなもので、首都圏の中学受験など知らずにのんびりと、それなりに受験も経験してきました。
日本の教育は詰込み型と言われ、確かに義務教育である中学も、そして高校でも詰め込まれ、大学受験へと向かう教育方針は、私は個人的には嫌いではありません。
昔は、時代が違いますので、一概に比較はできませんが、暮らしている周囲の環境の影響がかなり大きかったと思います。
今や現代のITの発達によって、コロナ禍によって、PCやタブレットは小学生でも使いこなす時代です。
子どもに負けじと大人はさらに工夫をこらさざるを得なくなっているのは、時代が変われど、同じ構造かとも思ったりもしたのです。
さて、ゆとり教育と騒がれ、小学校や中学校の教育要項が緩くなり、子どもに自由な時間ができたのも事実です。
その自由な時間を大人が一緒に遊んだり、学んだりという時間があるかといえば、そうではないのです。
働き盛りのお父さん、お母さんは仕事に一所懸命です。じいじ、ばあばも元気ならば、やっぱり働いています。
優雅に、自分の時間を自由に使っている大人は、日本ではほんの一握りではないかと思います。
大人が働いて、ゆとりができた子どもに与えるものはといえば、塾や習い事だったりします。
そろばん、お習字、ピアノに始まり、塾に行けば漏れなく競争社会の仲間入りです。
決して、それが悪いとは言いません。
でも、詰込み教育を批判していた大人が、結局は、別の形で何かを子どもに詰め込んでいるのではないかとも感じたのです。
あれだけ、日本の詰め込み教育を批判していた大人が、結局は形をかえた何かを子どもに詰め込んでいませんか。
本当のゆとりってなんでしょう。
空いた時間に子どもに何を与えるのが、次の世代を担ってくれるのでしょう。
漠然と欧米方式を取り入れようというのは、無理があります。
それは、会社組織が昔は福利厚生が手厚い日本企業(会社が家族をも守るという考え方)が、欧米方式の仕事型の採用に変えて、手厚い福利厚生がなくなり、老後の心配をしなければならなくなり、結局は、その場しのぎで稼ぐという方式に変わり、次の担い手を育てる時間、場所はどこに確保されるのだろうかととても心配に思います。
もちろん、昔のやり方に戻せといいたいのではありません。
時代を見ながら、見据えながら、方向性を決めていくのが大切だと思うのです。
以前も書きましたが、何事も目的を持つということが、小さなことからやはり大切だと思ったのでした。
やみくもに、子供の将来のためという大義名分で、あれこれ詰め込んでいませんか。本当に必要なことは、何かをその時々に大人が考えて、必要な環境を与えることが、次の世代を育てることにもつながると思うのです。