
パワーが個人に移行する時代
現代における「パワーシフト」とは
近年、社会の様々な場面で「パワーシフト」あるいは「影響力のシフト」という言葉を耳にすることが増えました。これは権力や影響力の源泉が従来の中心から別の主体へと移行する現象を指します。歴史的に見ると、政治権力は君主や政府、情報発信力は大手メディアや企業といった大組織に集中しがちでした。しかし、技術革新と社会構造の変化により、従来は力を持たなかった個人や新興の集団が、これまで以上に大きな影響力を持つようになってきています。
インターネットの普及、そして特にソーシャルメディア(SNS)の台頭は、このパワーシフトを加速させた大きな要因です。誰もがスマートフォン一つで情報を世界中に発信できるようになり、従来は特定の機関に独占されていた「声」を広く届けることが可能になりました。さらに、近年急速に発展したAI(人工知能)技術の活用により、個人が生み出せるコンテンツや影響の範囲は飛躍的に広がっています。
特に2023年以降、デジタル技術とグローバルな通信網の進化によって個人の影響力が増大する事例が世界各地で顕著に見られます。アメリカ、日本、中国、ヨーロッパといった主要地域のみならず、新興国や地域社会においても、個人が社会を動かす存在となる例が登場しています。本レポートでは、歴史的な背景から最新の動向まで、多角的にパワーシフトの実態を分析します。
本稿の目的は、現代におけるパワーシフトの全体像を捉え、「個人がインフルエンサーとなる重要性」を読み解くことにあります。具体的なデータや事例を交えつつ、メディア、政治、経済、テクノロジー、文化といったあらゆる分野で進行する影響力の変遷を示します。併せて、過去の権力構造の変革や技術革新の歴史にも触れ、現在起きている変化が持つ意味合いを位置づけます。そして最後に、誰もが自らの影響力を高めるために何ができるのか、その方向性について考察します。
権力と影響力の歴史的変遷
まず、現在の状況を理解するために、歴史上のパワーシフト(権力や影響力の移り変わり)の例を振り返ります。古代から中世にかけては、社会の権力構造は概ねピラミッド型で、王や皇帝、貴族、聖職者といったごく一部の支配層が大多数の民衆を統治していました。当時、情報を広く伝達する手段が限られていたこともあり、一般の人々が政治決定や社会全体に影響を及ぼす機会はほとんどありませんでした。識字率も低く、知識や記録は限られた階層に独占される傾向にありました。
しかし、技術革新が進むにつれ、その状況に変化が現れ始めます。15世紀半ばに登場したグーテンベルクの活版印刷術は、その最初期の例と言えるでしょう。書物やパンフレットが大量生産可能になると、聖職者や王侯だけでなく、より広い層の人々が情報や思想にアクセスできるようになりました。例えば、宗教改革においてマルティン・ルターの「九十五箇条の提題」が印刷物としてヨーロッパ中に広まり、教会の権威に異議を唱える動きが民衆レベルで支持を得たことは、情報の伝播手段がパワーシフトを引き起こした一例です。印刷技術は知の独占を打破し、市民社会の形成や近代民主主義の土台づくりに寄与しました。
19世紀から20世紀にかけては、電信、電話、ラジオ、テレビといった通信・放送技術が次々と発明・普及しました。電信や電話は情報伝達の時間と距離の制約を劇的に縮め、世界の結びつきを強めました。特にラジオとテレビは、大衆が同時に同じ情報を受け取ることを可能にし、政治や文化のあり方に大きな影響を及ぼしました。第二次世界大戦前後には、ラジオ放送を通じて政治指導者が国民に直接語りかけるという新しい形態が現れ(アメリカのフランクリン・ルーズベルト大統領の「炉辺談話」や、英国のチャーチル首相の演説などが例として挙げられます)、大衆の世論形成に与える影響力が強まりました。テレビの普及によって、政治家や著名人は映像を通じて強い訴求力を持つようになり、1960年代の米国大統領選挙ではジョン・F・ケネディがテレビ討論での印象の良さから支持を集めたことなど、メディアが権力ゲームの構図を変える事例も生まれています。
とはいえ、ラジオやテレビの時代においても、その発信源は国家の広報機関や大手メディア企業など、一部の組織に限られていました。情報発信には依然として高い参入障壁があり、一般人が全国的な影響力を持つことは容易ではありませんでした。この状況が大きく転換する契機となったのが、20世紀末から21世紀初頭にかけてのインターネットの登場です。
1990年代後半にインターネットが普及し始めると、情報の民主化が急速に進みました。個人がウェブサイトやブログを開設し、自らの考えや情報を発信することが可能となり、既存メディアに頼らない情報流通の経路が生まれました。例えば、1998年にはクリントン米大統領のスキャンダルに関するニュースを、大手メディアより先にウェブサイト(ドラッジ・レポート)が報じたことで、インターネット上の個人発信が主流報道を動かした例が生まれました。21世紀に入り、ブログや電子掲示板、メールマガジンなどを通じて、個人が時事問題に鋭い意見を発信したり、専門知識を共有したりすることが一般化しました。ウィキペディア(2001年創設)のように、不特定多数のボランティアが協力して知識集約型のコンテンツを作り上げるプロジェクトも誕生し、これは従来専門家や出版社に依存していた知識の提供構造を大きく変えました。
2000年代後半から2010年代にかけては、ソーシャルメディアとモバイルインターネットがさらなる変革をもたらします。Facebook(2004年創設)やYouTube(2005年創設)、Twitter(2006年創設)といったSNSプラットフォームが次々と登場し、全世界で爆発的にユーザー数を伸ばしました。これらのサービスは、個人同士が相互に繋がり合い、情報を共有・拡散することを容易にしました。誰もが潜在的に「発信者」となりうる時代が開かれ、社会現象やニュースが既存メディアを経由せずともSNS上で直接生み出されるようになったのです。2010年代にはTwitterやFacebookが政治運動にも活用され、たとえば2011年の「アラブの春」において市民がSNSを通じて呼びかけ合い、大規模な民主化デモを実現したことは、情報伝播の主役が既存の権威から市民へと移行しつつある象徴的な出来事でした。同様に、日本でも2010年代にTwitterを中心に一般ユーザーが社会問題について声を上げ、大手メディアが後追いで報じるといった事例が増えています。
このように、技術の進歩とともに権力や影響力の担い手は徐々に拡大し、多様化してきました。活版印刷からラジオ・テレビ、そしてインターネットからSNSへと至る通信手段の進化は、一貫して情報の門戸を広げ、人々に新たな力を与えてきたのです。現在私たちが目の当たりにしている個人へのパワーシフトは、こうした歴史的流れの延長線上に位置づけられます。しかし、現代のデジタル社会における変化のスピードと規模は、それまでの時代とは比べものにならないほど急激かつグローバルなものとなっています。
ソーシャルメディアと個人の発信力の台頭
今日、ソーシャルメディア(SNS)は世界中で数十億人が利用する生活インフラとなっています。2023年初頭の時点で、世界全体のSNSユーザー数はおよそ47億人(約47億2,000万人)に達し、地球上の人口の6割以上が何らかのSNSプラットフォームを利用している計算になります。その数は年々増加を続けており、2025年には50億人を超えるとも推計されています。日本においてもSNSの普及率は非常に高く、総務省などの調査によれば、2023年時点で日本の総人口の約75%がSNSを利用しています(インターネット利用者に限れば9割近くに上ります)。Facebook(フェイスブック)やYouTube、Instagram(インスタグラム)、TikTok、Twitter(現在の「X」)など、主要なSNSは各々数億から数十億規模の利用者を抱えており、巨大な情報流通経路となっています。
こうしたSNS環境の中で、かつては無名の一個人に過ぎなかった人々が、世界的な影響力を持つ存在へと成長する事例が数多く生まれました。その代表例が「インフルエンサー」と呼ばれる人々です。インフルエンサーとは、SNS上で多数のフォロワー(閲覧者・支持者)を集め、その発言や発信内容が多くの人々の意思決定や流行に影響を与える存在を指します。例えば、YouTube上では個人が運営するチャンネルがテレビの人気番組に匹敵する視聴者数を獲得することが珍しくなくなりました。アメリカのユーチューバーであるジミー・ドナルドソン(通称「MrBeast」)は、2023年に彼のYouTubeチャンネル登録者数が2億人を突破し、一回の動画再生が何千万回にも及ぶ世界的な影響力を持っています。日本でも、ヒカキンやはじめしゃちょーといった黎明期から活躍するユーチューバーが数百万人の登録者を抱え、若年層を中心にテレビタレントに勝るとも劣らない知名度を得ています。また、TikTokやInstagramから登場した新世代のインフルエンサーも多数存在し、ダンス動画で人気を博したチャーリー・ダメリオ(アメリカ)や独特の無言コメディでフォロワーを集めたカビー・ラメ(イタリア在住のクリエイター)は、それぞれ1億人を超えるフォロワーを獲得しています。スポーツ界に目を向ければ、サッカー選手のクリスティアーノ・ロナウドはInstagramで約6億人(2024年時点)のフォロワーを抱えており、個人として世界最大の発信力を持つ一人となっています。
インフルエンサーの力が増大している背景には、彼らが既存のメディアにはない「親近感」や「双方向性」を武器にしていることがあります。テレビや新聞などの伝統的メディアによる情報発信は基本的に一方向ですが、SNS上ではフォロワーとの直接的なやり取りや、ライブ配信による即時の反応共有が可能です。インフルエンサーたちは自分の生活や考えを日々コンテンツとして発信し、視聴者との距離が近い関係性を築きます。その結果、視聴者はインフルエンサーを身近な存在として信頼し、彼らの紹介する商品を購入したり、推奨する考え方に共感したりしやすくなります。企業のマーケティングもこうした動向に注目しており、近年では著名な芸能人よりも特定の分野で熱心なフォロワーを持つ「マイクロインフルエンサー」(一般にはフォロワー数が数万人~十万人程度の中規模の発信者)との提携を重視するブランドも増えています。彼らはフォロワーとの強い信頼関係を持っているため、広告効果が高いとされるからです。
また、SNSの普及は「ユーザー生成コンテンツ(UGC: User-Generated Content)」の爆発的な増加をもたらしました。一般ユーザーが投稿する動画、画像、テキストが大量に生み出され、それらがSNS上で共有・拡散されています。UGCの中から話題が生まれ、ニュースや流行が作られるケースも多くあります。例えば、一般の高校生が投稿したダンス動画が全国的なブームになったり、あるいは市井の人々の体験談がきっかけで社会問題にスポットライトが当たることもあります。こうした流れにより、従来はメディア企業が独占していた「話題形成」の力が分散し、一人ひとりの発信が無視できない重みを持つようになっています。また、SNS以外のデジタルプラットフォームにおいても、個人が発信者となる動きが顕著です。例えばポッドキャストは、専門局に属さない個人でも自ら番組を配信できる媒体として人気を博しています。アメリカではジョー・ローガンが配信するポッドキャスト番組が非常に高い聴取数を誇り、独立系の音声番組でありながら一回の配信が数百万人に聞かれるなど、既存のラジオ番組に匹敵する影響力を持っています。また、有料ニュースレターサービスのSubstack(サブスタック)なども普及し、ジャーナリストや専門家が新聞社・出版社を離れて独立し、自分の読者コミュニティに直接情報発信を行う例が増えました。これにより、従来は大手メディアの編集方針に左右されていた言論空間が多様化し、読者・視聴者は自分の関心に合った発信者を直接支持できるようになっています。
ソーシャルメディアを通じて個人が得た発信力は、情報流通のみならず、世論や消費行動にも直接影響を及ぼすようになりました。多くの人々がニュースや商品のレビューをSNSで目にし、そこでの評判を参考にします。特に若い世代では、テレビニュースよりもTwitterやInstagramのタイムラインから時事情報を得たり、有名雑誌の批評よりもYouTuberの製品紹介動画を信用したりする傾向が顕著です。実際、アメリカの調査では若年層の約3割がTikTokをニュース源の一つとして利用しているとの報告もあります。日本でも、大地震や台風などの災害発生時にTwitter上で個人が投稿する現場映像やリアルタイムの声が情報源として広く共有される場面が見られます。このように、SNS時代には個人の発する情報が即座に多数の人に届き、場合によってはそれが公的機関や報道機関の発表よりも大きな影響力を持つことさえあるのです。
以上のように、ソーシャルメディアの普及は「メディアから個人へ」という発言力のシフトを顕著に示しています。巨大なフォロワー基盤を持つインフルエンサーから、ニッチなコミュニティで活躍するマイクロ発信者、さらには一度限りの投稿で社会現象を巻き起こすような一般ユーザーまで、あらゆる個人が自分の声を広範囲に届ける潜在力を持つ時代となりました。
政治・社会運動におけるパワーシフト
SNSの普及は、政治や社会運動の領域にも大きな変化をもたらしています。一昔前であれば、政治家が国民にメッセージを伝える主な手段はテレビ演説や新聞での発言でした。しかし、現代では多くの政治指導者が自らSNSアカウントを持ち、直接有権者に語りかけています。アメリカではドナルド・トランプ前大統領が任期中、Twitter(現X)を通じて政策から個人的な意見まで連日発信し、伝統的メディアを介さずに支持者にメッセージを届けました。これは政治家と大衆とのコミュニケーションの在り方を劇的に変えた例として象徴的です(同時に物議も醸しましたが、それ自体が個人発信の影響力の大きさを示しています)。インドのナレンドラ・モディ首相は世界有数のフォロワー数を持つ政治家として知られ、SNS上での積極的な情報発信により国民との直接的な結びつきを強めています。ウクライナのウォロディミル・ゼレンスキー大統領もまた、紛争下においてSNSやオンライン演説を駆使し、国内外の世論に訴えかけ支援を引き出すことに成功しました。このように、各国のリーダーたちがSNSを外交・内政の武器として活用する時代となっています。
一方で、政治におけるパワーシフトのもう一つの側面は、一般市民や草の根の運動がソーシャルメディアを通じて大きな影響力を持つようになったことです。ハッシュタグを用いたオンラインキャンペーンやデモの呼びかけは、瞬く間に広範な共感を集め、大規模な社会運動に発展する場合があります。#MeToo運動(2017年以降に世界的に拡散したセクハラ・性暴力告発のムーブメント)は、その典型例です。著名人の告発から始まったこのハッシュタグ運動は、SNS上で次々と一般の人々にも共有され、世界中で社会問題として認識される契機となりました。アメリカのブラック・ライブズ・マター(Black Lives Matter, 2013年開始、2020年に大きな盛り上がりを見せた黒人差別抗議運動)も、SNSでのハッシュタグや動画拡散が世論喚起の中核を担い、各地での抗議デモを後押ししました。
日本でも、SNS発の市民運動の例が増えています。例えば2020年、当時の政府が進めていた検察官の定年延長に関する法改正案に対し、Twitter上で「#検察庁法改正案に抗議します」というハッシュタグを付けた抗議投稿が数百万件に達しました。著名人から一般ユーザーまで多くの声が上がった結果、政府はこの法改正の見送りを余儀なくされました。この出来事は、一般市民のオンライン上の声が政策決定に影響を与えた顕著な例として注目されました。また、東南アジアや中東の国々でも、SNSを通じて若者が政治的要求を突きつける動きが見られています。2022年から2023年にかけてイランで発生した抗議運動では、デモ参加者が撮影した動画やメッセージがインターネットを介して国外へ発信され、国際社会の関心を集めるとともに、国内でも連帯を広げる役割を果たしました。
このような市民発の情報発信は、伝統的に社会運動を伝えてきたマスメディアに代わり、あるいはそれを補完する形で大きな力を持っています。個人が現場から届ける生の声や映像は、ときに従来の報道機関によるニュースよりも強い訴求力を持ち、人々の感情を喚起することがあります。警察官の不当な行為を市民がスマートフォンで記録し公開することで、その動画が証拠となって抗議運動が全国規模に拡大するといったケース(米国での黒人男性ジョージ・フロイドさんの事件など)は、もはや珍しいことではありません。これらは、かつては埋もれていたかもしれない一個人の行動や情報発信が、社会正義を求めるムーブメントの引き金となり得ることを示しています。
しかし、政治や社会における個人発信の影響力が増す一方で、課題も顕在化しています。誰もが情報を発信できる環境は、裏を返せば虚偽情報(フェイクニュース)や陰謀論が拡散しやすい土壌でもあります。SNS上で根拠のない噂や偏った情報が拡散し、それが世論を二分したり社会的不安を煽ったりする事例も多数報告されています。たとえばアメリカでは、2020年の大統領選挙や新型コロナウイルスのパンデミックをめぐり、個人が発信したデマ情報が大規模に共有され社会問題となりました。また各国政府や団体がSNSを使って世論工作を行う「情報戦」も激化しており、一般のユーザーが発信する情報と意図的に操作された情報とが入り混じっています。
こうした問題に対処するため、プラットフォーム側や政府側も対応を模索しています。TwitterやFacebookは有害なコンテンツの削除やファクトチェックの導入を進め、著しく誤解を招く情報には警告を表示するなどの措置を取り始めました。各国政府も、SNS上の選挙介入やデマ拡散に対抗する法律や規制を検討・施行しています(EUの「デジタルサービス法(DSA)」や、各国でのプラットフォーム規制法整備の動きなど)。一方で、権威主義的な政権下ではSNSそのものを統制しようとする例もあります。中国ではネット検閲システムによって政府にとって不都合な投稿は即座に削除され、抗議活動の呼びかけが広まらないよう厳しく管理されています。ミャンマーや一部中東諸国では、大規模な抗議デモに対して当局がインターネット遮断措置を取った事例もあり、デジタル空間をめぐる攻防が繰り広げられています。
総じて言えば、政治の領域では「発信源の多様化」が急速に進んだ結果、パワーバランスが変化しています。情報発信力が政府・政党・メディアといった従来の主体だけでなく、個々の市民や小規模なグループにまで広がりつつあります。これは民主主義において望ましい側面(多様な声が反映されやすくなる)を持つ一方で、情報の信頼性確保という新たな課題も突きつけています。しかし確実に言えるのは、今や政治や社会問題の動向を語る上で、SNS上の個人の発信は無視できない要素となっているということです。
経済・ビジネスにおけるパワーシフト
デジタル時代の到来は、経済やビジネスの領域でも個人の存在感を飛躍的に高めています。従来、大規模な資本や組織力を持つ企業だけが展開できた市場に、個人が参入し大きな影響を与えるケースが増えました。その一つがマーケティング・広告分野における変化です。前述したインフルエンサーは広告塔としても重宝されるようになり、世界の企業はマーケティング予算の相当部分をインフルエンサープロモーションに振り向け始めています。実際、世界のインフルエンサーマーケティング市場規模は2023年に約200億ドル(およそ3兆円)に達したと推計され、2010年代初頭と比較して爆発的な成長を遂げました。かつて広告といえばテレビCMや新聞広告が中心でしたが、今やInstagramの人気者が投稿する1枚の写真やYouTube上のレビュー動画が、消費者の購買行動を大きく左右する時代です。実際、SNSから生まれた影響力をもとに自らブランドを立ち上げ成功するケースも見られます。米国のカイリー・ジェンナーはInstagram上の絶大なフォロワー基盤を背景にコスメブランドを興し、20代前半にして億万長者となった例として知られます。このように、現代の消費者は企業からの一方的な宣伝よりも、身近な存在であるインフルエンサーや一般ユーザーの口コミを信用する傾向が強まっており、企業もまた自社の商品・サービスについて顧客の率直な評判に耳を傾けざるを得なくなっています。
消費者の声が直接企業の対応を変える例も増えています。SNSで顧客が苦情を投稿し、それが瞬く間に拡散して企業に対する批判が高まった結果、企業側が迅速に謝罪・改善策を発表するといった事態は珍しくありません。一人の顧客がTwitterに書き込んだ不満の一言が大企業の方針を転換させることすらあり得るのです。これは、口コミや評判といった要素が従来にも増して企業の経営に直接響くようになったことを意味します。良い製品やサービスであれば個人のレビューによって爆発的に売上を伸ばすチャンスがある一方、不誠実な対応が暴露されれば個人発の情報によってブランドイメージが一夜にして失墜するリスクも孕んでおり、企業と消費者のパワーバランスは確実に変化しています。
また、金融・投資の世界でも個人の影響力が高まっています。株式市場では、かつてプロの機関投資家が圧倒的な主導権を握っていましたが、近年ではオンライン証券やスマートフォン向けの投資アプリの普及により、個人投資家(リテール投資家)が市場に与える影響が増大しました。象徴的な出来事として、2021年初頭にアメリカで起きた「ゲームストップ株急騰劇」が挙げられます。インターネット掲示板Redditの投資コミュニティ(r/WallStreetBets)の個人投資家たちが情報を共有し合い、大手ヘッジファンドが空売りしていたゲーム販売会社ゲームストップの株を一斉に買い上げました。その結果、同社の株価は短期間で数十倍にも跳ね上がり、機関投資家に巨額の損失を与えました。この出来事は、「草の根の投資家連合」がウォール街の大口投資家に打撃を与えた例として大きな話題となり、金融市場におけるパワーシフトを象徴する事件とされます。また、暗号資産(仮想通貨)の台頭も個人の経済的パワーに関する議論を加速させました。ビットコインやイーサリアムといった仮想通貨は、国家や中央銀行とは無関係に個人同士で価値を交換できる仕組みを提供し、一時期は若い世代を中心に「暗号資産長者」を多数生み出しました。2020年代初頭には、ソーシャルメディア上のコミュニティやインフルエンサーが特定の仮想通貨(例えばドージコインなど)の価格を左右する場面も見られ、金融市場における言わば「群衆の力」を示す出来事が相次ぎました。
個人が経済活動に直接参加・影響できる環境として忘れてはならないのが、「クラウド」の活用です。クラウドファンディングは、その代表例でしょう。本来であれば大企業や投資家から資金調達しなければ実現できなかったプロジェクトであっても、KickstarterやMakuakeといったクラウドファンディング・プラットフォームでアイデアを公開し、共感した個人から少額ずつ出資を募ることで、製品開発や映画制作、イベント開催などが実現しています。これは資金調達の民主化であり、創造的なアイデアを持つ個人や小規模チームが自力で世の中に働きかける手段となっています。同様に、インターネット上のプラットフォームを通じた個人間取引も盛んです。ハンドメイド作品を売買するECサイト(Etsyなど)や、個人が自作の音楽・文章・ソフトウェアを直接顧客に届けられるマーケットプレイスが多数存在し、ニッチな才能を持つ人々がそれを収入に結びつけることが容易になりました。
さらに、デジタルプラットフォームによって生まれた「ギグ・エコノミー(単発仕事経済)」も、個人の働き方と経済力に変化をもたらしています。UberやLyftといった配車サービスでは、専業ドライバーでなくとも自家用車を使って収入を得ることができますし、Airbnbを利用すれば個人宅の空き部屋を宿泊施設として提供して収入を得ることができます。これらのプラットフォームには世界中で何百万人もの運転手やホスト(部屋の貸し手)が登録しており、各々が小規模な起業家のように稼働しています。また、スキルを持つ個人が自由契約でプロジェクトに参加するフリーランスの働き方も一般化しました。デザインやプログラミング、翻訳といった様々な専門スキルを持つ人が、オンラインで案件を獲得して収入を上げています。インターネット上の人材仲介サービス(Freelancer.comやランサーズなど)を利用すれば、地理的な制約なく世界中のクライアントと契約することが可能で、会社組織に属さずとも一個人がグローバルに経済活動を行う時代が現実のものとなりました。
中国に目を向けると、個人の経済活動が驚異的なスケールに達している例があります。その最たるものがライブコマース(ライブ配信によるオンライン販売)の分野です。中国では「網紅(ワンホン、ネット有名人)」と呼ばれるインフルエンサーが商品をリアルタイムで紹介しながら販売するライブ配信が爆発的に普及し、2023年にはライブコマース市場規模が年間で推定約5,000億元(約100兆円)にも上りました。これは中国のオンライン小売全体の3割以上を占めるとされ、経済の一大潮流となっています。著名な例として、李佳琦(リ・ジアチー、英語名オースティン・リー)という男性インフルエンサーは、「口紅王子」の異名を取り、口紅を紹介するライブ配信で一晩に数億円相当を売り上げる記録を打ち立てました。同じく女性インフルエンサーの薇婭(ヴィヤ)も、あらゆる商品を販売するカリスマ的配信者として絶大な人気を集め、一回の配信で売上が数十億円に達することもあったと報じられています。彼ら個人が持つ販売力は、従来であればテレビ通販や巨大EC企業でなければ成し得なかった規模に達しており、小売・流通分野でのパワーシフトの極端な例と言えるでしょう。
もっとも、こうした新たな経済の在り方には、新しい課題も生じています。個人が大きな経済力を持つとき、それは往々にしてプラットフォームや外部環境への依存の上に成り立っています。たとえばYouTubeで成功を収めたクリエイターも、プラットフォーム側のアルゴリズム変更や規約改定によって収益が激減するリスクがあります(実際に、2010年代後半には広告主の意向を受けたYouTubeの方針変更により、多くの動画投稿者が収益減に直面した事例があります)。UberのドライバーやAirbnbのホストも、サービス規約の変更や市場競争の激化、規制の影響を常に受ける脆さを抱えています。また、暗号資産の世界では価格の乱高下によって一夜にして利益を失う可能性も孕んでおり、安定性という点では伝統的な仕組みに劣る部分もあります。それでもなお、経済・ビジネス領域における個人のプレゼンスがこれほどまでに大きくなったことは紛れもない事実であり、産業構造や働き方、企業と個人の関係性は根底から再編されつつあります。
テクノロジーの進化と個人の力の拡大
最新のテクノロジーの進展も、個人の影響力を増大させる追い風となっています。中でもAI(人工知能)の民主化は顕著で、2023年以降、その動きが一段と加速しました。2022年末に一般公開された対話型AI「ChatGPT」は、公開から数か月で世界中に億単位のユーザーを獲得し、多くの人々が日常的にAIを活用する時代の幕開けを象徴しました。ChatGPTやそれに続く生成AI(ジェネレーティブAI)の登場により、専門的な知識やスキルがなくとも、高度な文章作成や質問応答、要約、さらにはプログラミングの支援までもが誰にでも手の届くものとなりました。例えば、小規模な事業者や個人ブロガーが、AIを用いて効率的にコンテンツを生成し、SNS投稿の文案や宣伝資料を自動生成するといったことが容易になっています。また、画像生成AI(Stable DiffusionやMidjourneyなど)の登場によって、絵心のない人でもプロが描いたようなイラストやデザインを作り出すことが可能となり、個人のクリエイティビティの発揮手段が飛躍的に拡大しました。これまで映像制作やデザインは専門職の領域でしたが、今や一人の人間がラップトップとAIツールを駆使して、短期間で映像作品やゲームの試作を完成させるといった例も出てきています。
AIだけではありません。テクノロジー全般の進化は、個人に強力な「武器」を与えています。オープンソースソフトウェアの普及はその一例でしょう。Linuxに代表されるオープンソースのOSや、PythonやTensorFlowといったプログラミング言語・ライブラリ、さらにはWordPressのようなウェブサイト構築システムに至るまで、無数の無償ツールが個人開発者や小規模チームによって作られ、共有されています。これらを活用すれば、少人数でも高度なサービスや製品を開発できます。実際、20世紀末から21世紀にかけて勃興したITスタートアップの中には、創業当初ほんの数人のチームが画期的なウェブサービスを立ち上げ、数年で世界的企業に成長した例が多数存在します。インターネット電話サービスのSkypeや、モバイル写真共有アプリのInstagramは、それぞれ少人数の開発者によって開始され、大企業に買収されるほどの成功を収めました。これらはテクノロジーの力が、アイデアとスキルを持つ個人や小集団に大企業と渡り合えるチャンスを与えた典型例です。
近年では、オープンソースの動きはAIの分野にも広がっています。大規模言語モデルや画像生成モデルの開発は当初一部の巨大IT企業や研究機関がリードしていましたが、その後、コミュニティ主導で既存モデルを改良したオープンソース版が次々と公開されました。たとえば、Meta社が公表した言語モデルを基に有志開発者が改良を重ねた「LLaMA」(ラマ)などの派生モデルは、個人のPCや安価なクラウド環境でも動作可能なレベルに最適化され、研究者や開発者だけでなく一般の技術愛好家にも利用されています。画像生成においても、Stable Diffusionというオープンソースのモデルが公開され、多くの個人クリエイターが自分の作品制作に取り入れています。これにより、AI技術そのものも一部企業の専売特許ではなくなり、知識を持った個人が自前で高度なAIを使いこなせる状況が生まれています。
テクノロジーの進化は情報アクセスや学習手段の面でも個人をエンパワーしています。インターネット上には高品質な教育資源が溢れており、例えばYouTubeには有志の講師や専門家が提供する無料の解説動画が数多く公開されています。プログラミングや語学、科学の基礎から大学レベルの高度な内容まで、ほとんどあらゆる分野をオンラインで独学できる時代です。これにより、特定の大学や教育機関に属さずとも個人が高度なスキルを身につけることが可能となり、実際にオンライン学習を通じてキャリアチェンジや専門分野での成功を収める人々も増えています。また、知識共有の場としては、先述のウィキペディアのような共同プロジェクトだけでなく、QiitaやStack OverflowのようなQ&Aサイトで専門家と愛好家が日々知見を交換しており、個人が疑問を解消したり新しい技術を習得したりするハードルは格段に下がりました。
このように、テクノロジーの恩恵により「一人でできること」の範囲は飛躍的に広がりました。しかし同時に、テクノロジーが高度化するほど、それを制御・提供する企業やプラットフォームの影響力も強大になっている点には注意が必要です。たとえば、SNSで個人が発信するためにはTwitterやFacebook、YouTubeといったプラットフォームの存在が不可欠であり、これらを運営する企業はアルゴリズムや利用規約を通じてコンテンツの拡散や収益化を左右します。スマートフォンという個人に力を与える端末も、その基本ソフトやアプリストアはAppleやGoogleといった巨大企業によって管理されています。つまり、テクノロジーを通じた個人の力の拡大は、一方で新たな集中(プラットフォームへの集中)を伴っているとも言えます。このジレンマに対抗する試みとして、分散型のSNS(たとえば分散型ブログのMastodonや、ブロックチェーン技術を活用した新興SNS)が注目を集める動きもあります。今後、テクノロジーを巡る主導権が一握りの企業からより開かれた形に移行していくのか、引き続き目が離せない状況です。
いずれにせよ、ICT(情報通信技術)の急速な発達が個人に大きな力を与えていることは間違いありません。高度なAIであれクラウドサービスであれ、かつては夢物語だった「自宅のパソコンで世界にインパクトを与える」ことが、現実のものとなっています。
文化・エンターテインメントにおけるパワーシフト
文化やエンターテインメントの分野でも、個人が影響力を持つ事例が増えています。音楽業界を例に取れば、かつて新人アーティストが世に出るにはレコード会社との契約やテレビ出演といった関門を突破する必要がありました。しかし、21世紀に入りYouTubeやSoundCloud、TikTokなどのプラットフォームから自力で人気に火がつくアーティストが次々登場しています。カナダ出身のジャスティン・ビーバーは、子供の頃に歌唱動画をYouTubeに投稿していたことがきっかけでスカウトされ、世界的スターとなった代表例です。また、韓国の歌手PSY(サイ)が発表した「江南スタイル」は2012年にYouTubeで爆発的な再生回数を記録し、韓国語の曲でありながら世界中でヒットしました。日本でも、ピコ太郎の「PPAP(ペンパイナッポーアッポーペン)」というコミカルな曲がSNS経由で国際的な話題となり、一個人の創作コンテンツがグローバルな流行を生む現象が見られました。
映像や出版の世界でも、個人発のコンテンツが大きな成功を収めるケースがあります。映画やドラマでは、大手スタジオ制作以外に、NetflixやYouTube Originalsといった配信プラットフォームがインディペンデント作品を配給することでヒット作を生むことが増えました。例えばスペイン発のドラマ「ペーパー・ハウス(La Casa de Papel、英題: Money Heist)」は当初スペイン国内向けの番組でしたが、Netflixでの国際配信を通じて世界的な人気シリーズになりました。これは個人制作ではありませんが、従来ハリウッドが握っていた世界的ヒット作の創出源が多様化していることを示す例です。一方、個人制作の短編映画やウェブドラマがSNS上で話題になり、それを契機にメジャーデビューを果たすクリエイターもいます。また、小説の分野では、ウェブ上で発表した作品が人気を博し書籍化・映像化されるケースが増えました。中国のSF小説『三体』はインターネット上で連載され支持を集めた後に書籍化され世界的ベストセラーとなりましたし、日本でもオンライン小説投稿サイト「小説家になろう」発の作品(例:『転生したらスライムだった件』など)が次々と書籍化・アニメ化される現象が定着しています。これらは、創作の才能を持つ個人が、出版社やプロデューサーの承認を待たずとも、自らの力でファンを獲得し成功への道を切り拓ける時代になったことを物語っています。
エンターテインメントの担い手として、新しいタイプの「個人」も登場しています。その一つが「バーチャルYouTuber(VTuber)」です。VTuberとは、アニメ風のキャラクターになりきった配信者のことで、声優・操作者は実在の個人ですが、視聴者の前では架空のキャラクターとして活動します。日本発祥のこの文化は2010年代後半から盛り上がり、キズナアイをはじめとする人気VTuberはYouTube上で数百万の登録者を集めました。企業が運営するVTuberもいますが、個人で活動するVTuberも数多く存在し、自ら創作したキャラクターでファンコミュニティを築いています。これは、個人が新たな技術を活用して自己表現と影響力の場を広げた一例です。
ファンとクリエイターの関係性もソーシャルメディアによって変化しました。かつては一方的に提供される作品を消費するだけだったファンが、SNSを通じて作品の盛り上げに直接寄与することが増えています。たとえば音楽業界では、ファンが自主的に再生回数を競い合ったり、ハッシュタグを使って好きなアーティストを宣伝したりすることで、チャート上昇や話題作りに貢献しています。韓国のポップグループBTS(防弾少年団)の世界的成功には、ファン(「ARMY」と呼ばれるファンダム)の組織的なSNS活動が大きな役割を果たしたとされています。また、映画業界ではファンの声が制作側を動かした例として、アメリカの映画『ジャスティス・リーグ』の別編集版(いわゆる「スナイダー・カット」)がファンの強い要望によりリリースされたという出来事がありました。これらは、一見受け手でしかなかった個々のファンが集合知となってクリエイティブ産業に影響力を行使した例と言えるでしょう。
スポーツ界でも、個人(選手)の発信力が増しています。トップアスリートたちはSNSで自らの声を直接ファンに届け、ブランド価値を高めています。たとえばサッカー選手のクリスティアーノ・ロナウドやリオネル・メッシは、各々数億人のSNSフォロワーを抱え、自身の発言や写真一つがニュースになる存在です。彼らはクラブやリーグといった枠組みを超えて個人としての影響力を持ち、スポンサー契約や社会貢献活動にもその影響力を活用しています。また、選手がSNSで社会問題に発言する機会も増えており、テニス選手の大坂なおみ氏が人種差別やメンタルヘルスの問題提起を自身のSNSアカウントで行い、大きな反響を呼んだことは記憶に新しいところです。このように、スポーツ選手個人が単なる競技者に留まらず、社会的なメッセージ発信者としても注目されるようになりました。
インターネット・SNS時代の文化現象として忘れてはならないのが、「ミーム(インターネット・ミーム)」の広がりです。ミームとは、インターネット上でユーザー間に模倣されながら広まるネタやコンテンツのことです。たとえば、何気ない一枚の写真や動画クリップがミームとして世界中に拡散し、多くの人がそれを元にしたジョークやパロディを楽しむという現象が日常化しています。有名な例として、2015年に投稿されたあるドレスの写真が「白と金に見えるか、青と黒に見えるか」という論争を巻き起こし、SNS上で世界的な話題になりましたが、これは一個人が投稿した画像が引き金となって地球規模の談義が起きたケースです。また近年では、TikTok発のミュージックチャレンジやダンスブームがテレビ番組や広告にも取り入れられるなど、無名の個人たちが作り出したミーム文化が主流文化に逆輸入される形も見られます。
総じて、文化・エンターテインメント領域におけるパワーシフトは、創作者・表現者の裾野が大きく広がり、受け手であった一般の人々も含めた双方向的なコンテンツ消費と流行創出の構図へと移行していることを示しています。才能ある個人が自ら発信してスターになれるだけでなく、ファン一人ひとりも集まれば無視できない推進力となり、従来の企業主導型のヒット作の生み出し方とは異なるダイナミズムが生まれているのです。
世界各地域に見るパワーシフトの様相
パワーシフトの現象はグローバルに共通する部分が多い一方、地域ごとに異なる文脈や特徴も見られます。ここでは主要な地域ごとの動向について触れてみます。
アメリカでは、インターネットやSNSが比較的自由に発展してきた背景もあり、個人発信の影響力が極めて大きく表れています。世界最大級のSNS企業(Facebook=現Meta社、YouTubeを運営するGoogle社、Twitter=現X社など)もアメリカ発祥であり、プラットフォームそのものがアメリカ文化圏の影響下にあります。政治分野ではトランプ前大統領のようにSNSを駆使する指導者が登場し、また経済分野ではシリコンバレーを中心に若者や移民出身者がスタートアップで成功を収めて億万長者になるなど、「個人がのし上がる」ことへの肯定的な風土が強いと言えます。一方で、SNS上のフェイクニュース問題や、巨大プラットフォームの独占に対する批判も強まっており、個人の自由な発信文化と社会的な調和のバランスを模索する段階にあります。
日本は、高いインターネット普及率と治安の良さも相まって、SNSが日常生活に深く根付いています。特にTwitter(X)は人口当たりの利用率が世界でも上位とされ、政治家や企業広報も含め広く情報発信に使われています。日本の特徴として、匿名での情報発信やキャラクター文化が挙げられます。匿名の一般ユーザーが鋭い社会批評を行ったり、VTuberのように仮想の姿で活動することで本音を発信する文化が育まれてきました。また、日本発のプラットフォームではLINEが広範に使われ、個人同士のコミュニケーション基盤となっています。経済面では、YouTuberが芸能人顔負けの人気を博したり、同人誌・インディーズ作品がコミックマーケットなどを通じて商業作品に影響を与えるといった独自の展開があります。一方で、日本ではデマ情報への社会的警戒感が比較的高く、欧米に比べると政治的なフェイクニュースの拡散は抑制されているとの指摘もあります(背景にはテレビや新聞といった既存メディアへの信頼も根強いことがあるでしょう)。全体として、日本では個人発信の文化がゆるやかに浸透しつつも、欧米ほど急進的ではない形で社会に影響を及ぼしていると言えます。
中国では、政府のインターネット統制下にありながらも、都市部を中心にSNSと電子商取引が爆発的に発展しました。FacebookやTwitterといった海外SNSは規制されていますが、その代替としてWeChat(微信)やWeibo(微博)、抖音(Douyin, 中国版TikTok)などの国産SNSが膨大なユーザーを抱えています。中国では当局が検閲を行うため政治的な批判やデモの呼びかけは表立って広まりにくいものの、逆にビジネスやエンタメ分野では個人が大成功を収める土壌が整っています。前述のライブコマースの例に見られるように、ネット有名人(網紅)が巨大な商業的影響力を持つ現象は中国が世界で最も突出しています。短編動画アプリ快手(Kuaishou)やBilibili(ビリビリ動画)などでは、地方出身の一般人がユニークな動画で人気者になり、生計を立てたりスターになるケースも多々あります。中国政府は人気のあるインフルエンサーを公式キャンペーンに起用するなど利用しつつ、一方で行き過ぎた言動には罰則を与えるなど厳しく管理しています。このように、中国では国家の統制という特殊要因のもとで、経済・文化領域に限って個人の影響力が伸長している状況です。
ヨーロッパは、アメリカ発のSNSやデジタル文化を受け入れつつも、プライバシー保護や規制面で独自のスタンスを取っています。EUはGDPR(一般データ保護規則)やDSA(デジタルサービス法)といった法律を制定し、プラットフォーム企業の力を抑制しつつユーザーの権利を守る動きを進めています。ヨーロッパ諸国でも若者を中心にYouTuberやTikTokerが台頭し、国境を超えて活躍するインフルエンサーも生まれています(例えばスウェーデン出身のPewDiePieは英語圏で絶大な人気を博したゲーム実況者でした)。政治面では、欧州各国の首脳もSNSで情報発信を行っていますが、米国ほど極端な発信で物議を醸すケースは少なく、むしろ市民が環境問題などの社会課題についてオンライン署名やデモを組織するといった草の根の動きが目立ちます。グレタ・トゥーンベリさん(スウェーデンの環境活動家)の学校ストライキがSNSで拡散され世界的な気候変動デモに繋がった例は、ヨーロッパ発の市民運動が全球的影響力を持った象徴と言えるでしょう。
その他の地域にも、それぞれ特徴的なパワーシフトの現れがあります。東南アジアではフィリピンやタイなどで国民のSNS利用時間が非常に長く、FacebookやTikTokが情報流通の主役になっています。特にフィリピンでは1日あたりのSNS平均利用時間が3時間半を超えるとされ、世界有数のSNS愛好国です。フィリピンではSNSが政治キャンペーンに多用され、2016年の大統領選ではロドリゴ・ドゥテルテ氏の陣営がFacebookを駆使した選挙戦略で勝利したと言われます。インドでは2010年代後半の「デジタル・インド」政策により地方まで高速通信網が広がり、WhatsAppやYouTubeが急速に利用者を増やしました。結果として、多言語国家であるインドでも地方の普通の人々が自分の言葉で情報発信し、選挙や社会運動に影響を与える場面が出てきています。アフリカでもケニアやナイジェリアなど携帯通信の普及した国々でSNSが若者を中心に利用されています。ナイジェリアでは2020年に警察の暴力に抗議する #EndSARS というハッシュタグ運動がSNS上で広がり、国際社会の注目を集めました。またアラブ圏では、2010年代初頭の「アラブの春」以降も時折大規模な抗議デモが起きる際にSNSが活用されており、2023年にはスーダンでの紛争に際して市民がインターネット上で支援と情報発信を行うなど、依然としてデジタル上の個人の声が重要な役割を果たしています。
このように、世界のどの地域においても、程度の差こそあれ「個人からの情報発信や影響力行使」が社会の中で存在感を増しています。その背景には、スマートフォンとインターネットが地球規模で浸透したこと、そして各地域の文化的・政治的条件の中で人々がデジタルツールを自分たちなりに活用し始めたことがあります。
パワーシフトがもたらす課題と今後の展望
個人へのパワーシフトが進行する中で、私たち社会は新たな恩恵とともに課題にも直面しています。一つは、情報の信頼性や質の担保です。誰もが自由に発信できる反面、根拠の薄い情報や悪意あるデマも拡散しやすくなりました。大量の情報の中から真実を見極めるリテラシーが個々人に求められるようになっています。また、影響力を持つインフルエンサーやオンラインコミュニティが台頭することで、既存の権威(政府、専門家、報道機関など)への信頼が揺らぎ、一部では「ポスト真実」と呼ばれる状況(事実より感情や信念が優先される風潮)も指摘されます。こうした問題に対し、教育現場でのメディアリテラシー指導や、プラットフォーム側のアルゴリズム改善、ファクトチェックの仕組み強化などが模索されています。
もう一つの課題は、パワーシフトの恩恵が必ずしも全ての人に均等ではないことです。デジタル技術を使いこなせる人とそうでない人の差(デジタル・デバイド)が存在し、インターネット環境やリテラシーが不足する層は相対的に声が届きにくいままです。また、SNSで大きな影響力を持つには継続的な努力やある種の才能も必要で、誰もが容易に「インフルエンサー」になれるわけではありません。結果として、一部の人気アカウントや有名人に注目が集中し、新たなヒエラルキーが生まれている側面もあります。さらに、個人が発信力を得るにはプラットフォームへの依存が避けられず、プラットフォーム運営企業の方針変更や規制強化により一夜でその力を失うリスクもあります。このように、個人の力が強まったとはいえ、その基盤は依然脆弱であり不確実性を孕んでいます。
今後の展望としては、パワーシフトの流れ自体は大局的に見て続いていくと予想されます。技術のさらなる進歩、例えばAIの高度化やブロックチェーン技術の発展などは、個々人が自律的に活動できる範囲を広げる可能性があります。Web3(分散型ウェブ)の概念が実現すれば、プラットフォームの支配力を相対化し、ユーザー一人ひとりが自らのデータや発信基盤をより強くコントロールできる未来も描かれています。ただし、技術はあくまで道具であり、それをどう使うかは社会の選択です。個人の力が増すことは、創造性や民主性が花開く機会であると同時に、社会の混乱や対立を招く危険も孕みます。この両刃の剣をうまく扱っていくために、私たちは新しいルール作りや倫理観の醸成に取り組む必要があるでしょう。
とはいえ、歴史の流れを振り返れば、一度生まれた技術によって可能になった人々の力を、元の瓶に閉じ込めることはできません。印刷機が広げた知の解放も、インターネットがもたらした情報民主化も、一時的な後退こそあれ長期的には定着し、人類社会を変えてきました。同様に、SNSやAIによってもたらされた個人の発信力拡大という潮流も、今後益々多くの人々にとって当たり前の前提となっていくでしょう。
結論:個人がますます強くなる時代へ
本稿では、インターネットとソーシャルメディアの発展、とりわけ2023年以降の動向を中心に、様々な領域で進行するパワーシフトについて見てきました。歴史を振り返れば、技術革新が権力構造を揺るがし、人々に新たな力を与えてきたことが分かります。そして現代、SNSやAIといったツールは、メディア、政治、経済、文化のあらゆる分野で「個人の時代」とも言うべき変化を引き起こしています。無名の若者がSNSで何百万もの心を動かし、一介の市民の告発が制度を変え、独創的なアイデアを持つ開発者が小さなチームで世界的サービスを創出する――こうした事例はもはや特別なものではなくなりつつあります。
もちろん、そこには光と影の両面があります。しかし、総じて見れば個人がますます強くなる時代が到来していることは疑いようがありません。重要なのは、この新しい時代において私たち一人ひとりが主体的に自らの力を伸ばし、健全に行使していくことです。SNSで発信するにせよ、AIツールを活用するにせよ、単に受け身で消費者でいるのではなく、自分なりの価値を発信・創造していく姿勢が求められます。幸いなことに、そのための環境や機会はこれまでになく整っています。言いたいことがあるならブログや動画で世界に発信できる、起業や創作に挑戦したければ仲間や支援者をオンラインで募れる、専門知識を深めたければ無料で学べる教材が手に入る――まさに個人の可能性を解き放つ土壌が用意されているのです。
今、私たちは大きな変革期の中にいます。「個人がインフルエンサーになる重要性」とは、自分自身の声や才能が他者に影響を与え得ることを自覚し、それを前向きな形で社会に還元していくことだと言えるでしょう。本レポートで紹介した数多くの事例は、そのヒントとモチベーションを与えてくれるはずです。誰もが急に数百万のフォロワーを得るわけではありませんが、規模の大小にかかわらず、発信した情報や生み出したものが周囲に影響を及ぼす経験はきっとあるでしょう。その積み重ねが、新しいムーブメントやキャリアにつながるかもしれません。
個人が強くなる時代は、同時に個人に責任が増す時代でもあります。しかし恐れる必要はありません。世界中で証明されつつあるように、一人ひとりが自ら学び、発信し、行動すれば、社会はより多様で活力あるものになります。これからの時代、あなた自身もぜひデジタル技術やSNSを活用して自分の考えや作品を世に問いかけてみてください。それが小さな一歩に思えても、ネットワークの力によって大きな波及効果を生む可能性があります。パワーシフトの時代において、私たち全員が自分なりの「インフルエンサー」となり、より良い未来を形作っていけるよう、本稿がその一助となれば幸いです。