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映画感想文#2 リトル・ダンサー(2000)

※本稿では映画の終盤の内容にも大きく触れております。気になる方はご自衛ください。

また、ヘッダーの写真は映画.comさんより引用しております。映画のあらすじ等につきましてはそちらをご覧ください。


リバイバル上映に足を運んだ。
観る直前に出会った知り合いに「この映画、めっちゃ泣くらしいで」と言われた。

星が幾つだ、泣いたか泣いていないかを基準にせず、気になる映画はとことん観よう!が私のポリシーなのだが、''めっちゃ泣くらしいで''と言われると、話は変わってくる。
めっちゃ泣くのか……。その言葉が頭から離れないまま、私はすっかりその気になって映画館へ足を運んだ。

映画が始まった。
ビリーが楽しそうにダンスを踊るシーンが映し出される。嬉々として跳ねている姿は可愛らしい。
しかし、その後のシーンでは、食事を用意したのに出歩いてしまった祖母を連れて帰り、母の残したピアノを弾くと「やめろ!」と父に怒鳴られ、寝る前にも兄に怒鳴られる。そんな、''ビリーのある日''が描かれる。

再びビリーは楽しそうに踊り始める。
待って、ビリー。
このダンスは、もちろん好きだからこそ踊っているのだろうが、ストレスの反動が大きく現れているようにも見える。
一度そう見え始めると、もうそうとしか見えなくなってしまった。
私も、抑うつが限界を越えたあの日、マットレスで嬉々として跳ねていたことがある。

楽しいダンスを貫く少年の物語だと思って観ていたが、今やそれは母親の幻影と現実の厳しさの乖離に悩み、ダンスの楽しさに生きがいを求める少年の物語に見えてしまった。


そう見えてしまうくらいビリーにかかるストレスは相当なものであることが窺えるが、彼はその不満を決して口にしない。
なぜなら、お兄ちゃんやお父さん、おばあちゃんも、失った母のことやストライキの現実を前にして苦しんでいることを知っているからだ。


ビリーの夢を阻む父親を責め立てようとする先生を見て、「父を責めないでください」と許しを乞うビリー。
母親に接するかのように、先生に不満とこれまでの辛さを怒りとして当てつけてしまうビリー。
母親の手紙を暗記しているビリー。
慣れない環境で癇癪を起こしてしまうビリー。

そんな彼を画面越しに見ていると、思わず「ビリー、大丈夫だよ、がんばれ」と声をかけて応援したくなる。夢が絶たれるかもしれないという焦燥から生まれた怒りをダンスに昇華させるビリーの姿は、多くの人の胸を打ったんだよ。君のことを思い、君の夢を叶えたい人はたくさんいるんだよ。

そう、最初はバレエに反対していた父兄も、ビリーの夢を断ちたくて言っているのではないのだろう。
きっと、炭鉱夫という命懸けの職業で、命と未来をかけてストライキを起こし、愛する妻(母)に会うことも叶わない。傷ついている彼らにとって、当時偏見の色が強かった同性愛者としてのビリーを守る余裕は彼らには毛頭なかったのだ。
上述した状況下でリスクを冒さず大人しくしていてほしいという気持ちも、ストライキの最中でもっと男らしく逞しくなってほしいという気持ちも、わからなくはない。

とはいえお父さんが、生前妻が愛していたピアノを懐かしむようになぞる息子の行動を止め、さらにはそのピアノを薪としてくべて暖を取っていた。
泣いてこそいたが、どれほど心が痛かったのだろう。1984-85年の炭鉱ストライキがもたらした困窮・死闘・分断は、人々の心を蝕んでいたことを再認識させられた。

そんな苦しい展開が続く『リトル・ダンサー』だが、最後にはこの想いが報われることになる。ビリーはロイヤル・バレエスクールに受かったのだ。映画全体が粋な演出で埋め尽くされていると感じていたが、合格発表の後に父親が坂道を駆け上がるシーンは本当に秀逸だった。しばらく心に残るだろう。

ビリーは、あの日つまらなさそう!と感想をこぼしていた『白鳥の湖』でプリンシパルとして登壇する。そこには、ビリーと同じく好きなことを貫くことに成功したマイケルもいた。

ああ、よかった。みんな元気だ。そんな風に呑気に思っていると、優雅に舞台を舞うビリーに心が揺さぶられ、ブワッと鳥肌が立った。鳥肌が立つなんて久しぶりだ。再び呑気なことを考え始めた頃、映画は終幕を迎えた。

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