錯覚
2ヶ月ほど前、恋人と距離を置いてから、最近、別れた。
恋人同士が距離を置くに至る経緯やそこに付属する心情が今までこれっぽっちも理解できず、「早く別れたら良いのに」とすら思っていたのでまさか自分がそちら側に属することになるとは思いもしなかった。
さて、距離を置くのに至った理由は、恋人から告げられた
「ねむちゃんのことを好きだと思ってたけど、錯覚だった。」
という台詞がきっかけだった。
このセリフの背景として、私たちの関係性は所謂遠距離恋愛だったことが関係している。
付き合って1ヶ月目は遊びたい放題だったし、会いたくなったらお互いの居場所まで会いに行く が容易に叶っていたのに、2ヶ月目でぱったりそれが叶わなくなった。そんな背景があったため、
「そりゃあ、今まで散々会えてたのに急に会えなくなったらそう思う時もあるだろ! 」
という言葉がつい口をついて出そうになったが、やめた。
距離を置くに至るまでの交際期間も短いものだったため、思ったことを心から言える信頼関係も抱けていなかったからだ。
正直遠距離を始める前に互いの希望や、遠距離に関する連絡の頻度などの擦り合わせをめちゃくちゃしておくべきだとは思っていたが、話し合いをしよう!と提案して、揉めるのが怖くて言えなかった。
タラレバ話の中でも近年稀に見る情けないタラレバだろう。
なんせ私たちの元の出会い方が 先輩・後輩 で、彼は就職したての社会人、私はぱっと見めちゃくちゃ自由そうな大学生、という関係性であった。
そりゃ、遠慮なきように!を心がけていようともちょっと萎縮する気持ちもわかってほしい。
それに、これも今では後の祭りだが、私は彼が社会人になりたてということを彼が想像する以上に考慮していたつもりだった。
上下をしっかり!とか彼をたてる!そういうことではなく、ただでさえ、新しい環境に慣れるので精一杯な中、''なんだか自分よりとっても余裕と自由がありそうな恋人''が「会いたい」「電話しよう」「いっぱいLINEしよう」といった直接的な言葉じゃなくても、たくさんコミュニケーションを取ろうとする姿勢を見せてきたら、きっと
「遠距離だもんな、コミュニケーションはたくさん取らないとな!」
という気持ちよりも、
「うるさい、俺は忙しいのにこいつは暇やからあいたい会いたい言えて楽やな、俺は忙しいのに」
と思うだろう(し、実際そうだった)から、上記のような発言・態度は避けた。正直寂しいなと思うことも少しはあったけど、遠距離は一生続くわけじゃないし、またすぐ会えるから!と自分を鼓舞していた。
そんな私は忘れていたのだ、この関係性もずっと続くと約束されているものではない ということを。
彼から、冒頭の発言がなされるまで、なんの予兆も、猶予もなかった。
喧嘩はしたことないし、なんで?
そんな思いがずっとぐるぐる回っていた。
気になって なんで? と率直に聞いてみたけど
整合性の取れた理由を話す愚か馬鹿の一つ覚えかのように
「ねむちゃんが」「ねむちゃんが」
としか言ってこず、画面上とはいえ最後に見送る彼の姿がネムチャンガ星人と化した彼なのはなんだかとても嫌だったので途中で切り上げた。
画面上でいつにもなく円滑に言葉のラリーをしている最中、私は、
なんでこうなったんだろう
別れたくない
と考えるよりも、
自分の語彙の無さを恥じていた。
ラリー内で彼に言いくるめられたわけではないし、その逆でもない。
ただ、私は今まで自分が培ってきた語彙力が、韻を踏んだり、言葉遊びをしてみたり、''自分のこころを少し楽しくするためだけの語彙力''で、''人と向き合う際に自分の気持ちを正確に言語化するための語彙力(=相手に自分の気持ちをまっすぐ伝えることができる語彙)''を持ち合わせているわけではない。ということに会話を通して改めて気づいてしまったのだ。
自分の気持ちが伝わらないこと
想像はできているのに、上手く言語化できないこと
伝えたはずの気持ちが違う解釈で伝わること
の悔しさを、地球に生まれ落ちて22年とちょっとが過ぎた頃、ようやく知った。
そんな思考が一度生まれて仕舞えば、距離を置いて以降も
''もっと私が今まで些細な気持ちも言葉にできていたら、言葉にする力がもっとあれば何か変わったのかな''
と悶々とする夜が続いた。
しかし、いずれも「彼とのお付き合いを辞めたくない!」という気持ちに紐付いてはいなかった。
そこで、私の彼に対する恋だと思ってた気持ちも、実は錯覚だったんじゃないか、と思うのであった。
眠たくなってきたのでここらで寝ます。
お休みなさい。