#137 医師が覗き見る「日本社会のイマ」
世界経済はスタグフレーションに陥るのであろうか?米国は基軸通貨国でもあり、そうなれば日本を含む世界各国へ不況の波は津波のように押し寄せてくる。
今回、1960年終盤に始まったスタグフレーションを振り返り覗いてみる。
1960年代の後半、第二次世界大戦後の経済ブームに陰りが出てきて、アメリカは国際競争が激化するなか製造業における雇用の減少、ベトナム戦争への多大な支出などが重なり、労働組合の活発な活動も影響、失業率とインフレ率が上昇した。これは日本やドイツの戦後経済が急成長して、米国にブーメラン効果として、降り掛かって来たとも言えよう。それに追い討ちをかけるようにオイルショックが起こり、失業率の増加にも関わらず高インフレが定着する異常事態となってしまった。
1971年から1978年まで、FRBはインフレ対策として政策金利(FFレート)を引き上げ、その後、今度は不況への対策として同レートを引き下げた。このちぐはぐな政策によって混乱に陥り、インフレがさらに進んだのである。
1980年にはCPI(消費者物価指数)が13.5%に達した。FRBは最終的に政策金利を20%近くまで引き上げピークに達した。これにより1990年入りインフレの嵐はようやく沈静化したのだが、苦しく暗いトンネルは20年間続いたのだ。
当時、米国に居た私も、20%以上の高金利を提示する定期預金が紙面に溢れているのに驚いた。その様な金融機関は現在は倒産するか、吸収合併され消え失せている。
さて現在に目を向けると、 CPIは8%台の高水準である。FRBは政策金利を従来の3倍の0.75%にして切り上げを急ピッチで繰り返していて、現在は3.25%に到達した。最終的には来年3月時点で4.75%までにすると言う。その間にFRBは資産縮小を図り、過剰になったドルを引き上げて行く。結果、CPIが時間差は有るのだが、4.75%を下回り、インフレが沈静化するシナリオを描いているのだろう。
この到達点の上方修正をめぐりウクライナ戦争の行方もあり、論争があるのであり、不透明感につながっている。
すでに言及した1970年代との違いは
米国の失業率が低い状態で推移している事である。
さらには現在の経済の構造は進化して、賃金の上昇は物価上昇率 ではなく生産性の向上に見合ったものとなっている。以前のように物価が上昇したから、賃金を上げろという様な労働組合のプレッシャーは軽微である。
加えて米国はすでに原油輸出国である。たとえウクライナ戦争があるとはいえヨーロッパに比べてロシアなどの産油国の影響を受け難い。
確かにコロナショック対策として、金融緩和を行い金余りを来した。これは戦後経済の過熱とベトナム戦費で過剰な金融緩和に陥った1970年代と相通じるのであろう。
色々と憶測されるのだが、FRBは1970年代とは違うと考え、政策金利による誘導で、スタグフレーションに陥る事なく経済は軟着陸すると読んでいるはずだ。政策金利を4.75%にしても当時のような不況には陥らないで、インフレの沈静化が実現出来ると読んでいるはずだ。
にも関わらず、FRBは『経済への痛みを伴うとしてもインフレとの戦いを続ける』とタカ派姿勢を鮮明にして、主張を繰り返す。
痛みとななんぞや?
それは反射的に1970年代のスタグフレーションを連想させてしまうのだが、果たして適切なメッセージであろうか?
これを聞いて喜ぶのは大儲けを企むヘッジファンドだけではないだろうか?
postーコロナでは冷静になるべきであり、コミュニケーションスキルが求められる。
コロナに密着して行きます。
FRB:米連邦準備制度理事会(Federal Reserve Board)の略称で、米国の中央銀行。FRBは金融政策の実施を通して、米国の雇用の最大化、物価の安定化、適切な長期金利水準の維持を実現し、その結果として米国経済を活性化することを目標としいる。
オイルショック:1973 年に第四次中東戦争を機に第1次オイルショックが始まり、1979年にはイラン革命を機に第2次オイルショックが始まり、ピークは1980年であった。石油輸出国機構(以下OPEC)諸国の国際収支黒字は、1973年の時点では10億ドルであったが、1974年には約700億ドルに急増。一方、発展途上国向けの民間銀行貸し付け額は、1970年の30億ドルから1980年の250億ドルに跳ね上がった。
スタグフレーション:経済の成長率が低く、失業率が高いときにインフレが起こった状態。本来、これら3つの要素が同時に発生することはない。失業率とインフレは相反するのが普通だからだ。即ち、失業率が上がれば、インフレ率が下がり、失業率が下がれば、インフレ率が上がるはずなのである。しかし、1970年代のスタグフレーションが示すように、この相関関係は絶対性がある訳ではない。