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下記の文章は私が書いた文章に対して、過去に応答した、私と或る友人との内容です。 友人の許可を得て再掲載します。 私が考察して書く内容は金太郎あめのように殆ど変りません。 ーーーーー 私が書いた「洞察力」「玄人」の考察内容は小林秀雄の「批評家失格」の中に書かれている次の引用文と同じような問題を含んでいます。 「― 『芸術を通じて人生を了解する事は出来るが、人生を通じて芸術を決して了解する事は出来ない』と。これは誰の言葉だか忘れたが或る並々ならぬ作家が言ったことだ。一
「暗き淵より」 おれの全意識を一変させたあの内的体験以来、おれは死者達のなかで生者となり、生者達のなかで死者同然の存在となった。 おれはおれの意識すべてを自他のうちに溶解させた。一切の境界が消えうせることによっておれの肉体は軋み、悲鳴をあげた。 獣をならすようにおれはおれ自身を制し馴らした。日常生活そのものが嵐となった。 おれはその状態のなかで狂気の何たるかを思い知った。自己を制するためには言語による透徹した思考と不屈の意志力は必然であった。 生来の相対的自己意識が無
「 ねえ明日って、お祖父ちゃんの誕生日よ。」 「 それを言うなら命日でしょう。」 「 どっちだっていいだろう。同じ日に生まれて死んだんだから。」 土曜のランチにお肉と野菜のサラダとリゾットの大皿を囲みながら、白い手袋を思い出した私は切り出し、母が応じ、父が応えた。 我が家はどんな記念日にももう、お祝いというものをしたりはしないのだが、お祖父ちゃんが生まれて死んだ日の前夜には、何となく厳かにご飯を食べる。 このお祖父ちゃんとは父の父で、絵に描いたような頑固
「死と対峙する」 *写真は私が40歳(1990年)の時です。(むむ、、若い、、。。) 、、この年の暮れに肺結核になった、、。。 ーーーー 私は過去に何度も死にかけた事がある。 5歳までに3回ほど水中で溺れた。 私が幼かった頃、年に一度は筑後川の支流沿いにあった村の堤防が決壊していた。一度目は洪水の後で父がたらいの中に私を乗せて泳いでいた。 私はたらいを揺らすのが好きっだったらしい。揺れるのが余程面白かったのか、たらいを何度も揺らしていた。そのうちにたらいがひっくり
源言語表現としての朗読 如何なる表現形式であれ、表現する以上は常に表現者の意図が核にある。 特に肉声による表現は、顕す人物の魂、精神の在り様が直に顕れる。 私は「朗読」という一般的名称に拘るつもりもないが、別に良い名称があれば変えたい、と軽く考えているが、中々適当な名称が思いつかぬ。 名称も大事なものとは思うが、問題は表現の内容である。 言霊という概念も用いる事は誰でも簡単であるが、それを表現出来るか?となれ
二十六歳の時に私の精神、全意識を震撼させ一変させるような事件が生じた。 私は食を断ち、七日も経てば自分が無感情になるのは知っていた。ただ、包丁で玉ねぎなどを刻んでいると、不意に自分の手首を落としたくなるという衝動が何度も湧いた。 私は自身のバランスを取る為に全ての行為に反対の概念を念仏のように繰り返していた。私が食を断っている時にも客には様々な反応が生じた。私はそれらを全て無視した。 私が体験した「魂的内的体験」を他者に語っても変人、狂人扱いされるであろうことは自明