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「暗き淵より」

「暗き淵より」


おれの全意識を一変させたあの内的体験以来、おれは死者達のなかで生者となり、生者達のなかで死者同然の存在となった。


おれはおれの意識すべてを自他のうちに溶解させた。一切の境界が消えうせることによっておれの肉体は軋み、悲鳴をあげた。
獣をならすようにおれはおれ自身を制し馴らした。日常生活そのものが嵐となった。


おれはその状態のなかで狂気の何たるかを思い知った。自己を制するためには言語による透徹した思考と不屈の意志力は必然であった。

生来の相対的自己意識が無かったら父、兄弟のように精神のバランスを失い、今のおれは存在しなかったであろう。

おれは魂の裡にありとある人々の人生を内観、観知った。  
個人史と人類史が重なり、歴史上の人物達はおれに助言を与える友人となった。
死者達と対話し、生者達とは現象的には火花を散らすことになった。おれにとって一般に直観とか、無意識といわれているものは日常の意識と化したのである。

名状しがたい苦痛と悲哀の中心におれはおれ自身を埋葬した。自己覚醒に至る道、この課題自体が人類生存の根本課題であった。

無知の知が出発点であり、日常生活に血肉化しうる基本の意識そのものであった。


おれは意識的にあらゆる人々の魂の最奥まで入り込んだ。デイオニソスの秘儀参入であった。
まさにあらゆる地獄めぐりであり、常人の意識では耐えうる光景ではない。
日常の実生活のなかでもその状態が続いた。

観念も想念も心情もすべて一緒くたとなり感覚的知覚としておれのなかに流れこみ、受けた。
まともに人間と呼べるような存在はどこにもいなかった。喰うことすら戦いであった。
おれは自分自身の肉体に無理矢理エサを流し込んだ。

先に言った、生来の無邪気な相対的意識と頑丈な肉体が無ければ、心身共にバランスを失ない自滅していただろう。
又、おれが知る限りあの真空の闇の意識に耐え得るほどの強い個人は存在していなかった。


おれがかかる物言いをしても他者は信じまい。
だがおれは後から同じ運命を具えた者の歩む存在の里程標となるだろう。

出来得る限り先に、深く強く自らを変容させねばならぬ。

自明の事だが、神秘学と呼ばれる分野にも深く関わる。
しかし、神秘学用語を用いずに日常化する事の意味は今の時代のなかでは最も重要なことである。
この事を自覚的に活動している個人におれは今だ会った事はない。小林秀雄ですら文章表現にとどまった。
他の自称神秘家と称している連中はいわゆる心理学の範疇を出ていない。いやになるほどのどかな光景である。


どれほどの天変地異、人災があっても単なる一現象として終わるであろう。
人はそれぞれに準じて使命、役割を具えている。
だが、その覚悟に目覚めるのは自己の内的要求によるものだ。
さらに言えば、聖者の意識に達し得たとしてもそれで終りではない。

自己認識に限界はない。
常に途上であり、神々と共同作業を通して自らを高め、成長させるにすぎぬ。
ただその日常化がすこぶる困難である事はいやになるほど事実である。

人間として誰でもが歩む道なのであるが、今のところその自覚は難しい。
特に近代から現代におけるあらゆる分野における芸術表現は個人の魂の内的プロセスそのものである。
しかし、ほとんどの個人は今の時代の内容ゆえに方向性を見失なった。
すべての価値観の相対化と自由の名の元に何もかもが私物化された。

実に暗澹たる状態である。ゆえに分野を越えて交流するためにはど
うしても魂の遠近法を用いる必要があった。偏見と無意識の恐怖は魂をゆがませる。
特に論理で武装した物知りほど混迷の度は強い。

物神思想の力は今日魂の無意識の部分まで強力に作用している。
オカルト思想にまでその力は及んでいる。
由々しき事態であるが、この状態を説明するのは困難である。

現代の思想の最先端と思われる人智学運動すら創始者のルドルフ・シュタイナーの教義をすでに形骸化させている。
興味があれば直に当人のを読むべきである。
又、この思想に共感、反感、異論があればいつでも応じる。

ゲーテの「ファウスト」は悟性の限界の魂の在りようを現したもので、そこに登場するメフィストフェレスは先程から言っている物神そのものである。
別名アーリマンとも呼ばれている。それにルシファーが加わる。物知り魂はルシファーによって仙人のような空間に引き込まれる。
そこかしこにあふれているオカルト的書物、団体等はこの両方の魔手によって背後から操られている。
最も熾烈な戦いの相手である。

加速度は増している。おれは常に自らにあせることの危険を日々呪文のごとく唱えながら存在している。


ゆえにまだまだおれは魂の遠近法を手放すわけにはいかぬ。次々にやらねばならぬことがある。
          
                          

一九九七年三月一日


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