香菜さんの男子禁制酒場(4)「マンスプレイニングという名の公害」
(前回のお話はこちら↓)
東京から車で片道4時間かかる山間の町。
そこには古民家を改装したお洒落で小さな居酒屋『円』がある。
『円』は香菜さんというキリッとした美人女将が一人で切り盛りしている。
この女将、料理は美味いがかなりの気分屋。
メニューはその日に仕入れた食材と気分で決める。
だから「いつもの」なんてオーダーは出来ない。
ただこの山間の町は豊かな山の食材と、隣町の海から採れる海の食材に恵まれて いるので、何を食べても美味しいしまずハズレはない。
ただ困った事に香菜さんには「好きな食材にハマると、徹底的にその食材を使ったメニューを作る」という癖がある。
「ブーム」という奴である。
パクチーだったり、チーズだったり、山芋だったり、
ついこの間まではなぜか、餅…。
まるで親の仇のようにその食材をアレンジしたメニューが次々に出てくるから、その食材が苦手な客は辛いかもしれない。でも、今までにない食材のアレンジメニューに触れる事によって、苦手を克服した客は多い。
『円』の常連であるタクさんと祐介もその一人である。
「なんだ、また山菜?」
目の前に出された小さなキッシュをジッと見てタクさんは言う。 中に入っている具材はぐるぐると渦を巻いた植物。
どうやらワラビとコゴミである。
今、この山の町は山菜が採れる季節になった。タクさんと祐介は山の町で 移動スーパーの運転手をしている。 この時期、限界集落を巡っていてよく売れる商品が重曹だ。
山菜のアク抜きとして使われるのだ。そしてアクを抜いた山菜を使った料理をお客さんから逆に差し入れとして頂いている。
それなのに『円』でも連日、コシアブラ、フキ、ウド、たらの芽、セリ、 行者にんにく、フキノトウと山菜責めのお品書きが続いている。タクさんと祐介は少々、山菜に食傷気味であったのだ。
「『また』って何よ。『また』って。嫌なら食べなくても、あ、なんなら来なくてもいいわよ」
「ひでえなあ。嫌なら来るなって。チンピラ経営かよ」
タクさんはグチグチ言いながら一口食べる。目の前に出されたキッシュをあまり気乗りせず、じっと見つめていた祐介も一口、口の中へと運ぶ。
その瞬間、二人は目を見開き見つめ合う。
「いけるな、これ」
「ですね!複雑な苦味とエグ味のパンチが効いててビールに合います!」
「フッフッフッフ」
苦手だと言っていた人が「美味しい」と評価を変えると、香菜さんは 勝ち誇ったような顔をする。
こうところは本当に大人気ない人なのである。
そんなクセの強い香菜さんが切り盛りする「円」は、母性や安らぎを 求める男性客にとっては居心地が悪いところなのかもしれない。
その上、下品な言動をする酔客には厳しくレッドカードを叩きつけ、態度によっては永久に出入り禁止を申し渡すらしい。
タクさんもしょっちゅうイエローカードを出され、二ヶ月に一度はレッドカードを叩きつけられる。それはしょうがない。タクさんは酔うとかなりうざいのだ。では永久に出入り禁止になった客は一体何をやったのだろうと 祐介は思う。
香菜さんに聞いたら、かつて二人、そんな男性客がいたらしい。
そして今夜、祐介が一緒になった客は、永久に出入り禁止を申し渡された三人目の客の話だ。
「こんばんは」
ぱっと見、四十代後半、グレーヘアにメガネをかけた男性客が微笑んで店内に入ってくるなり、香菜さんの表情が硬くなったのを祐介は見逃さなかった。
「あら、高森さんいらっしゃい。どうぞお好きな場所に座って下さい」
香菜さんは瞬時に笑顔を作ってその男性客に言った。
「言われなくてもそうするよ」
高森はカウンターの真ん中に座り、端っこにいるタクさんと祐介にチラリと目をやった。
週に最低二回は「円」に訪れる常連、タクさんと祐介も、一度も見かけた 事はない客だった。そもそも住人が皆顔なじみのこの山間の町で、初めて 見る顔である。
もしかして、東京に住む香菜さんの元旦那?と祐介はタクさんに口パクで 聞くが、タクさんは首を傾げる。
「とりあえず合格」
高森は香菜さんに微笑んで言った。
「え?」
「二回しか来た事のない客の名前をちゃんと覚えていて。女将として合格 かな」
一瞬、香菜さんの顔が強ばるが「そりゃあ接客業ですから、覚えてないと失礼ですよね」と笑顔で高森の前にお箸を並べながら言った。
「あ、この箸置きって、山奥の財前窯のものでしょ?」
濃い藍色の勾玉の形をした箸置きを手に取って高森が言った。
「よく御存知ですね。私、あそこの窯の焼き物、大好きなんです。
大らかでゆったりした感じがして」
「へえ。僕はあそこの二代目と知り合いなんだよ。前に財前窯を取材した 事がきっかけでね。それ以来、デザインの相談とかされるんだよね」
「…そうですか…」
「僕を通せば安く仕入れられられたのに。あ、今度、二代目言っておくよ。『円』の美人女将をよろしくって」
香菜さんが笑顔で高森に目礼を送る。
『取材』『デザインの相談』という言葉から、タクさんと祐介は高森の職業を想像する。テレビ?出版?メディア?香菜さんはこの山の町でお店をやる前は、東京で料理雑誌の編集者として働いていたから、その関係者だろうか。
スタンドカラーの白シャツの上にツィードのベスト。銀縁フレームの メガネ。何となくインテリをアピールしたこだわりのスタイリング。謎だ。気になる。
タクさんと祐介の値踏みするような視線に気付いた高森は軽く頭を下げる。
「初めまして。高森と言います」
「どうも西村です。あれ、あんた、こっちの人?」
タクさんがお得意の不躾な質問をぶつける。
「東京です。でも半年前からこの町で週末移住っていうのをやっているんですよ」
「週末移住?」
「僕は自分でウェブメディアを運営してましてね。主に地方創生の分野なんですが、こっちにオフィスを兼ねた住居を構えていて、行ったり来たりしながら仕事をしてるんですよ」
「へえ。それは理想的な働き方ですね」
祐介が感心して話しかける。
「正直、コロナで東京にオフィスを構えているのが難しくなったっていうのもあるけど。でもこうしてこんな美人女将がいるお店を知って、ラッキーだったよね」
高森は目を細めて香菜さんを見つめた。
「それはありがとうございます」
香菜さんは微笑みながら言った。
タクさんは「ケ」という顔をしながらビールをあおった。
「あ、これ忘れてた。お土産」
高森は香菜さんに小さなペーパーバックを渡す。
白い和紙に金色の稲穂をかたどった模様が描かれている。
「そんな。気を使わないで下さい」
「いいから。ちょっと開けてみてよ。これ、手に入れるの大変だったんだ」
香菜さんがペーパーバッグから取り出した小さな箱には 『大吟醸生チョコ』とある。
「へえ!日本酒のチョコじゃん!美味しそう」
目ざとく見たタクさんが、自分への差し入れでもないのに声をあげた。
香菜さんの笑顔は強張っている。
高森はチラッとタクさんに目をやるがスルーして香菜さんに対して言葉を続ける。
「この前、差し入れした黒糖焼酎のマロングラッセはどうだった?」
「ごめんなさい。私、前も言ったんですけど、甘いものが苦手で」
「うん。覚えているよ。でもさ、甘いものが楽しめないって、人生の楽しさの半分を失っていると僕は思うんだよ。何とか甘いものの美味しいさを女将に知って貰いたいから、こうして差し入れしてるんだ。君は美味しいものを作る仕事だよね。 これを食べてもっと食の世界を勉強した方がいいよ」
目を細めて優しく諭すような声で高森は言った。
「そうですね。ありがとうございます」
死んだ魚の眼をしながら香菜さんは棒読みで答えた。
「えーと、今夜は何にしようかな。まず、海の町のビールを頂こうか」
海の町のビールとは、隣町にある小さな醸造所で作られた地ビールの事である。この地方では人気のお土産でもあるのだ。
「はーい。今日は4種類ありますけど何がいいですか? ピルスナー、ヴァイツェン、IPAにポーター」
香菜さんは、高森の前にグラスを出しながら聞いた。
「女将が選んでよ。これから出してくれる料理に合うビール」
高森は笑顔で香菜さんに言う。
「でも、好みもありますしねえ」
「大丈夫。僕は食に関しては何でも楽しめるからお手並み拝見といきますよ」
「はあ」
香菜さんは気の無い返事をして高森の前に黒ビールのポーターを出した。
「へえ。食後に飲む黒ビールをあえて食前酒にねえ」
高森はグラスにビールを注いで一口、味わうようにして飲む。
続いて香菜さんは山菜のキッシュを出した。
「へえ、お通しにキッシュとはお洒落だね。あ、これ具が山菜だ」
「はい。ワラビとコゴミなんです。この山の町では今の季節、
シーズンなんですよ」
「ふーん。山菜をキッシュにするとは変化球で来たねえ」
高森はフォークで器用にキッシュを切り、口に運んで咀嚼する。
「うん、美味しいんじゃない?」
「ありがとうございます」
高森はポーターを一口飲んで口に含み、ゆっくりと飲み込んだ。
「うん、面白い組み合わせだね、結構合う。でも、このエグ味のある前菜でビールを出すならヴァイツェンをセレクトした方がベターな選択だったな。苦味がないからね。まあ、あえてコクのある黒ビールでマリアージュ を狙う、その心意気は買うけどね」
「はあ」
高森は更にキッシュを食べ進める。
「以前、僕はフランスに行った時に芽キャベツを使ったキッシュを食べた事があるんだけど、それよりはちょっと劣るかな。あのキッシュは本当に『春を頂く』って感じだったな。食べた瞬間、温かな風が吹くっていうの?あ、ゴメン、ちょっと キザだったね。このキッシュ、ワラビとコゴミだとちょっとエグ味が強すぎるかな。あ、タラの芽の方が良かったんじゃない?うん、タラの芽がいいよ!」
「はあ」
「でもさ、山菜って下手したらおひたしか天ぷらがテッパンだよね。シンプル イズ ベストっていうの?それをキッシュみたいなお洒落な凝ったお惣菜にするのは、いかにも柔軟な感性を持つ女性の料理人って感じだよね。 僕は悪くないと思うな。そういう女将のチャレンジングな姿勢、微笑ましいよね」
高森はニコニコしながら穏やかな調子で語り続ける。
「はー」
たまりかねたように香菜さんが大きなため息をついた。その尋常でない様子にカウンターの奥に座る祐介は体が硬直する。
祐介はHSP体質なので人の感情や周りの空気に影響されてしまう傾向にある。
香菜さんは両手を腰に当てて無表情で二十秒ほど、一点見つめていた。 見つめていたというより、空を見ていてその瞳には何も映っていないようだった。
無である。
香菜さんから発せられるオーラは鋭く熱量があった。何か、マグマのような感じ。何かがおこるのではないか。祐介の鼓動は早くなる。 む、胸が苦しい…。
と、香菜さんは顔を上げて高森をまっすぐ見て言った。
「すいません、お引き取り願いますか?」
果たしてこれは夢だろうか、現実だろうか。
カウンター席に座る祐介とタクさんは、今、目の前で繰り広げられている 光景が自分の人生と地続きのものかどうか判然としなかった。
香菜さんが目の前の客に向かって「帰れ」と言っている。
しかもその客は酒を飲んで暴れた訳でも、他の客に絡んだ訳でもない。 ドッキリでも仕掛けているのか?
「え?何?そんな、またまたー」
香菜さんに「お引き取り下さい」と言われた高森は一瞬呆気に取られたが、笑顔で取りなすように言った。
冗談だと思っているようだが、心なしかその声は震えている。
「お代は結構ですから、お帰り下さい」
香菜さんははっきりした声で高森に言った。その目はキリッとしている。
どうやら香菜さんは自分に怒りを抱いているらしい。 ようやく高森は気付いたようだった。
「え。ど、どうしてそんな事言うの?」
「不愉快だからです」
香菜さんはぴしゃりと返す。
「そんな〜。そんな事言わないでよ。せっかくこっちに週末移住してきていい店を見つけたと思ってるんだから、仲良くやりましょうよ」
「ごめんなさい。無理です。申し訳ありませんが二度と来ないで下さい」
香菜さんは高森に向かって頭を下げる。
唖然とする高森をタクさんと祐介がチラチラと横目で眺める。
取りなす隙もない雰囲気だった。
すると、笑っていた高森の表情が急に変わった。眼鏡の奥の目が怒っている。
「そんな事言われて、こっちも不愉快だ」
高森の穏やかだった声のトーンが硬く鋭くなった。
「金を払う客を大切にするのが接客業の基本だろ。それを帰れとは失礼じゃないか。僕がここで器物破損行為や迷惑行為をしたらともかく。 一体、君は何様なんだ」
「ですからお金は頂かないと申し上げているんです」
「そういう問題じゃないよね」
ここまで言われても、どうやら高森は出ていかないつもりでいるらしい。プライドを著しく傷つけられたようだっだ。
このままで帰れるかというところだろう。
「人がわざわざ来てやっているのに『帰れ』と言うからには、それなりに 納得する理由を御教授頂きたいものですね」
高森のトーンが少し柔らかくなった。
しかしそれは、年下の女に喧嘩を売られて怒った自分が大人気ないと思ったのではなく、余裕を見せる事で上にたつ、いわば「懐柔」
であるかにように祐介には見えた。
「何が不愉快なのかな?」
「私が作ったものへの長ったらしい評価と感想です」
「そんな…。当然じゃない。君がやっている事は、料理を提供してお金を 貰う事でしょ?」
高森は失笑する。
「食べた人間が感想を言う。それを作り手がフィードバックして、更に美味しい 料理を開発して良いサービスをする。結果として良い店になって、 売り上げが上がる。こんなウィンウィンな事ってないよね。僕はただでコンサルしているようなものなんだよ」
「そんなの、誰も頼んでませんよ」
無表情ではっきりと言う香菜さんに、高森はウッとつまりつつ言い返す。
「じゃあ、何かい?君は客が食べた感想を言っちゃいけない。そういう事か?」
「あなたが言っているのは感想じゃない。マンスプレイニングです」
「マンスプレイニング?」
カウンターの端で香菜さんと高森の言い合いを黙って聞いていたタクさんが、思わず頭のてっぺんから声を出した。
「あ、ごめん。話に入っちゃって。でも、マンスプレイニングって何?」
「マンは男性の『man』プレインニングは説明するという動詞の『explain』。この二つをかけ合わせた言葉が『マンスプレイニング』 主に男性が女性に知識が豊富であるのをひけらかす事です」
香菜さんは淡々と説明する。
「そこには『女は何も知らない、自分より知識がない』という見下した考えがあります。だから私はあなたの話を聞いていて不愉快なんです」
「ちょっと、ちょっと、待ってよ」
高森が笑いながら香菜さんの話を遮る。
「何?ここはフェミニズムを教える大学か何か?女将は上野千鶴子か何かな訳?」
「正論を突きつけられて反論できないから、そんな風に茶化す事で逃げる。殿方の常套手段ですよね」
「逃げる?こっちは穏便にすまそうとしてるんだよ!」
高森は再び声を荒げた。
「それはこちらもです。本来なら『とっとと出て行け』って塩でも撒きたいところですから」
高森は絶句する。
タクさんと遼介もハラハラと怯えながら会話の行方を見守っている。
「料理の感想を言う形をとりながら大して面白くもない上に価値もない自分の知識や経験の自慢話をちょいちょい挟みつつアドバイスして善行気分。それはさぞ気持ち いい事でしょうねえ。それであなたの自己顕示欲が満たされ自己肯定感が上がる訳ですから。こちらとしては聞かされるうちに徐々に気持ちが削られる。分かりやすい セクハラやパワハラのような暴力性が ない事が逆にマンスプレイニングの恐ろしさなんです。暴力ではなく公害です」
香菜さんの遠慮のない言葉に祐介は膝を叩きたい気分だった。
これは女性だけではない、若い男性もやられがちだ。
オヤジの説教と講釈という名の元に。
女性だって男性にマンスプレイニングする。
聞かされた後のモヤモヤと腹立たしさ。
あれは「下に見る」という差別というの名の公害の被害だったのだ。
「私の居酒屋にはマンスプレイニングを聞くというサービスはないし、
メニューの料金に含まれていないんです。こちらで提供するのは、お酒と酒の肴なので。マンスプレイニングをしたければ、銀座のクラブとか、カウンセリングとか話を聞く事が料金に含まれているところでお願いします」
香菜さんの言葉に顔を潰された高森の表情は強張り、かすかにこめかみが震えていたが途端に笑顔になった。そのめまぐるしい表情の変化を祐介は
見逃さず、腹の底が震える思いだった。まさに顔が潰れていた。
高森はゆっくりと大きな拍手をする。
「アッハッハ。これはこれは、小料理屋会の上野千鶴子か小倉千加子といったところかな。ご大層な弁舌、お疲れ様でした」
高森は席を立った。
「残念だなあ。ウェブスタッフとの仕事の打ち上げや宴会は、ここを貸し切ってやろうと思ったのに。売り上げに貢献できたのにな」
フッと香菜さんは鼻で笑った。
「ご安心下さい。うちは貸切りお断りなんです。私、疲れてまで働きたくないものですから」
チッと高森は小さく舌打ちをして立ち上がる。
「あ、これ、忘れ物です」
香菜さんは高森が持ってきた大吟醸生チョコが入った和紙の紙袋を差し出した。
「お持ち帰り下さい。私は言ったはずです『甘いものは苦手』だと。 それを知ってて押し付けるのは強制です。子供の頃、習いませんでしたか?『人の嫌なことはするな』って」
高森は紙袋を奪うようにして受け取った。
「今夜はうちのウェブメディアにこの店を掲載する相談もあったんですけどね」
慇懃無礼な調子で言う高森に、香菜さんは満面の笑みを浮かべてこう返した。
「それは残念です。でも『セレクトした方がベターな選択』なんて同じ言葉を反復するような脇の甘い人が構成するメディアに掲載されるなんてプロモーションの価値ないので」
高森の瞳は一瞬、燃えるような怒りの色を見せ、踵を返して出ていった。
扉が乱暴に閉められた後、『円』の店内はしばし沈黙が流れる。
が、タクさんと祐介が示し合わせたように拍手をした。
「いやあ、すげえ、すげえもの見ちゃった」
「ええ、本当に」
香菜さんは脱力した表情をして二人を見る。
「ちょっと、人のマンスプレイニング被害を楽しまないでよね」
「いや、だって俺達が割って入る感じでもないしさ。めんどくせえ男とめんどくせえ女がめんどくせえ話題を言い合ってるっていうか」
「ふ。確かにね。あーでもやっちゃった。久しぶりにやっちゃった!私、 大っ嫌いなの。ああいう男!語る男!特に食を語る男!虫酸が走んのよ。 編集の仕事している時にもいっぱいいたけど。まあ、でもどこにでもいるって事かあ」
さっきまで勢いの良かった香菜さんだったが、しでかした事の重大さに肩を落としているようだった。
「どうすんの?ああいう男、ネット掲示板とかに悪口を書くタイプだと思うよ」
「いいんだもん。すっきりしたから。あんな男が協力する売り上げに頼る ほどこっちは落ちぶれてないっつーの。ああいうの我慢してたら病気になっちゃうもん」
香菜さんはまるで自分に言いきかせるように言いながら、手元を動かし始めた。
そんな香菜さんを祐介はみつめながら、女一人、社会で仕事をするといろいろあるんだろうなと思う。
高森みたいな男を遼介はいろんな場所で見てきた。見ていた祐介も良い気持ちではなかった。しかしマンスプレイニングされている女性達は皆、微笑みながら話を聞いていた。
だから彼女達が不快に思っているとは思わなかった。
あれはそうか。
利害関係があるから聞いてあげていたんだな。
高森みたいに仕事をチラつかせる奴が多いから。
「はい、嫌なところ見せちゃったから、これは私のおごり」
香菜さんは祐介とタクさんの前に焼きおにぎりを出した。
「やったー」
焼きおにぎりには味噌が塗られ、その味噌もいい感じで焦げている。
「あれ?この味噌って…」
「そ、蕗味噌。それをね、塗って焼いたの」
「へえ」
祐介とタクさんは、熱々の焼きおにぎりを手で割って口に運ぶ。
「うん。焼くと蕗の風味がまた変わるね。あれみたい、あれ…」
とタクさんは何かを言おうとしたが「やっぱりやめた」と言葉を飲んだ。
「何よ」
「だってあんなやりとり見せられたら、料理の感想言うの、怖いよ。
俺、責められたくない」
「大丈夫、タクさんの感想はいつも上からじゃなく下からだから」
「なんだよそれ。ほら、あれ、葉っぱの上に味噌乗っけて焼く奴、あれ思い出した」
「あ、嬉しい。そう!味噌の朴葉焼き。そこから思いついたんだー」
香菜さんは鼻歌を歌うように言った。
「でもさあ、自分だって『山菜はちょっと』って嫌がる俺たちに山菜料理出してるところは、あの男と変わらなくない?」
「何よ、いいじゃない。私はハマるとその食材ばかり使っちゃうって事は知ってるでしょ?おかげで今夜は美味しい料理が食べられたじゃない」
「まあ、それは事実ですけどね」
祐介とタクさんは笑う。
「でもさ、美味しいものを楽しめるのって、それはまあ幸せな事だとは思うけど」
香菜さんはふと独り言のように言い出した。
「こんな仕事しておいてこういう事言っちゃうのはあれだけど、まずいものを楽しめる人の方が豊かだなあと思う。そういう人、好きなんだよなあ」
あれだけ完膚なきまでに相手を言い負かす香菜さんはバツイチだ。
彼女と結婚していた相手はどんな男だったんだろう。付き合っていた男達はどんな人間だったんだろう。
祐介は想像がつかなかった。
だけども、なんだかとても気になった夜だった。
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