「不登校」ではなく『学校に行かない選択』という言葉がしっくりきた
この言葉を探していたのかもしれない。
不登校の子どもを持つわたし、晴れパンです。
意味は同じなんですけどね、心持ちが違うというか。
本気で病んで不登校が始まった息子のときから、さらに半年を経て、ムスメも入学したものの不登校状態となり。
で、結局今、どちらも心身ともに元気。
これはもう『学校に行かないことを選択』した我が子たちの物語なのかとさえ思ってきた。
学校に行かないという事で、起こる変化は一体何なんだろう。
得体のしれないモンスターと戦うわけにはいかないので、少しまとめていこうと思います。
1.頭の中が整理できなくなってきたときに私がすること
メタ認知をするために、今頭の中にある、ごちゃごちゃになっていることを、白い紙にざーっと書き出します。
単語を連ねて、線でくっつけてみたり、一番今気になってるやつに丸をつけてみたり。
最近の白い紙の中心となった事柄は、
このあたりでしょうか。
その中心を軸にして、生活面・気持ち・将来の展望について、
『できること』『優先順位』『やめること』『しないこと』なんかを決めていく。
2.そうそう!そうなのよ!『大人になったら楽しいんだぞ!』
Tomorrowさんの記事で、出会ったこの曲。
そうそう、そうなのよ。
学校に行く意味や勉強をする意味を聞くと大人や先生や親たちは、
「大人になった時に困らないため」と言う。
(大人になるって困るの?)
じゃ、大人になんてなりたくないよね?
いやいや、そうじゃないのよ。
今生きることに、学校に行くことに苦しくなってる子供達よ。
『大人になるって楽しいから!』
子どものときが楽しくないなら、なおさらよ。
社会は、世界は、思ってる何倍も広いから。大丈夫よ。
大人になるとね。
嫌になったら、逃げ出す場所も今よりいっぱいあるし、自分で選べるようになるのよ。
3.『学校にいかない選択』した我が子達に、親の私ができること
まず義務教育は親に課せられた義務なので、学ぶ機会は持たせてあげないといけませんよね。
そしてこれは、学校に絶対に行かせるということではなく、【教育の機会を与えるという義務】であるはずなので、場所はどこでも良いですし、どんな形でも良いわけです。
子どもには義務ではなく【学ぶ権利】があります。
私にできることって、、なんだろうな。
抽象的すぎですかね。
まー結局、
『親も子も元気で、一緒に楽しむ』
これが1番です。
4.『学校』の価値・居場所という意味
来月運動会があります。新1年生のムスメちゃんも全く出たいとも思わないらしい。(私も足が遅かったので、子どもの頃同じ気持ちでしたけどね)
子どもが幼稚園や学校に行っていたころは、親としても大イベントだったんだけど。今となっては、子に苦行を強いることのように思えてしまう。
学校行事のない国もあるくらいです。
社会性や規律性?他の方法でも育むことができるということでしょうか?
息子くんは小2の学術発表会の直後に学校に行けなくなりました。
それが原因の一つだったのか、いまでも良く分かりませんが。
多様性が求められる時代。少し考え直しても良いんじゃないかな?
とりあえず今は、繊細児のムスメちゃんには練習や当日参加は難しそうです。
5.不登校はお金がかかるのだ!
綺麗事では片付けられない。
そう、全員在宅ということは、、、お金がかかるのだ!
息子はすでに給食費を今年度止めました。が、ムスメちゃんにはまだ行く可能性(ふわふわ)してるので、止めていません。
でだいたい毎日、みんなで家で昼ご飯を食べるのさ。
校外学習と称して出かけてしまえば、お腹が減ったと子どもの大合唱🎤が始まり、何か買わされる。
家庭学習のためのタブレット学習費、工作に使う材料。
あとお菓子🍭ジュース🧃「ママみたいに太るから程々にしたら?」という魔法の呪文で、ピタッと食べる頻度が減りました。(どういうことじゃい!)
そんなわけで、そろそろ生活面の心配もしていかないとな〜
もうすぐ5月に入りますね。
少しわたしも気持ちを上げて、新緑のマイナスイオンを貰って、陽の光を浴びて、ぼちぼち元気を出していかないとな。
何をしよう。何をしたら、自分のために面白くできるかな。
子どものことだけでなく、自分のこともたくさん労って、考えてあげよう。
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