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真夜中のぽっかりそこにある大きな小さな穴🕳️

目が覚めたら、真っ暗だった。
いつも「家族」で食事をする畳敷の、1番広い部屋の隅に置かれていた折り畳み式の簡易ベッド?(何故そんなものがあった?)を広げて、そこにいつの間にか寝てしまっていた。
10歳だったか、11歳だったか、小学生の時だ。
(え?寒い!寒いよ!暗いのは怖いよ!)
そんなところで、眠るつもりも真っ暗な誰もいない部屋で唐突に目を覚ますつもりもなかった。

ただただ悲しくて居た堪れない気持ちだけが、取り残された部屋の中で一緒に居た。
何時なのか、確かめる気もしなかった。状況が受け入れられない、ことがあった。その続きが、真っ暗な部屋で独り目を覚ますことだった。

その状態から遡ること数時間前、学校から渡された1枚の用紙が、両親と私の間に置かれていた。
そこは、少し前まで夕飯が並んでいた食卓だ。片付ける忙しさに、大人たちは動いていたのだろう。
そして間もなく、年の離れた幼い妹たちも寝かさないといけない時間だったのだろう。
学校から渡された、私に関わる1枚の用紙に、母も父も真剣に向かう時間は、無かったのだろう。
大人たちのイライラしたピリピリした空気が、漂っていた。それは既に私を怯えさせていた。

その用紙は、進級に伴い記載しなければならない、保護者からの「児童の所見」という役割を持っていた。
細かい事項は忘れたが、おそらく様々な「個人情報」に類すること、だった気がする。
明日、登校時に持参して担任の教師に渡さなければならない。
その中に、印刷された文字で
「長所」とあり、長方形に囲われた空白。
「短所」とあり、長方形に囲われた空白。
が、あった。

「長所」の欄を指差し笑いながら父が言った。
「何も思いつかないな!」
母もそこを覗きながら、「ほんとね!」と言った。そして笑いながら「短所ならいくらでも書けるのに!」と続いた。
父も「そうだ短所しか書けないな」と笑いながら母に並んだ。(因みにこの夫妻の仲は良好だった印象)

両親の不思議な(としか見られなかった)盛り上がりを眺めながら、どんどん悲しくなり目から涙がぼたぼた流れた。
そんな私の様子を見ながら両親は急に不愉快そうになり、小学生の私にはその様子がひたすら怖かった。自分の悲しさを伝える隙もなかった。
そして父に言い放たれた。
「冗談の通じないつまらない人間!」
母もそれに続けて「なんなの?その態度?!」
態度も何も、ぼたぼた涙を落としていただけなのに、あまりの理不尽さに驚いたくらいだった。

つい先ほどまで、面白そうに楽しそうに「長所はないなあ」と笑顔で盛り上がっていた両親は、もうどこにもいなくて、怖い表情になり私は睨まれため息をつかれ、そこに放置された。

そこからの記憶が殆どない。
放置された後、泣きながらその簡易ベッドに眠ったのだろう。春先の夜中の冷え込みもあり、目が覚めたのだと思う。毛布も何もかけられずにいたので、本当に放置されたんだな、と想像した。
その状況は、とてもとても悲しいことだった筈だ。
でも、私の悲しさは数時間前の両親とのやり取りに集中してしまい、他に使える余裕がなかった。

長所がない。。。
短所しかない。。。
長所がない。。。
短所しかない。。。

その言葉たちが、頭の中にぐるぐる回転しているようだった。そこから絶対外せないものを置かれたようだった。

暗い場所や暗い部屋が苦手で、祖母と同じ部屋でなら、天井からぶら下がる小さな豆電球でやっと眠ることができる子だった私には、目が覚めた真っ暗な部屋の怖さにも徐々に覆われて、寒さと怖さと悲しさは、大きなぽっかり空いた穴を登場させた。そしてそこに独りでいるような孤独。

あれから50年以上経つ。
当時の両親の年齢もとっくに過ぎている。

でも、小学生の自分を飲み込むようなあの大きな穴は相変わらず存在している。自分の物理的な成長に伴い、そこまで大きく感じない筈が、突然、成長した私用の大きさの穴として登場する時もある。
何かの条件が揃うと、現れる。
なんとか、消そうとした。闘いもした。見ないようにした。感じないようにした。手強い!と思えばモンスター化させてしまうぞ!と自分に言い聞かせた。思い付く色々な方法で取り組んできてもいる。時にそうやって取り組む疲労感で潰れそうに、何度もなった。(薬物の類は使ってない)
まだ続いている。

ところで、あの件の「用紙」は結局のところ何を書かれて担任の教師に渡されたのか、一切覚えていない。
問題となった「長所」も「短所」も、穴の中🕳️に潜んだままだ。

※drawing    ごごんまる

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