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謡の間にて 舞って紅 第十三話

 アカは、安行に連れられて、一つ手前の間、と言われた部屋に向かった。先程の作業部屋から、廊下を戻ること、ものの五分だが、建物の中の五分というのは、アカにとっては、とても離れている気がした。普通の貴族の部屋は、大きく間仕切りで、その役割を分けているが、その小さな部屋というのは、そもそも、物入れのような役割をしている場所らしい。

 まあ、貴族の御屋敷というのは、得てして、こんなものだとは、アカも経験的に解っていたが。多分、ここと、あちらを行き来するのだろう・・・なのが、安行なのだろう、とも、アカは思った。

 襖を開けると、何か、えた臭いがする。少し酸っぱいような、墨と紙独特の臭いでもある。

「あああ・・・これは」
「どうなさったか?安行殿」
「いけない。丁度、ようございました。この文書たちも虫干しをする頃なのでしょうな・・・ああ、紙を食う虫がたかっている・・・わわわ、いかにしたら・・・」
「ああ、虫除けの草をいぶして、部屋中、焚きしめれば、全部、死にまするよ」
「おお、そうか。よくご存知だな。アカ殿は、物知りでもあるのだな」

 都の御屋敷に上がるには、先立っての学びも必定と、先達の姉たちにも教わったこともあり、市井での噂にも耳を傾けるなど、雑多な物知りになるのが良いという。ヤエ姉が、御所の方まで、上がることのできた理由の一つに、多少の文字を読み、書き文字である仮名文字を少し書けたことが役立っているとも聞いていた。アカは、文字は書けないが、多少は読めた。地名や、人の名前、数などの単語でよく見るものは、読むことができた。なので、貴族たちが、油断して、寝所の枕元に放置した、文を盗み見ることで、先行きの奇襲の日時を知って、白太夫に一早く知らせ、事無きを得たこともあった。物知りと言っても、そんな感じだった。アカは、確かに、謡を憶えられる以上、物覚えは良いのだろうとは、自分でも感じていた。

 虫干しには、数日かかるということだった。まずは、大量の燻し用の薬草が取り寄せられた。アカも、安行を手伝い、それを一緒に運び込んだ。まずは、大釜の中で薬草をいぶし、籠をかけて、煙が行き渡るように、部屋の真ん中に置いた。多少、焦げ臭いのは仕方ない。襖を締めきりにしたが、その間も、煙が廊下に流れ出た。

「何事ぞ?」

 忠興と能福も、こちらに、覗きに来た。独得の薬草の焦げる臭いに、慌てて、部屋に戻る。この時ばかりは、作業部屋と、この部屋が離れていて、良かったと、安行とアカは思った。

 その間は、アカは、炊屋を手伝った。山の野菜や瓜、果実類や、山の獣、山鳥の肉、川魚の種類の多さに、やはり、いいなと思った。これだけ、捌くのだから、炊女かしきめの数も必要なのだろう。味見もさせてもらった。命婦殿が、指示をしているという。これらは、基本が、公の塾生の腹を満たす食事になるという。下の務めの者たちが、手弁当で、務めに出る時代だ。公の立場だからこそ、できる贅沢なのかもしれない、とアカは思っていた。国司でも、これだけ多くの下の者に、食わせてやるなどは、聞いたことがない。アカ自身は、京での仕事ができるようになってからは、殿上人の酒席にも上がることもあった。いわゆる、帝に仕える、上から百人程の、一握りが殿上人てんじょうびとというらしい。勿論、その中の筆頭文官の一人である、公ならではの破格の待遇なのだろう。また、学問を学ぶ者たちというのが、認められ、出世している証拠でもあったのだ。

 アカは、少し多目に、その奥の作業場に食事を運んだ。これには、やはり、能福が大喜びをした。芋や瓜は、多く茹で物となるので、特に多めに持ち出せた。アカは、最初、炊屋で、虐められるのではと杞憂していたが、そうではなかったのだ。このことは、炊屋にアカが入ったことで、仕事を熟すのが早くなり、先達の炊女たちにも喜ばれた為だった。炊女は、直接、塾生に施すことはなく、塾生が、置き場に取りに行き、配膳となるが、奥は、特別、弁当のような形でも持ち込めたので、アカは、奥の学生の為に、余分、多く、持ち出すことができた。

 次に、来た時は頑張ると、役目が他にもあると、炊屋には告げて、いよいよ、謡をする予定の部屋の掃除をすることになった。燻した後の臭いが酷く、せかえる程だったが、そのまま、しばらく、窓を開け、その窓にひっかけるようにして、虫干しということで、文書もんじょを干した。庭にも、筵を敷いて、安行の指示通りに、文書を並べていく。その都度、安行は、興味深げに文書を見ながら、読み耽りたい衝動を振り払いながら、新しい紙に表を作り、文書の表紙の角に、何か書いていく。つまりは、図書館でいう所の蔵書一覧を作り始めた。まずは、種類に分け、そして、内容をざっと見て、古いものから、新しいものに並べ替える。この機会にと、作業をしている様子だ。

「何か、お手伝い致しましょうか?」
「いや、大丈夫だ・・・あ、そちらの、まだ見ていないものを、こちらに持ってきて、終わったやつは、部屋の中、隅から、このまま、崩さずに置いていってくれないか」
「はい、解りました、安行殿」

 巻き物の束を崩さないように、アカは安行から、丁寧に受け取った。名前を呼んで、ニッコリすると、照れ臭そうにしながら、笑い返してくれた。この作業を、一週間程、続けた。その結果、部屋の角に巻き物と、綴じ本が、整然と整理された状態で、並べられた。その端の柱に、小さく杭を打ち付けて、これまた、小さな綴り本の蔵書目録が下げられた。そういえば、向こうの作業部屋の棚も、同様な設えになっていた。これは、安行の仕事なのだろう。

「向こうの部屋もしてあるのだが、先達の皆様が取り出しては、そのままとか、違う所に戻すので、時々、私が整理して、御戻ししているのだ。案外、忠興様が、そのままにしてしまうので・・・」

 ああ、だから、あの作業部屋も、あのように、床が、文書だらけで、足の踏み場がないのだろうな、と、アカは思った。

「虫干しの間に、床を清めてもらったのだな。とても、綺麗になっている。ありがたい」
「いいえ。これぐらいのことしか、できませんから」
「飯の量が倍になっておって、驚いた」
「全部、お召し上がりになってましたよね」
「ああ、たまには、腹いっぱいもいいものだ」
「いつもは、いっぱい、召し上がれないのですか?」
「調べものの作業に没頭して、遅れると、能福に全て取られてしまって・・・あまりのがっつきぶりに、忠興殿が取り置いてくださるんで、少しはあるんだが」
「まあ、今回は、お部屋毎に盛り付けて、お持ちしてますから。安行殿は、何がお好きなのですか?」
「何でも、美味い。アカが持ってきてくれたのは」
「まあ」
「あ、いや、そういうことではなくて・・・」

 可愛らしい。そのままを仰ったのは、解ってるんだけどねえ・・・逆に、これでは、他意が入り様なものじゃなあ・・・。

                             ~つづく~


みとぎやの小説・連載中 「謡の間にて」 舞って紅 第十三話

 ご無沙汰の小説「舞って紅」でしたね。
 アカもお掃除したり、書庫の整理したりね、お掃除のシーンは多いですね。この話は、また、別の所でしようかなと思います。

 お読み頂きまして、ありがとうございます。
 恐らく、もうすぐ、謡のシーンになるのではないかなと思います。

 こちらのお話の纏め読みは、このマガジンになります。


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