何故、そう思ったか ~希望~
この度、十倉坂大学病院に、月鬼症候群の専門診療の為に、新棟が建設された。診療科の組織は、見直されて、かつては、臨床例も少なく、当時では、罹患率の低い、奇病扱いされていた、この病気は、ここ数十年で、世界的な罹患率の上昇があり、多くの女性が苦しむ結果となってしまっていた。その発見が、この大学病院であったこともあり、臨床の傍ら、同時に、研究室が設置され、今も、治療の為の研究が、献身的に、続けられている。
初めは、雲を掴むようなものであった。同大学生物学部で、当時、准教授であった、甘木真人先生の、一見無関係な、「蜂」の研究の中に、その治療のヒントがあった。研究メンバーは、当時、中堅所だった先達の方たちだった。
薬学部から、雫井咲哉先生、皮膚科の月城礼文先生、たった一人診療科の専門家となっていた、敷島大紀先生の三人と、そして、その甘木先生の四人で構成されていた。それが、新薬の開発へと繋がった。
当時、俺は、駆け出しの看護士だった。その実、この頃はまだ、十倉坂大学病院に勤めてはいなかった頃だ。その実、海外の医療協力隊の一員で、各国を回る立場だった。俄かに、世界でも、月鬼症候群の症例は出始めていた。大概、世界的に医療の不足とされる場所に派遣され、一年の内、殆ど、東国にはいない状態だった。四大大国の中でも、医療の不足は、大陸の奥地の方が甚だしく、当時まだ、内乱やクーデターの多かった、素国の滞在が多かったような気がする。広い国土に、古い政治機構の大国は、医療体制も、不十分だった。
滞在した村の殆どの女性に、その兆候が見られた。まだ、その殆どが、軽症だったので、素国の担当省庁側は、それを、問題にせずにいた。当時は、今のような検査方法が確立されておらず、罹患の始まり、初期症状については、むしろ、目視によって、その皮膚に所見を見つけるしかなかった。つまり、誰が見ても解る、皮膚の黒墨の症状だ。その後に、初めて血液検査となり、正式に、罹患の有無のみが確認できた。
ちなみに、現在では、血液検査により、体内の黒墨因子の浸食の割合、集中して症状の進んでいる特定部位の確認ができるようになった。これによって、患者は、細分された診療科に振り分けられ、速やかに、的確な治療が、受けられるようになっている。
当時は、その症状が抑えられる方法は、ほぼ皆無で、痛みを止めるぐらいのことしかできなかった。なので、痛みが出るまでは、医療機関に来ることは控えさせるような形であったと思う。素国は、特に、人口が多い国の為、それは法律的に定められていた。市井に出かけた時、市場などで働く労働者の女性の腕に、それを見つける。「違うよ、これは黒子だから」娘たちが笑う。・・・他の者は、誤魔化せても、俺は、それが仕事だ。本人がそう思い込んでいたとしても、真実は、見て解った。殆どの女性が、腕か足、見える所に、所見が見られた。気が重くなった。
当時、東国では、まだ、これ程の蔓延は見られてはいないが・・・この発症のメカニズムとして、遺伝子レベルでの、何百年にも渡る積み重ねがあり、地域的なものの傾向が見られるという事、それが解ったのも、つい数年前の事である。その後も、この病は、遅かれ早かれ、その流行の地域というのが、次々と発生し、増えていく事になった。
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それは、衝撃を受けた出来事だった。皇国との国境の、辺境の村に赴任した時のことだった。国境の有刺鉄線の傍、素国側の、その地元の村人が、十数人ぐらい、人集りを作っている。草が生い茂る中、皆、息を顰めて、それを見ていた。診療所のテントの近くだったので、あまりの異様な雰囲気に、何事かと思い、俺も、その人だかりの後ろから、鉄線の奥の様子を見た。
「始まるぞ」
こちらの素国人の男が、小さく、呟いた。
数人の皇国の兵士に、泣き叫ぶ、若い女性が一人、捉えられてきていた。女性が、訳が解らない様子に、狂ったように叫び続けている所を、兵士たちは、目隠しと、猿ぐつわをさせ、重そうな鉄の椅子に座らせる。身体を縄で縛りつける。その兵士たちが、その場を離れると、その背後から、一人、短銃を持った、若い兵士が近づいた。その椅子の前方にいる、年嵩で、恐らく、この部隊の上官と見られる兵士が、何か、書類を読み上げた。
「第二層 ・・・・ 黒墨脳症 の咎にて処分する」
どういうことだ・・・?!・・・これは。
多少の研修を受け、スメラギ語も、ある程度は理解できた。症状名が解った。聞き取れなかったのは、恐らく、固有名・・・、その女性の名前だ。
意味も解らず、捉えられ、暴れ続ける、その女性は、確かに、もう誰が見ても、普通ではなかった。つまりは、彼女は、月鬼症候群による、脳障碍の患者だった。
噂では聞いていた。まさかと思った。皇国では、脳障碍者は抹殺対象となり、それを隠匿した者も罰を受けると。そんな非道なこと、ただの噂だろうと聞いた時には、信じられなかった。
「構え」
その時、彼女の頭を抑え、首の後ろに銃口を突きつけた、若い兵士の、その手は、震えていた。
「あれは、身内か、恋人だ」
「そうに、違いない、酷いことだ・・・」
「女たちには見せられない」
「こちらの国でも、そのうち、解らんよ」
俺は、途端に、踵を返した。急ぎ、診療所へ戻ろうとしていた。途中、いくらかして、銃声が響いた。
後に解った事だが、やはり、その兵士の恋人が罹患し、それを一族で隠蔽していた。手を下す役を命じられ、それは、その兵士の罰として、その女性の抹殺と同時に執行されたのだという。
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「今夜も、こんなに遅くまで、残ってくれて、助かるな」
「いいえ、俺は、駆け出しですからね、先生方が頑張るのだから」
「まあ、コーヒー淹れたから、飲んでくれ」
「あ、すみません。ありがとうございます、敷島先生」
帰ってから、雫井先生と、敷島先生の下に、配属が決まった。というか、希望が通った。その実、このご時世、この担当科に希望する人間は、殆どいないそうだから。
「将来は、その特定部位毎の診療科の設立を目指したいと、話し合っていた所なんだよ」
「今は、『月鬼症候群総合診療科』だから、聞こえがいいが、何でも診なきゃならない・・・そして、芳しい結果は、未だ・・・」
「あまりにも、症状が多岐に渡っていて、対応が難しいからな」
「今は、本当に、患者さんに申し訳ないが、症例の分類と、既存薬による、一時的な対処療法しかできないから・・・」
「研究と言っても、今は、甘木先生の治療薬の方に頑張って貰うしかない。それに参考となる、臨床例として、患者さんの症状を記録するのが、先決になっている」
口々に、お二人の先生は、話している。
「そのうちに、患者の人権についてもだな、国際的に考えていかなければならない」
「八尋君、君がスメラギで見てきた事は、我々としても、衝撃の事実だったからね」
「俺は、部位別の診療科が設立されるなら、脳障碍というのか、その分野の担当看護士になりたいと思います」
雫井先生が、ニッコリと笑って、敷島先生と目配せする。
「君は、それでいいの?居ても、立ってもいられずに、海外医療協力隊に臨時の看護士で入ったらしいが、そもそもは、医師を目指していたのではないのか?」
「はい、ニュースで、素国の現状を見て・・・」
「八尋君らしいよね。・・・で、任期開けで、こちらに来たと・・・」
「若い人がね、有り難い志で、こちらの門を叩いてくれた」
「あの時、敷島先生の事が、ニュースになって」
「ああ、もう、論旨がずれたぞ・・・いいよ、恥ずかしいから、・・・あれは、発表する内容じゃない。普通に、極、個人的なことだから」
そうだった。新薬の治験第一号は、敷島先生の奥様だった。
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というか、どこから、その情報を仕入れたのか、マスコミが騒ぎだした。
治る見込みのない、当時としては、まだ、数が少なかった、女性特有の奇病である「月鬼症候群」をやり玉に挙げ、面白おかしく書きたてたかったのだろう。要は、派閥の脚の引っ張り合いの為、敷島先生は晒されたと言ってもいい。「黒墨不倫」だの、酷い言われようで、要するに、対抗派閥からの情報のリークだった。でも、これは逆に、美談にならなければならない。俺は、そう思うし、それは、これからに、懸かっていると思う。今は、多くの人々の認識としては、恐らく、ただのゴシップ扱いされていることなのだろうが・・・。
症状が重くなっていく、その女性は、実は、既婚だった。それをかつての夫が見捨てた。彼女の長い闘病の中、治療に当たっていた、敷島先生は、痛みに苦しむ彼女を励まし続けていた。彼女が植物状態になる、数日前、ギリギリ動かせる手に、敷島先生が、ペンを握らせたのを、雫井先生は見ていたそうだ。
「事情は、推して知る由でね・・・。でも、俺には、これが、希望の光に見えた。敷島の覚悟と、何よりも、日女美さんご自身にもね」
奥様は、敷島先生の名前の書かれた、婚姻届に、涙乍らに、サインしたのだそうだ。
「ありがとう・・・頑張るから」
そして、瞳を閉じ、以来、言葉を発することがなくなったという。
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「人は酔狂と、治るか解らない病気の研究をする、俺たちを、色眼鏡で見ている。結果的に、彼女まで、晒してしまって」
「驚いたが、同じぐらいに、心意気と、熱意を感じたよ。日女美さんだって、解ってくれて、頑張ってくれているから」
なんか、好い。本当に、このお二人を、俺は尊敬している。友情と情熱も感じている。このチームの一人として、参画できたことを、俺は、心から、嬉しく思う。
「将来、その、脳障碍の担当科ができたら、俺は・・・」
「そう、話を戻してね。是非、専任をお願いします。正式に、医師としてね」
「ラストチャンスの、国家試験、頑張るようにね」
もう、宛にされているんだ。・・・そして、数年後、俺は医師の国家資格を、医大卒業後のギリギリの期限で取得する。形としては、今は、ここのインターンだが、仕事の中身はとしては、いよいよ、この『脳機能専門科』の専任となった。形の上では、雫井先生が、総合診療科と兼務で、トップを名乗るが、そのカバーも、そのうちになくして、俺は、一人立ちさせられる予定だ。
「実質は、もう、八尋君ですからね」
「はい、わかりました。頑張ります」
「この分野は、一番難しい、と言っても過言ではない。しかし、頑張って、第一人者になってほしい所ですから」
二人の先生に、背中を押された。新診療科の開設を前にして、十年近く、新薬の治験で、集中治療を受けられてきた、敷島先生の奥様が、回復された。十年前のゴシップは、確かに、美談となったかもしれない。そして、世の中が動き、この新薬が認められ、実際の治療に使われることになった。残念な事は、雫井先生が、かつて、担当されていた、スメラギ皇国の皇后陛下も、継続治療でなかった為、最後、先生の治療で、持ち直しはしたが、その後、亡くなられたという。
「あの方も、俺から見たら、銃殺されなければならなかった女性と、何ら、変わりはない・・・『医療に国境なし』とはいうが、国交のない場所でも、必要があれば、どこにでも、すぐ出向いていけるような体制が必要だ」
雫井先生は、この件には、遺憾の意を強くされてらした。
俺は、これから、その『脳』に黒墨の症状を抱えた患者さんたちを、少しでも、安寧に過ごせる方法を考えていく。これには、本人と同様、側についているご家族が、かなり、苦しんでいる現状がある。また、脳に症状があることにより、急激に、命に関わる状態となる可能性も高い。その辺りは、終末医療、疼痛治療を担当している、名来先生と、タックを組むことになった。ちなみに、名来先生は、国際衛生局の理事に、この度、就任した。これまでと同様、患者の人権問題も追及し、名来先生と、甘木先生が、これに、取り組んでいる。
とにかく、今は、一人一人のケースに当たるしかない。それは、どの診療科も同じだろうが。ただ、一番の未知の部分と言われている分野だ。誰かがやらなければならないなら、この凄惨な事実を、この目で見てきた者としては、引き受けるべきだろうと思ったのだ。
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「はい、エビフライ、入ってるから」
手弁当は、いささか、開く所を考える。月城先生がいたら、間違えなく、冷やかされながら、おかずが盗まれる所だが・・・。
この国の女性も、殆どが、発動してるか如何の差で、皆、黒墨因子を保持している。
「いってらっしゃい」
君の発症前に、抑える。最近では、敷島先生の気持も解ってきたような気がする。もう、ショックがってもいられない。大切な人を護る、それは身内だろうが、他人だろうが、もう、関係ない筈だから。
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この年、医師の国家試験に合格、医師となった、八尋靜一は、かねてからの恋人と結婚した。今、妻のお腹に、新しい命が授かっている。この後、彼は、自らの家族を被験体として、その黒墨因子の遺伝的継承について、甘木真人と共に、取り組んでいくことになる。『脳機能専門科』の研究もさることながら、このことは、後に、「月鬼症候群」罹患の真実の絡繰りを知る為の、一つの手がかりとなるのである。
みとぎやの短編小説 「何故、そう思ったか ~希望~」
~From MPL (仮題)
お読み頂きまして、ありがとうございます。
ガラリと変わったムードに感じられたと思います。
いわゆる「医療もの」ですね。
これは、今、少しずつ、みとぎやが取り組んでいる、
一つのお話の分野です。
「伽世界」の最大の問題、「黒墨」―――「月鬼症候群」という病の治療、根絶の為に、その罹患のシステム解明に挑んでいく、医師団のお話です。
その元は、どこにあるのでしょうか?
この病気がテーマのお話「君の声」は、患者側のお話でした。
分岐が発生しています。実は、この「君の声」の頃には、東国での罹患率が上がって、悪い方向での、国の管理が発生している未来です。
その実、この話の時点ではもう、他所の国の話ではなくなっている・・・。ここまで、この病を蔓延させない為には、どうしたらいいのか・・・。
それを、解決していこうとしているのが、彼らです。
このお話は、一人の医師、研究者にスポットを当てた形で進みます。
この一編の中に、沢山の、派生し、絡み合っている物語の端緒があり、
伏線があり、更に、分岐を含んで行きます。今、どのように見せて行こうか、ワクワクしながら、考えている最中です。
今後、ご紹介する物語の重要人物が、沢山、登場しています。
エピソードも、顔を見せています。
どこでいつ、どんな形で登場するか、お楽しみになさってください。
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