守護の熱 第二章 第三十三話 覚醒
「・・・目、醒めたか」
雅弥はゆっくり起き上がった。辰真の差し出すコップの水を、頭を下げて受け取り、飲み干した。
「暑かったろう・・・」
冷水筒の水を、干したコップに注ぎ、また、辰真は、雅弥に渡した。
「・・・」
雅弥は、頭を下げ、更に、その水を干した。
「風呂、行くぞ」
雅弥は頷いて、辰真について行った。
風呂場につき、先に辰真が服を脱いだ。ふと、脱衣所の壁時計が目に入った。・・・多分、自分が寝ていた2時間程、辰真も汚れたままで付き添ってくれていたことに、雅弥は気づいた。
シャワーが2つ備えてある。それぞれで使ってから、湯船に浸かった。
少し前に、兄と自宅の風呂に浸かったことを思い出した。
「済まなかったなあ」
辰真が呟いた。
「実は、猫、すぐ見つかってたんだが・・・」
雅弥は驚いて、辰真を見た。
「・・・怒らないのか?なら、呼びに来いとか・・・」
雅弥は、首を横に振った。
「・・・後で、もう少し話すか。上がって、飯食ってな」
雅弥は、不思議と、兄の鷹彦といるような気分になっていた。
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母屋には、小さな打ち合わせ用の個室がある。食後、雅弥は、辰真に連れられて、そこに行った。テーブルを挟んで、二人が向かい合わせに座るぐらいのスペースで、まるで取調室のようだったが、雅弥は不思議と、嫌な感じはしなかった。
「悪い、傷を抉るようなこと、させてもらうが・・・」
辰真は、雅弥の前に、数日分の新聞を並べた。地方の記事が載っている紙面だった。雅弥はすぐに解った。それは今まで、皆が気遣い、雅弥には隠されていた情報だった。
「見られるなら、見てみるといい」
雅弥は、新聞を手に取った。読み始めると、目の色が変わった。そして、別の日の記事にも、目を通した。・・・雅弥は、事実を初めて知ることになったのだ。留めていた感情が、溢れてきた。先程の地下道で見た、幻想のような彼女のことを思い出した。自然に涙が溢れてきた。
「いいよ、泣くだけ泣け。構わないから」
雅弥は泣いた。それまで、泣くこともできなかったのが、堰を切ったように、涙が溢れてきた。辰真がティッシュの箱を目の前に置いた。雅弥はそれを何枚も取り、顔を塞ぐように押し付けた。嗚咽が部屋に響いた。鳴き声を上げて泣いた。辰真も、同情の表情で、雅弥を見た。
10分ぐらいだろうか、その状態でいた後、雅弥は、その口を開いた。
「・・・どうも、・・・すみませんでした」
久しぶりに出した声は、擦れ気味だった。
「・・・何に謝ってる?」
辰真は、穏やかな調子で雅弥に言った。
「いや、ずっと、甘えていました・・・すみません」
言いながら、また、雅弥は涙を流した。
「よし、解った。それでいい・・・で、実は、申し訳ないが、もう少し、時間を使ってほしいと思う。落ち着いた所で」
「・・・はい」
「うん、まあ・・・聞きたいことがある」
「はい・・・」
「今、記事を読んで、どう思ったか?嫌だったら、言わなくていいが・・・」
辰真の表情が、少し変わった気がした。雅弥は、いつもの感覚を取り戻そうとしていた。何故、この人は、俺にこんなことを聞くのだろうか?
「・・・事実が解りました。複雑な気持ちです」
「なるほど・・・うん、まあ、落ち着いたようだね」
「はい・・・ありがとうございます」
辰真は、再度、雅弥を見つめた。それが、真剣な眼差しだと、雅弥にも判断がついた。・・・これって・・・?
「うん、よかった・・・で、申し訳ないんだが、もう少し、深堀させてもらってもいいかな?」
「・・・はい」
「・・・複雑って、どういう意味合いかな?」
「それは・・・俺は、彼女が自殺したと思っていたけど、これって・・・」
「うん」
「・・・つまりは、・・・誰に、こんな・・・」
「そうか・・・」
「・・・でも、解ったところで、結果は同じで・・・」
「うん」
「・・・」
「じゃあ・・・」
「・・・」
「じゃあ、どうすればよかったのか、考えられるか?」
なんか、・・・似てるな、これ。でも、答えるしかないよな・・・
「・・・そう、ですね・・・もう少し、早くいけばよかったと思いました」
「うん、そうだな、そしたら、助けられたかもしれないな。彼女がこんな目に合わずに済んだかもしれない・・・じゃあ、今、言ったように、少し、時間を戻すとする。もしも、この現場に出くわしていたとしたら、どうなったと思うか?」
「・・・それは・・・」
雅弥は、その時のことを思い出していた。
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・・・そうだ、よく考えてみたら、おかしかった。
アパートの前に行くと、また、カレーの匂いがしていた。前の週、俺が喜んだら、今度は中身を変えて、作るからと、約束してたんだ。少し、違う感じの匂いだった。
いつもなら、俺が来る事が解って、玄関のドアを開けに来てくれるのに出てこないから、トイレに行っているのか、不思議になって、ドアをノックした。反応がないので、ノブを捻ると、鍵はかかっていなかった。なんだ、と思い、中に入ると、すぐ目に入ったのが、台所で、鍋が床に落ち、ぶちまけられていたことだ。ただ事ではないと思い、部屋に行くと、目の前に、宙に浮いた、女の足が見えた。見上げると、それが清乃だということが解った。
そのすぐ後に、後ろから、大きな、女の叫び声がした。
その次に、目に映ったのが、荒らされた部屋だった。頭が真っ白になった。後ろから、わーわーと、女の声がした、この人、一度会ったことあっただろうか。慌てるように、その人が部屋の電話から、混乱しながら、掛けて話している。
こういう時は・・・こういう時は、どうすれば、良かったんだっけ・・・。親爺が現場に触れるなって・・・
そんな風に考えていたかもしれないし、いなかったかもしれない。
その後のことは覚えていない。
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「大丈夫か?」
「はい」
「その時の話、俺からしても、いいか?」
「・・・え・・・あ、はい」
どういう意味なんだろう。
「お前がついた時、多分、まだ、床にぶちまけられたカレーは温かかったかもしれないな」
雅弥は驚いていた。
「お前の後ろから来た、女の人がいたろう?彼女は、その、崎村さん、の同僚の山賀さんという人で、彼女の話から、お前と一度、ここで会ってるそうで、山賀さんの証言と、部屋の様子で、お前はこの件には関わっておらず、山賀さんと同じく、というか、実は、お前は訪ねてきたばかりの、要は、第一発見者だったんだ。本来的には、お前がな」
なんで、・・・なんで、この人は、それを知っているのだろう?
「不思議だよな。何で、知ってるのかって?」
「・・・じゃあ、誰が、こんな・・・」
「うん、まあ、それは待て。俺の質問に答えてからだ。そうでないと教えるわけにはいかない」
「・・・」
雅弥には、理由が判断できた。そのようにした犯人に当たる人間を知ったら・・・どう動くか、その辺りを知りたがっているのだろうと・・・それにしても・・・。
「さっきの質問の続きだ。この場面に出くわしたら、お前はどうする?」
「止めます」
「相手が、そういうことに慣れているとしたら、お前に勝算はあるか?」
「やってみないと解りません」
辰真は、腕組みをし直し、頷いた。
「俺、鷹彦さんに会ったことがあって。まあ、その実、今回も、頼まれてるんよ。似てるな、鷹彦さんに」
辰真は、ニヤニヤに近いが、控えめな笑顔で、乗り出して、机に肘をつき、頬杖をした。雅弥により、近づく形になった。
「今の自分を見て、どう思うか? 正気になったと思うか?」
「まあ・・・はい」
「まずは、約束してほしい。決して、仕返しをしようなんて思わないと」
「・・・それは、はい・・・しない、と思います」
雅弥には、不思議と、そう思えた。
しかし、本当にそうだろうか?
相手が解った途端に、それは変わるのではないか?
辰真は、軽く頷いて、更に、新聞記事を渡した。今度は切り抜きだった。
時間の経過した、事件の全容が解る記事だった。
「荒木田の・・・」
「そう。まあ、書いてある通り、もう拘置所に送られてるが・・・」
すぐ浮かんだのが、実紅のことで、少し経って、兄の謙太の顔も浮かんできた。二人は、どうしているのだろうか?
「どう、思った?」
「あ、いや・・・」
「言ってみろ」
「いや、荒木田のその、子どもがいて、その子たちが知り合いで・・・」
辰真は、更に頷いた。
「どうしているかと思って・・・」
「あの場所、きっつい田舎らしいなあ。噂はすぐ広がって・・・」
「はい」
「知りたい?」
「まあ、大丈夫なら」
辰真は、鼻で笑うようにした。
「お前、優しいな」
「いや、・・・ひょっとしたら、俺みたいに」
「まあね、匿ってくれる人がいて、大丈夫だ」
「・・・良かった」
うんうんと、辰真は頷いて見せた。
「・・・で、だ・・・話を戻す。もう一度、考えられる限り、彼女を援けられるとしたら、どうするか」
辰真は、紙とシャープペンを出した。
「一応、用意したけど、俺と話しながらがいいか?話しながら、紙使って考えるか?それとも、一人で紙に書いて、考えるか?」
・・・
雅弥は、何かに気付いた。喉に小骨が引っかかるような気持ち悪さと、その喉まで、答えが出そうになっている感じが同居する。
やっぱし、そうか、このやり方・・・。
「いいな、お前。はあ・・・抗うどころか、質問もせず、頭ん中で、今、頑張ってる。・・・鷹彦さんとは、昔、相撲を取ったが、一度も勝てなかったなあ、でも、今なら、互角にやれる自信があるんだけどなあ・・・」
雅弥は、この辰真という人が、我が家と、我が家の環境というか、特質を理解していると、確信した。
「親爺さんには、当時、すごい、世話になってな・・・」
そう言いながら、辰真はシャツの片袖を脱ぎ、腕を見せた。さっき、一緒に風呂に入ったのに、全く、そのことに気付かなかった。太い二の腕には、わずかだが、入れ墨と、それより大きな傷があった。
「砂島会のヤクザだったのよ、俺。今回、亡くなったやつと同じとこね。まあ、名前知らないから、面識はなかったけどね」
「そう、だったんですか・・・」
「さっき、風呂でなんも見てないの、解ったからな・・・まあ、あんまり、驚かないんだな・・・」
「なんとなく、・・・もしかして」
「うん」
雅弥は、そうに違いないと思った。思ったことを口にした。
「つまりは・・・親爺とも、面識あるってことですよね」
「そう、あるよ・・・この情報は、お前の親爺さんから。そして、当然、ここの福耳の親爺さんも知ってる」
ああ・・・。雅弥は思った。どこに居ても、親爺の手の中だ。
「そう、お前は見放されたわけじゃない、何度も言ってただろう?福耳の親爺さんも、勘当されたわけじゃないって・・・苦手なんだな、親爺さんのこと」
「まあ、・・・そう、ですね」
「ここに来てる段階で、お前、相当な有望株なんだけどなあ・・・」
なんだか、意味が解らないが・・・親爺の、嫌な「思い知らせ方」で、考えざるを得ないやり方だ。悔しいけど、俺の考え方の癖としても、沁みついている。・・・何故なら、それは今まで、全部、結果的に正しかったからだ。
―――親爺に嵌められて、俺はここにいるのかもしれない。
・・・また、危機管理が過ぎるんだよ。何か、させようとしてる。
雅弥は、明らかに、不服そうな顔つきになった。それを辰真は見逃さなかった。
「悪い、脱線した。で、続きをやってほしいんだが・・・コツを一つ、教えてやる。時系列を遡って、それ事に考える。全て、成功で終わらせる形で書け。で、その為には、何が必要か?何も制限なしに、それも書く。頭の中で、できるだけ速く、思いついたこと、全部出せ。練習するか?」
「いえ、解りました。・・・一人でやります」
「お・・・すげぇ、流石、辻宗弥警部の息子さんだ・・・あ、わりぃ、ごめんな」
「いえ・・・いいです」
なるほどなあ、と辰真は、腕を組み直した。
「いいです。書きますから、待っててください」
「おう、解った」
雅弥は、ものの見事に、その課題に取り組んだ。先ほどまで、茫然自失としていた彼とは、全く別人だった。
「できました」
「説明できるか?」
「あ、まあ、はい。まず、彼女の仕事を知った段階ですが、金が用意できれば、借金を返済して、自由にします」
「それで?」
「・・・それは、課題と関係ないですよね?」
「あー、わりぃ・・・よく解ったな?」
「・・・なんか、解りました。今のは、冗談ですよね?」
「そうそう、俺、こういう感じだから、よろしくな」
辰真はニヤニヤしている。
「今のも、チェック項目なんだぞ」
どうなんだか・・・
雅弥は、心で呟いた。
辰真は、今の雅弥に心強さを感じていた。
お前の親爺さんの言う通りだ。間違えない。
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「よし、合格だ。よく考えたな。既に、このことはお前の手を離れたな」
「え・・・あ、いや」
「まあ、いい・・・そんな簡単なことじゃない、のはわかるが、そういうことにする、一旦」
雅弥は、反射的にポケットを探ったが、小瓶はなかった。風呂に入る時に着替えたのだから、あるわけがなかったことに、同時に気付いた。
「ああ、酒の小瓶?お母さんが預かってるぞ・・・預かっててもらった方がいいかもしれないぞ。割れちまうから」
「はい・・・そうですね」
「大事なものなら、尚の事だ」
また、ニヤニヤしてる。この人は、俺の事を全部、知っている。親爺と同じように。そして、福耳の叔父さんも、なんだな・・・。
「で、雅弥、悪いんだが、明日から、所属が変わる。ここから、俺が今、所属している所に移ってもらうから、そこで、本格的な仕事に入ってもらうことになる。今日は、ここで過ごす最後だ、思ったより、速かったなあ・・・流石だな、やっぱり、鷹彦さんの弟だな」
家族との比較が、いちいち、引っかかると雅弥は思ったが、確かに、心が軽くなり、しばらくぶりの、いつもの感覚が戻って来たと、自らを思った。
部屋を出た。すると、福耳の叔母が洗濯物の籠を抱えて、やってきた所だった。
「もう、誰もお前に気遣いしない。普通になったからだ。この部屋に入るまで、気を遣って頂いていたんだ。テレビもつけずに、新聞も全部隠していた。あの義雄と祐樹も、話題に気をつけてた。どうすればいいか、解るな」
「まあちゃん、喉乾いたでしょ、りんごジュースあるよ」
雅弥は、反射的に、叔母に頭を下げた。
「今まで、ご心配おかけしました。・・・もう、大丈夫ですから」
「明日から、あっちです。お母さん、俺も戻ります」
辰真は添えるように、叔母に言った。
「そうかい、良かったねえ、顔色も良くなったね。まあちゃん、ああ、本当に良かったよ・・・」
雅弥が近づくと、叔母は、しっかりと抱きしめてくれた。
「いいね、元気になったこと、長箕に連絡するからね、いいね?」
「はい、宜しくお願いします」
辰真は、安心して、頷いた。
その後、雅弥が、部屋に戻ると、義雄と祐樹が、笑顔で迎えてくれた。
「なんだよ、お前、元気じゃんか・・・良かったな」
「うっそ、辰真さん、流石だなあ、やっぱ」
「すいませんでした。迷惑かけてたと思います」
「いやいや、俺も初めて来た時、しゃべんなかったから、同じだよ」
「そうだよ、それに何もやってないの、わかったし・・・あ、ごめ・・・」
失言をしたかのように、祐樹が謝りかけたが、雅弥は笑って言った。
「もう、大丈夫です。あと、移動になりましたんで、お世話になりました」
「え・・・そうなんだ・・・」
義雄と祐樹は、顔を見合わせた。
「頑張れよ、あっちは、ここの10倍はきついらしいから」
「マジ、あの地下道、初級試験だったんだ」
「え?」
「そうみたいだよ、あっちの部署に入る為に、体力と精神力見るやつ」
「じゃあ、猫は?」
「ああ、猫探しは、本当に仕事だったよ。俺たちが見つけた」
「ああ、そうだったのか・・・良かったです」
祐樹が、雅弥の肩を軽く叩いた。
「だからかあ・・・今日、すき焼きらしいよ、雅弥の追い出し会だな」
「すみません、色々、気を遣わせてたと思います・・・」
「そうだよ、やっと話せたのに、もう、いっちまうの」
「まあ、いいよ、ここは、そういう所だから、ひとまず、良かった」
義雄が握手を求めると、雅弥はそれに応えた。祐樹もそれに手を重ねてきた。その後は、年相応の話に花を咲かせた。
雅弥は、あまり、漫画は読まないことを話した。全員がサッカー好きだということが解った。義雄が、先日、付き合い始めた子がいること。祐樹が羨ましがっていること。この辺りの話は、二人は最初、遠慮がちにしていたが、雅弥の普通の受け答えに、安心して話し出した。雅弥には、学校のクラスメートが話していたのと同様に捉えられていた。
~つづく~
みとぎやの小説・連載中 守護の熱 第二章 第三十三話 覚醒
およみ頂きまして、ありがとうございます。
雅弥が、本来の自らの感覚を取り戻しました。
次回、早めにお届けできると良いのですが・・・。
さて、雅弥の今後は?
そして、この一連の流れの真相は?
お楽しみになさってください。
この小説の第一章はこちらから
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