100人中100人に嫌わることはできないよ🐼だから、安心してnoteを継続してね💛他人の感情に支配されず自分の人生を生きよう🐼対人恐怖症について
世の中には自分が他人に嫌われることを異常に恐れる人がいるようです。しかし、他人の自分への感情を一々気にしていたら神経が参ってしまい、病気になるか寝込んでしまいますよ。
今回は、「100人中20人以上に嫌われることは普通である、50人以上に嫌われたら非常に優秀である、100人に嫌われたら超超超天才である」というテーマで記事を書きます。他に私が思春期に経験した対人恐怖症についても簡単に触れておきます。
自己肯定感が低い人や自分自身のことが大嫌いな人、あるいは、複雑な人間関係で苦しんでいる皆さんに読んでいただければ幸いです。
なお、今日の記事は決して冗談ではなくいつも以上に本気で書いています。
100人中20人が私のことが嫌いな場合、残りの80人はどのような感情なのか?
例えばの話です。
中学生時代に私の同級生の男性が100人いたとします。この中に私自身は含まれません。この場合の彼ら100人は私に対してどのような感情を持っているのでしょうか。
ここからは全くの私の想像なのですが、多分大体合っているはずです。
なお、ここでの中学とは平均的な学校のことです。全国偏差値が65~75もあるような超進学校や中高一貫校を含みません。私の母校のようにやくざの息子や娘が数名いるような中学校に限定させていただきます(笑)。
100人中(男子中学生のみ)
大嫌い・・・5人
嫌い(何となくむかつく)・・・15人
何とも思っていない・・・60人
好きかもしれない・・・10人
好き・・・7人
大好き・・・3人
上の項目で大切なところは、「嫌い(何となくむかつく)」と「何とも思っていない」の2点です。
中学生程度の脳みそしかありませんと、感情のみで物事を判断する人が多いです(笑)。そのため、私の存在が「何となくむかつく」人もいたはずなのです(笑笑笑)。特に私の場合は、優等生(地方公立レベル)でしたので、妬みや僻み、やっかみなどで無意識に嫌っていた人も2桁はいたと予想されます。
そして、非常に大切なことは、ほとんどの同級生は私のことを何とも思っていなかったということです。
自意識過剰な人に限って、「みんなが私を嫌っている」と考える傾向があるようですが、それはほぼ100%ないです。
もし仮に例外があるとしたら、それは、クラス20名の中で対象者を嫌いな振りをしないと、「いじめ」や「仲間外れ」に遭うような特殊な環境の場合だけだと思います。
放火で大量殺人事件を起こした犯人でさえ100人中100人に嫌われなかった理由とは何か?
それは、反社会的な人たちが彼のような無敵の人を歓迎したからです。
一般に、反社会的な活動を行っている人たちは、犯罪者予備軍です。ですから、世の中にあってはならない存在と言えます。
彼ら彼女らは世の中を憎み人々の苦しみや悲しみを喜びます。ですので、大見出しのような人々でさえ、100%嫌われるとは限らないのです。
100人中50人以上に嫌われたら非常に優秀である・・・ただし、例外あり
これに該当する人たちは、例えば、芸能人や著名人です。現代社会ならばネット上で毎日のように顔を出している人たちがこれに当てはまります。
彼ら彼女らは、他人に嫌われることをそれ程気にしていません。そんなことを気にしていたら、顔出しの活動などできないものです。
顔出しができるということは、それだけ覚悟と決意があるということです。その覚悟と決意がある人たちの行動は、得てして大きな結果を得るものです。
ですから、たとえ100人中50人以上の国民に嫌われていても非常に優秀と言えます。
なお、多くの国民に嫌われる政治家や官僚が、必ずしも優秀とは言えません。
また、何も考えずに顔出しの活動をする馬〇もいますが、それもまた例外です。
100人中100人に嫌われた人は超超超天才である
読者の皆さんの周りで100人中100人に嫌われるような人がいましたら、是非コメント欄で教えて下さい。そんな人はいませんよ、間違いなく。
むしろそんなことができたら、その人は超超超天才です。
ですから、自分がみんなに嫌われているなんて思うこと自体が間違いで、そんな考え自体が自意識過剰なのです。
10人中8人以上に嫌われることは頻繁にある?
10人中8~10人に嫌われることは頻繁に起こりえると思います。なぜなら、それぐらい小規模の場合、リーダー1人がある特定の個人を大嫌いになれば、周りの取り巻き連中や子分も一斉にそちらに流れるからです。
そうしませんと、次は自分がそのターゲットになることも十分にありえますので、どんなに頭が悪くても本能的に自己防衛的判断を瞬間的に行えるものなのです。
この大見出しに関しては、母集団が10人という少ない人数なのでありえます。しかし、何度も書いているように、10人が100人になりますとこれはさすがにありえないです。
<補足>例外中の例外?
上の大見出しを書いている内に、例外中の例外もあるかもしれないと思いましたので、念のため補足を書いておきます。
どこかの危ない集団、例えば、半グレ集団ややくざ組織、超田舎に住む住民などでは、特定の個人が村八分のような立場になって、100人中100人に嫌われることもあるかもしれません。
これは私の想像の世界の話です。実際にあることなのかは不明です。
他人の感情に右往左往する人は疲れるだけだよ・・・対人恐怖症
身内や他人に「嫌」われることを「嫌」って、人様の顔色を伺いながら生きている人がいます。私の子ども時代がまさにそうで、私の場合、両親がその一番の対象でした。
その後どうなったかと言いますと、最後は専門病院に連れて行かれ、医療専門家から「対人恐怖症」という病気(?)のような診断を受けました。
その対策となる療養も受けましたが、私には全く効果がなかったです。
私が〇才的なところは(笑)、直感的にその対処法がわかってしまったことです。その病名(?)を言われて以降の私は、過去の私より100倍我儘(わがまま)になりました。
そして、自分の直感(直観)と本能を信じて好きなように生き、自分の時間と自由を以前以上に愛するようになりました。さらに、それ以降両親の価値観や考え方を少なくとも50%は信じなくなっています。
その結果が、今の私です。
多少世の中のお役に立てるような記事を書いていますから、三十数年前の私の判断と行動は間違っていなかったようです。
人は、自分のために、そして自分の幸福のために生きています。ですから、他人に嫌われないために生きることは、その根本姿勢が間違っていると言えます。
もちろん、他人や身内に迷惑を掛けるような生き方はさすがに自己中心的です。自分の我儘や自由な生き方が誰かを不幸にしている場合は、本人が考え方を改める必要があります。
なお、多少の迷惑は仕方がないかもしれませんが、もしそうならばこちら側も多少お返しをすればいいだけの話です。
最後に 他人に嫌われることを恐れてはいけない
「自分を嫌いになる他人は、それなりに役割を持って生まれて来る」というスピリチュアル系の専門家がいます。
その人の話によりますと、例えば、悪口や憎まれ口を言う人は、その発言自体がその人の役割によるものだと言うのです。
つまり、その人は嫌われるために悪口や憎まれ口を言っているわけではなく、私たちの知的・心的成長のために言っているのだと、彼は言いたいのだと思います。
そのように考えれば、前向きに生きられると思います。
ちなみに、noteにおいて、知らないうちに私をブロックした人が過去に数名いますが、私はそのことからも学びを得ています。
<今日の3行日記>
最近の物価上昇の影響で、日本人(特に若者)の平均貯蓄額が激減し、借金をする人が増えているそうです。この件を危惧しているインフルエンサーがいるようですが、私はそれ程心配していません。なぜなら、アメリカ型の借金社会でも人々が不幸になるとは限らないからです。
<今日の3行日記>の補足
インフレ時代において、お金の価値が下がり続けます。そのため、借金もそれに伴い目減りするのです。
例えば、物価上昇率が2%の場合、36年後の物価は2倍でお金の価値は半分になります。
最近の日本国民の体感物価上昇率は、約15%だそうです。もし仮にこの体感が実体経済に合ったものならば、5年後は物価が2倍になり借金は半分になります。
ですから、必ずしも国民の借金社会が悪いとは言えません。
なお、日本国内でも格差が広がっていることは事実です。でも、アメリカほどの格差社会になることは考えにくいです。
イラスト素材:バレンタインのチョコを貰って喜ぶパンダ
今日のパンダイラストは、記事の内容とは無関係です。いつものサイトの上の方にあったので採用しました。別に読者の皆さんにチョコレートをせがんでいるわけではないです(笑)。
昨日の記事
数日前に、ある動画<東京大学理科三類(医学部)の大学生に関する>ものを視聴しました。そうしましたら、そこに出て来る学生たちの人間性が素晴らしくとても謙虚でした。
下の記事はその動画がきっかけになっています。
今日の記事はここまでです。
最後までご覧いただきありがとうございます。