ツルゲーネフの『はつ恋』を真面目に読む 5
この小説、ここからトーンが変るんだよ。ペトローヴィチは、どうやら恋に落ちてしまったジナイーダの相手は誰なのか、ということを推測して回る。どうやら、若干のミステリ調に変わっていく。
俺達読者には、もう犯人=ジナイーダの恋の相手、はわかっている。ネタバレだ。けれど、ペトローヴィチにはそれが見えない。いや、見ないようにしているだけなのか。
「10」。
こないだ手の甲に針を刺されて、でも笑っていなさい、と言われたルーシン。これは若い医師である。彼に、ペトローヴィチは、忠告される。
アホか、ルーシン、お前もだろ。と、ペトローヴィチは思ったに違いない。むしろ、ジナイーダから自分を遠ざける彼の策略かもしれないと。
「11」。
ジナイーダのもとに、例の5人とペトローヴィチが集まる。
そしてなんだか詩の朗読会になる。
ジナイーダが、着想を披露する。
これがおそらく謎解きの謎の一つとして提示される。
ペトローヴィチは、ここでジナイーダの犯罪=恋を確信する。
「12」。
ジナイーダ、どんどんやばくなっていきます。
文学的に言えば、揺れる心情が描かれていて、ってなるんでしょうけど、冷静に見ると、完全に常軌を逸してる。
ペトローヴィチの髪の毛を急にむしり取ったり。
ペトローヴィチに、高い所から飛び降りろっていって、飛び降りさせて、足をくじかせたり。
傷害事件です。いじめです。洗脳犯罪です。小さいけど。
でもそのあと、あなたってなんて忠実なの、みたいに甘い言葉をささやく。
これ、パワハラ的人格の典型でしょ。
そんなヤバくなってるジナイーダを客観視できないペトローヴィチ。
恋のブラインドネスと、観客の冷静な視点、この落差が感じられるところ。
これ、ペトローヴィチに感情移入して、ああ、恋って盲目よね、とか思って読んじゃうと、怖さが伝わらない。
「13」。
ベロフゾーロフ。
軽騎兵の軍人。
嫌な奴。
そのベロフゾーロフが、謎解きの2問目を出してくる。
これでわからないか?ペトローヴィチ。
観客には今まで伏線でわかってる。
もどかしい。
これがサスペンス。
「14」。
あ、ここですでに謎が。
観客にはわかってる。
ペトローヴィチ!早く気づけ!
でも、ペトローヴィチはなぜか、とんちんかんな解釈をしてしまう。
1860年。『はつ恋』が書かれた年。フロイトはまだ幼い。
エディプス・コンプレックスの三角形。
フロイトの構図がすべてではないけれど、物語の原型のかたちとしては、面白い。気づかれない父殺し、としての、オイディプス王の悲劇。
『はつ恋』の場合、その(象徴的に)殺すべき父の姿が、ペトローヴィチには見えない、気づけない。
「15」。
ジナイーダが、謎の解答を含んだ、意味ありげなことを言う。
観客にはもうわかっている。
どうして、ペトローヴィチはわからないのだ?
「16」。
例の連中がまた全員集まる。
自分が考えたお話を披露しあう会。
もう王様ゲームはやめたのか。
ジナイーダのお話の番。
暗示されるあいびきの場所。
観客にはわかってる。
どこでだれとジナイーダが逢っているかが。
「17」。
マレーフスキイ。
いけすかない伯爵。
この男から、ペトローヴィチは煽られる。
そして、ジナイーダとその恋の相手の○○を決意する。
ところが、だ。
いざ、あいびきの場所で張っていると、そこに現れたのはなんと……!
いや、知ってる。観客は知ってる。知らんのはあんただけだ、ペトローヴィチ。で、観客は、ここでペトローヴィチが、とうとうオイディプスになるのかどうかを期待する。1860年の段階では、そうは思ってみんな読んではなかったと思うけど。
そして、ペトローヴィチ、なんと、ここにいたっても事態を否認する。
お前は、馬鹿か!
それとも、これが認知の歪み、か。
「18」。
翌朝、ジナイーダに会いに行く。
いや、もちろん、疑惑はもう、明確になっている。
でも、ペトローヴィチは、ジナイーダの虜になってしまっていて、それすら受け入れてしまう。
怒りはどうしたんだよ。
「19」。
誰かが、ペトローヴィチの母に、投書して、夫婦喧嘩があったことをペトローヴィチが知る。
で、なにもかも終わった、と思う。
本当に、終わった、のか?
*
ここは、初恋の甘美な経験が書かれているのだろうか?
私には、ギリシャ悲劇(あるいはシェイクスピア劇)のロシア的解決、が見えた。
圧倒的な「父」に対する服従とその服従の合理化。
ロシア的なデスポティズム(専制的王政)と民衆の関係のパラフレーズのようにみえた。