辻村深月『傲慢と善良』
風味のある大変甘いお菓子をいただいたような読後感。最初ビターな香りが漂うもそれがむしろアフターの甘さを引き立てる、爽やかな果実も合わせて、という満足感はある。
そこには啓蒙あり、サスペンスあり、嫌な感じあり、処罰感情あり、世界に対する肯定感あり、これが桐野夏生だったら、もうちょっと登場人物に冷たくあり、桜木紫乃だったら、もうちょっと突き放して書くことだろう。辻村氏は、やはり大変に優しい作家なのだと再確認した次第。
優しさというのは、ポジティブな意味を込めて述べているが、人によっては要するにおとぎ話であると思う人もいるだろう。現代的なおとぎ話。それは作中のおばあちゃんも言っていて「あんたら、大恋愛なんだな」と。
もしかすると、これは結婚前のカップルが数日の間で繰り広げるマリッジブルーの喜劇を、登場人物二人とも真面目すぎることで、周りの人を巻き込み、巻き込んだ末の大活劇になってしまったという塩梅なのかもしれない。
私はストーカーと疑われて、アレコレと聞かれた挙句に、生ぬるい感情とともに突き放される高崎の口下手なあいつ、に一番共感した。あいつを救わない文学とはいったい何であるか、と、本気で憤ったくらいである。何のこっちゃ。
まあ要するに主人公の架(かける)が、原田マハ氏の兄君の宗典氏の代表作にかこつけて言えば、あまりに「やさしくってちょっとばか」なんだと思う。なんだろう夢みがちで、オルタナティブを信じてばかりで、大学時代の同級生といつまでも飲み会やってるって、どこのパリピだよと思わなくもない。そんな架氏は、実家の親父が道楽で始めた輸入ビール会社に、広告代理店を辞めてきた、というのだからビームス設楽氏レベルの、ボンな気がしてならないのは、私だけか。
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ボンは結婚を迫る気立のいいアユちゃんのことを放置した挙句、それを引きずって婚期を逃し、で婚活アプリで知り合った真実と結婚の約束はするも、煮え切らずにいたら、真実がストーカーがいるから帰れない!と電話が来て、それから同居、さて、結婚式の準備を進めよか…というところになって失踪、そんなところから話は始まる。
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ミステリという煽り文句はあるが、それにあまり期待しないほうがよくて、何度も言うようにこの作品は上質なコンビニスイーツの味わいのごとくである。期待を持って、作品をよみ、その期待が裏切られたからと言って憤るのは通じゃない、何が来てもオッケーくらいの代表GKのような構えで読んでいくのが、最適だろう。
私は、小説の男主人公にはいつも辛いので、ついつい架に対して、あーだこーだ言いたくなるけれど、そう思わせる辻村氏の手腕は確かなものだ。架のツッコミどころが多すぎて、ヤフコメならば、9000以上のたちの悪いコメントがついているだろう。
むしろ、架がインスタグラムをしていないほうが、びっくりである。「え、お前、昭和?」みたいな感じで、しかも、探偵役のはずの架は、全然成果をあげられず、わかっていくのは己の不甲斐なさばかり…という体たらく。しかも、謎を解くのは、チャラチャラ座って、スマホいじってた悪友美奈子たちで、「架…、お前の数ヶ月は美奈子たちの1時間に満たないんだ…」と、小五郎オジサンと名探偵コナンくんの関係を彷彿とさせて、微苦笑してしまった。
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真実は真実で、失踪後、とりあえず、行く場所もないので仙台にボランティアに行く。
前橋生まれの真実は、積極的な姉といわゆる「ヘリコプターペアレント」の両親に挟まれて、「いい子」に過ごしてきた女子である。主体性を全部親の判断に委ね、反発はしながらも、最終的に親が安心するからという自己合理化をしながら生きてきたけれども、それの堪忍袋のおが切れて、爆発するように仕事を辞め、東京にきて、架と会った。
「いい子」だから、親から離れた後、架に主体性の手綱を渡すが、架もボンなので、何となくの流れで日々過ごしてしまうから、なかなか判断してくれない。で、親の時と同じで溜まりに溜まった堪忍袋のおが切れて、ストーカー偽装と、失踪という、普通に喧嘩してればいいようなものを、とんでもない自己アピールに及んでしまう。
それで仙台に行ったのである。
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私は、この仙台時代の話は、切り取って別のところでやって欲しいくらい、良かった。これがなかったら、SEKAI no OWARIのhabitを聴いたときのように「ああ、ごめん…俺が悪かった…」という悄然感のまま、いやあ勉強になりましたね、という仏頂面で事後を過ごさねばならなかった。けれど、このボランティア体験のエピソードが、すべての説教臭さを逆転して、外部に触れるっていいよね〜みたいな俺のちっぽけな公共性に響いたのだった。
前半を代表するのが、前橋のやり手ババアだとするなら、後半を代表するのは、仙台の気持ちのいいババアだろう。私も、どっちの歳の取り方が、ふさわしいかなと思いながら、対比して読んでいたけれど、結論は出なかった。やっぱ、ちょっと金はあったほうがいいかな。
とにかく仙台に対するポジティビティと、前橋に対するネガティビティの源泉はどこにあるのだ?と、悩ましくなった。でも、きっとこれはたまたまなんでしょうね。首都圏近郊にあるがゆえの、小さな差異のゲームの自己顕示のブルース。たまたま、前橋、そういうことにしときましょう。
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こういう書き方は良くないかな、と思ってはいたけど、読んでよかったかどうかと聞かれたら、よかった!と言います。映画も見て、どう違うか、確認しようかな。いつもビターなブラックコーヒーばかり強がって飲んでても、胃炎の挙句に病気になっても嫌だしね。時には、甘い甘いミルクコーヒーもよござんすということで。
ただ、三つ子の魂百までと申しますでしょう。一度目の爆発は前橋から東京、二度目の爆発は東京から仙台、これは架先生、きっと繰り返してしまいますから、どうぞもっと敏感になっていただきたい。次は海外かな。
続編求む。
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感謝。
川口さんの『傲慢と善良』評を読んで、読んでみようと思いました。『正欲』といい、川口さんの選書で手に取ることは多いです。ありがとうございます。
PTAかいちょーさんの評を読んで、本書に興味を惹かれました。私も、この本の中に書かれてあること、身に覚えのあることばかりです。特に架…。自己批判ですね、まったく。ありがとうございます。