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川端康成『山の音』1「山の音」
「戦後文学の最高峰に位する名作」との呼び声高い川端康成の『山の音』に着手しようと思う。
比較的短めの作品が多いなか、『山の音』は書籍としては厚い方だ。心してかからねばならない。
パラっと開いてみると、川端康成の制作方法論の一つでもある、短編連作型の長編になっている。
ひとまず第1章「山の音」を読むと、次のような人物が登場する。
尾形信吾・・・尾形家の父62歳。
尾形保子・・・信吾の妻63歳。八人兄弟の末妹。一男一女。
尾形修一・・・尾形家の息子。父と同じ会社に勤める。
尾形菊子・・・修一の妻。
尾形房子・・・修一の姉。女の子二人。
加代・・・暇をとった女中。
谷崎・・・信吾の部屋の事務員。
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尾形信吾は家長。しかし、若干のボケを発症しつつある。細かいことにこだわりがあるが、一方で、ちょっとしたことを忘れている。妻の保子はいわゆる姉さん女房だが、近年は年齢よりも若返って見える。そんな周囲の出来事が、不吉な予兆としてみえている。その予兆を裏付けるかのごとく、信吾は「山の音」を聞く。
修一は、信吾と同じ会社で働いているが、修一は誰かとアバンチュールを楽しんでいる。信吾は、それを知りつつ、信吾の妻である菊子を慰めるために、駅前でイセエビなどを買って帰ったり。菊子は、8人兄弟姉妹の末っ子で、産児調整に失敗したことで自分は生まれた、と菊子は信じている。
また信吾は本当は保子の姉に憧れていた。しかし、保子の姉は亡くなってしまった。保子は一方で、保子の夫に憧れていた。後妻に入ろうとしたが、果たすことはできず、信吾と結婚した。保子は、信吾に姉の影をみているし、保子自身も姉の影に影響を受けている。
そんな折、菊子が信吾に、保子が「山の音」が鳴ったとき、姉が亡くなったということを話してくれたと言った。信吾は、胸騒ぎを覚える。
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いきなり入り組んでいる。
『古都』にあったモチーフも、信吾と保子の間に挟まっている。
恋人ないしは夫婦の間に、別の人の面影が挟まって、お互いがその面影を意識しながら恋人ないしは夫婦でいるという関係性が、そのモチーフだ。『古都』においては、秀男と苗子と千重子の間にそれがあった。
その面影ゆえか、菊子の生まれの不憫さゆえか、信吾は菊子について特別な感情を抱きつつ眺めている。それは、「私」が「踊子」に注ぐ視線に近い。性的な視線とは一線を画しつつ、特別な愛情が含まれている。この視線もまた川端文学に頻出するモチーフである。
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この一遍に関して、感想を抱けと言われたら、現代にこの信吾の視線をもって菊子をみていたら、ちょっとキモいよね、と言われそうだと思ったことがある。
ただ、性的なニュアンスが含まれていない愛情ある視線が、キモいのかどうかはわからない。
すなわち、キモい場合は、やっぱり肉体的な交渉を目的において眺めることにあるし、逆に特別な感情がなければ、逆に店員と客のような関係になってしまい、それはそれで問題ではないのか、ということ。
私は同居家族に対して、どのような視線や関係をもっていくべきかわからないし、信吾の視線が適切なのかどうかには議論があるが、こうした二世帯家族のような構成において、他人以上特別な存在以下の愛情があるとすればどういうものか、を考えるきっかけになる。
ただ、異性を異性として意識する仕方というものは、昭和的なものなのではないか、と思ったりもした。
わかりにくいか。
まあ、川端の長編、スタートはやっぱり全体像がとらえづらい。