健三郎・つまらない男・猫 〜村上春樹『ダンス・ダンス・ダンス』41〜

そろそろ、『ダンス・ダンス・ダンス』も読み終わる。大変に長い物語で、それをどう解釈していいのかわからなくなるくらい。ストーリーライン自体は、難しくない。

あることをきっかけにある人たちと出会う。その人たちと様々なドラマを経て、ある人とは別れ、ある人とは関係を継続する。その出会いと事件を経て、主人公の気持ちも変化する。

主人公が思春期に属する人だと青春小説とか呼ばれる。『ダンス・ダンス・ダンス』はその点、妻に逃げられ、恋人に消えられた中年が主人公である。中年の再出発小説であるようにも思うし、村上版『個人的な体験』のようにも思える。

大江健三郎が亡くなって思うことは、やっぱり『万延元年のフットボール』はいい小説だったということだ。タイトルがこれほど洒落ている小説は、戦後小説の中では、稀有だろう。ふざけたタイトルのように見せながら、構造と内容にキチンとリンクさせている、堂々とした小説だった。

村上春樹さんも、感覚的に大江健三郎を意識するところはあったんじゃないかなあ、などと思う。

さて、結末に近づいてきて思うのは、若い頃は村上春樹作品に出て来る男たちって、感情をうまく殺し、言葉少なで、かっこいいなあ、と思っていたけれど、大人になってみると、感情を出すのがうまくなく、感情を乗せて話そうとすると決まってシニカルな感じになってしまうのが残念だなあ、ということだ。

だから、付き合うまでは村上春樹の「僕」は謎めいていていいんだけど、付き合ったあともこんな調子だったら、何かつまんないだろうということだ。そして、作中の「僕」も、そんなつまらなさを「欠落」として理解し、悩んでいるのである。

私自身は、どちらかというと感情が前に出てしまう人なので、感情を抑えたい抑えたいと努力してみたものの、それはあまりいい方に転ばずに、どこかに出かけてもつまらないような顔をしている、と言われるようになってしまったのである。個人的には、楽しんでいるのだけれども、周囲は苦虫をかみつぶしている私の顔を見てがっかりしているのだとすれば、やっぱり一人でどこかに行きたいものである。

「僕」は五反田君の死をユキに話した。ユキはショックを受けたものの、五反田君の映画から、何かを見つけたらしく、勉強をしたいと父親に言ったという。その結果、これから家庭教師になる女と会う予定があるらしい。

「僕」とユキは、それまでの間、五反田君がなぜ自殺したのかを話し合った。五反田君は、誰かに背中を押してもらうのを待っていたような気がすると「僕」は言った。

ユキは「僕」がユキのことを嫌いになるのではないかと心配していたが、それはないと「僕」は断言した。しかし、ユキは時間が経つと、そういった気持ちも消えてしまうのではないかと心配する。

どんなものでもいつかは消えるんだ。我々はみんな移動して生きてるんだ。僕らのまわりにある大抵のものは僕らの移動にあわせてみんないつか消えていく。それはどうしようもないことなんだ。消えるべき時がくれば消える。そして消える時が来るまでは消えないんだよ。たとえば君は成長していく。あと二年もしたらその素敵なワンピースだってサイズがあわなくなる。トーキング・ヘッズも古臭く感じるようになるかもしれない。そして僕とドライブなんてしたいと思わなくなるだろう。それは仕方のないことなんだ。流れのままに身をまかせよう。考えたって仕方ないさ

「僕」はこう言う。ユキには、これからも君を嫌いになることなんかない、と繰り返して述べた。しかし、ユキに、五反田君のこと好きだったんでしょう?と言われたときに、「僕」は涙ぐんでしまう。

「僕」とユキは別れ、「僕」は若干の喪失感を抱いた。しかし、来週にはユミヨシさん(北海道のホテルパーソンの女性)に会いに行くんだと気を取り直した。

今日は、下の子の小学校で、下校の歩哨をしていた。日中、日陰は寒いくらいだったけれども、太陽の下は暑い。そして、子どもたちは三学期が終わりつつあるので、大きな荷物を様々に持って帰っている。

三学期の終わりって、案外、切ないものだった気がする。どうせ2週間たてばまた学校は始まるのに、一度机が空になる。そして、新たな宿主に荷物を入れられる。引っ越しの前日と、荷物が行ってしまった当日の感覚が思いされる。

一年生たちは、下校のとき、本当に危ない。遊んで歩道にはみ出している。いつまでもテントウ虫だなんだと、みんなでワイワイと地面にいる虫を捕まえたりしている。さっさと帰れー!と言いそうになって、止めた。そういう経験は貴重だからだ。帰り道に寄り道しなかった人間を私は信用しない。寄り道して叱られて後悔や反省した経験がない子どもなどいるのだろうか。危ないから早く帰れ、というのは、歩哨を早く終えたい大人のエゴではないのか、と思って、しばらく見ていた。

そしたら、遠くから「〇〇さーん」と声をかけられた。「もう、向こう側は全員通過したよ。帰って大丈夫ですよ!」と、Hさんのおかあさんだった。ソフトボール部のキャプテンのような雰囲気で、ああ、そういえば中学校の時、自分と真逆の明るく元気で健康な女子のことが自分は好きだったな、ということを思い出した。私はデブなカイ・シデンみたいな感じだったので、そういう人とは縁がなかった。

そんなことを思っていたら、視線を感じた。

お前は幾つだ、ボケ


猫だった。

何、感傷に浸ってんだお前、と言ったような気がした。

ちっ、知らねーよ

俺は逆立ちしたってイケメンにはなれねーんだよ、と言おうとしたら、もうそっぽをむかれていた。孤高なヤツだった。

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