花粉症・新刊・ベルリン天使の詩 〜村上春樹『ダンス・ダンス・ダンス』 34〜
ヤバいな花粉症。3月初旬だというのに目は痒いわ鼻水は流れ出てくるわで、どうにもならない。他人の鼻水を啜る音にはイライラするのに、自分のそれには今までイラつくことはなかったが、今年については自分についても苛立つ。規則的なノイズならいいのだが、鼻水を啜る音には規則性がないのが辛い。
目が痒くて力が出ない、とアンパンマンみたいな弱音を吐きたくなっているところに、急な電車の停止があり、原因のアナウンスが流れないので、また気持ちが揺れる。『ダンス・ダンス・ダンス』でも読んどけよということではあるのだが、現実的にはもう43章まで読み終わっている。なるほど、いい物語だった。
そんなおりに村上春樹の新刊のニュースが舞い込んだ。私は新刊をすぐには読まない。いや、そんな意思的なものではなく、ただ、すかさず読む習慣がないだけのことだ。
急な電車の停止は、どうやら車内の安全確認らしい。何か揉め事か急病が起こったのだろうか。確認は素早く終わった。こういうスピードは信頼できる。
鼻水を啜っている男が、なぜか2度、繰り返して啜るようになった。「ズーッ!」が「ズーッ、ズッ!」という音に変わる。なぜ2度啜る?と思うが、どうやら、2度啜りの人は最初の人と違う人のようだ。オーケストラのように、皆が緩急をつけて鼻水を啜る。勘弁してください。
*
アメの面倒を見ていた片腕の詩人ディック・ノースが交通事故で死んだ。ユキは彼の生前ひどいことを言ったことを悔いていた。「僕」は彼をそのような星回りの人だったのだと言って、ユキを慰めた。ただ、同時に「僕」はその後悔こそ、くだらないという。そして叱った。
アメは落胆していた。しかし、婚姻関係になかったこともあって、手続きはすべて実の妻がやっているという。死んだディックの荷物を、実の奥さんに届けてほしいという。それを「僕」は承諾する。そして、ディックがやり遂げられなかった買い物も引き受けた。
実の奥さんは豪徳寺に住んでいて、荷物をもっていくと中から中年の男が出て来て、それを受け取った。ディック・ノースの死は何を意味するのかを考えた。
ユミヨシさんとも電話した。
五反田君とも飲んだ。五反田君は疲れているようだった。五反田君の愚痴はより深く暗い方へ発展した。「僕」はそれを聞いても、理解はできても、本当の意味での返事はできかねた。五反田君は満足して帰宅したが、どこか淀んだ感覚が残った。
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すごい。啜り、くしゃみのオンパレードの人がいる。「オンパレード」って言葉は、あまり使わないようにしていたのだが、一人ボイスパーカッションのようで楽しくなってきた。私の鼻水も止まらない。「流れよ、我が涙」みたいなもので、早く駅に着いてくれよ。鼻がかみたい。
思えば『ダンス・ダンス・ダンス』は「ベルリン・天使の詩」を思い起こさせる。混乱して、世界の外に追いやられた男が、再び感情を取り戻していく話。もちろん、天使が主人公でもないし、状況をただみているだけではないけれど、感情が色付いていく瞬間や、他人の運命に介入できない無力さが、連想を強化した。
大学の頃、ベルリン・天使の詩を観て、大好きだと言っていた同級生に影響を受けて、観てみた。途中で寝た。何がいいんだろうと思った。気取り屋め、とも思った。けれども、この歳になって、やっと良さがわかった。「あの感情」をふっと思い出す「あれ」。あの同級生、あの歳で、そんなに老成していたのか。もう、おじいちゃんになってるかもしれないね。
でも、ラスト、いいですよ。『ダンス・ダンス・ダンス』。
まだ、この感想文は、そこまで行き着くには、まだ先は長いけど。
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