信吾と菊子以外の物語はどうなっているのか? ~川端康成『山の音』総括 2~

『山の音』には、三つの夫婦の物語がより合わさっている。

一つは、信吾と保子。

一つは、房子と相原。

一つは、菊子と修一。

映画は、房子と相原の物語を矮小化し、信吾と保子の物語を解決済みのものとして処理し、菊子と家族の関係を軸に、物語を再構成している。

しかし、小説はそうではない。

ここでは、信吾と保子の物語と房子と相原の物語について、確認したい。

信吾と保子

信吾は、保子の姉(名前は与えられていない)に憧れを抱いていた。しかし、その姉は別の男と結婚してしまった。姉が亡くなった後、保子はその男の後妻に入るつもりでいたが、信吾は姉の面影がもしかしたら子どもに遺伝するかもしれないと保子との結婚を決める。

生れた房子は姉の姿を宿してはいなかった。信吾は、房子を疎んだ。生まれた男の子の修一を溺愛した。房子は父に愛されなかったことを恨みに思い、そのために相原に愛されていないと思っている。修一は戦争へ行き、帰還した。そのためか刹那的な考え方になっている。

信吾は、この姉の面影を、房子の娘にも探す。しかし、むしろ嫌な気質が濃縮してしまった気がしている。里子はそのため、あまり愛されていない。里子もまた可愛げがないが、それは親のいさかいを観ていたゆえだと説明される。

信吾は、修一と菊子の子どもに、姉の面影が浮かび上がることも期待している。しかし、菊子は自ら堕胎してしまう。その亡くなった子どもに対する責任は自分にあるのではないかと信吾は考えている。

お互いに別の憧れの人を心に抱きながら結婚生活を送っている夫婦の物語。これが信吾と保子だ。

この二人に一人が介入してくれば三角関係ができ、ドラマが動き出す。しかし、信吾ー保子ー菊子の三角関係(信吾ー修一ー菊子の三角関係も)は、できそうでできない。信吾と菊子の関係に、保子が「嫉妬」をしないからだ。あるいは、修一が「嫉妬」をしないからだ。

この「嫉妬」の不在はなんだろう。

私は、信吾の目的は家族の形成と承継にある、と思っている。しかし、保子の姉の幻影にいつまでもこだわっていることで、理想的な父(と信吾が思っている)振る舞いに失敗したかもしれないと思いながら、家族の形を維持しようとしている。信吾はだから菊子のこと異性として好きなのではなくて、もしかしたら修一を通して姉の面影を宿す子どもを産むかもしれない菊子だから優しくしているのではないか。

そして、その信吾の意図を保子も修一も理解している。信吾にとって重要なのは保子の姉の血(遺伝的要素)であり、もし、信吾が菊子と不倫関係になって子どもを宿しても、そこには保子の姉の血が含まれない。だから、自ら不倫を行おうとは思わない。それを保子も修一も理解しているから、「嫉妬」することはないのではなかろうか。

 踊りの子につかみかかりそうだった里子の、兇悪、狂暴な性質は、房子の血を引いたのだろうか、相原の方の血を受けたのだろうか。母の房子の方だとすると、房子の父方の信吾の血筋か、母方の保子の血筋か。
 もし、信吾が保子の姉と結婚していたら、房子のような娘は生まれなかっただろうし、里子のような孫も生まれなかっただろう。

p.183


それならば、信吾の優しさは、菊子を呪縛するものである。ラストシーンにおいて、信吾の呼びかけに菊子が答えない(皿の音で聞こえない)のは、呪縛からの解放を予感させるものではないだろうか。

房子と相原


房子は信吾の娘である。保子の姉に似ても似つかない容姿のせいで、信吾に疎まれた保子は、相原という男を紹介されて結婚する。しかし、結婚生活はうまくいかずに実家に戻ってくる。

房子は相原とは別れたいと思っている。その交渉を、親にやってもらいたいと思っている。

房子には里子と国子という二人の子どもがいる。里子は4歳にして、ひねくれ始めている。保子の姉の風貌が現れていないと信吾は失望を隠さない。だから房子が2章のあたまで家に戻ってきた時に最初に発した言葉が「後は出来ないのか」だった。二子の国子は0歳なのにも関わらず。立ち上がって歩こうとするから8ヶ月くらいか。

信吾はそれでも相原との関係を復活してほしいと思っている。だから離婚交渉には積極的ではない。

房子は親に愛されなかった娘であった。愛されなかったというのは言い過ぎでかもしれないが、少なくとも房子は愛されなかったと思っている。

「関係がありますわ。大ありじゃありませんの。お父さんがお前を可愛がらなかったから、お前は性質が悪いと、相原に言われて、私はううっと咽につまって、あんなにくやしいことはなったんです。」

p.146

房子が実家に帰ってきた時にものを包んできた風呂敷は、保子の姉の形見である。それが保子には気に入らない。

一度家に戻ってきたかと思えば房子は、住む人が居なくなって寂れる信州の保子の実家に二人の子どもを連れて帰っている。房子のこの振る舞いは無意識に信吾の愛の対象としての保子の姉との同一化を模索しようとしている風に見える。4章の終わりに、いびきがうるさくて信吾に起こされた保子が「房子はまた風呂敷包を下げて戻るんでしょうか」と唐突に言うところに現れている。

房子は一度相原のところへ戻って、そしてまた戻ってきた。その時は泣いていた。翌日は、いつまでも寝ていた。正月だった。

修一が保子の姉の面影を宿しているらしいことを房子は気づいている。だから信吾は修一を溺愛するのだ。修一の子を待ち侘びているのだ。

「美男の息子と美人の嫁とが、おいであそばさないと、お食事がまずいんですからね。」
信吾は顔を上げて、保子と目があった。

p.210

菊子が実家に帰った頃、房子と信吾はいさかいをし、信吾がこの際だから洗いざらい言ってごらんといい、その時に相原が麻薬の密売に奔走していること、すでに房子と相原が住んでいる家もなく、足の悪い相原の母もいなくなり、荷物も全て片付けられていることなど、信吾が調べた全てを房子に話した。

そしてあくる日相原が心中した記事を菊子が読み、信吾に告げる。

相原との離婚が成立したことで、房子はむしろ吹っ切れていく。里子も、なぜか大仏が好きになり、そこに行きたがる。そして、ちょっとした店を出させてほしいと信吾に告げる。菊子も手伝うという。

房子と相原の物語は、父と夫の愛を望みながらも断たれる女の物語だ。求めるがゆえにいびつになり、修一や菊子と競争する。里子は、その母の欲望を具現化する存在だ。だとすると、大仏へと興味を示す里子は、相原との別れが決定的になり、ある種の悟りを開いた房子の心の中を示している。



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