中学校・和解・細田守 ~村上春樹『ダンス・ダンス・ダンス』26~

印象的な一節があった。

「中学校の頃っていうと、君はどんなことを思い出す?」と五反田君が僕に訊いた。
「自分という存在のみっともなさとおぞましさ」と僕は答えた。
「その他には?」

講談社文庫版『ダンス・ダンス・ダンス』、p.27

48歳にもなると、中学校の頃のエピソードを、少しずつ忘れていく。

3年間=1095日(約)もあったのに、記憶は、一瞬に満たない。そして、今ある記憶も、のちに編集されて上書きされた記憶のように感じている。

覚えているのはどんなことだろう。

サッカー部の顧問の先生が、ジャージで小林君の顔を叱るついでに何度も叩いた。ジャージがバサバサと顔に当たるので、痛くはなかろう、と周囲で見ていた私たち思いながら、「おい大丈夫だったか」と小林君に後で聞いたら、「ジャージは痛くないんだけど、ファスナーの金属がバチバチあたって、あの野郎って思った」と言っていたのを思い出す。

小林君は、何かというとタイミングの悪い男で、小学校から一緒だったが、いつもはあまりふざけない彼が芋ほりに興奮して、手に持ったスコップを振り回していたら、たまたま通りかかった安田君の鼻と唇の間をスラッシュし、出血するという惨事を引き起こしたりした。2年生のことである。

また、小林君が体育からやっぱり普段よりも若干上気して戻ってきたら、ドアのところで佐藤さんとぶつかりそうになり、キスしたとはやされてしまったこと。これは3年生のことである。

このように小林君は、中学生になってもタイミングの悪い男だった。背が高く、頭も悪くないが、いかんせんタイミングが悪い。だいたい、部活など顧問がいるときは一生懸命やっているが、いなくなれば文句たらたらなのが中学生。誰もがそうであったのに、なぜか小林君のタラつきは見つかって、叱られる羽目になってしまうのだ。その蓄積の結果が、先述した「ジャージ殴打事件」である。

小林君とは、皆でそれなりに考えて作ったTRPGのゲームをしたことを思い出す。中学2年生のときだ。シナリオは忘れてしまったが、そのころゲームブックから派生したテーブルトークRPGが流行っていたので、我々もそれに乗っかったというわけだ。しかし、私たちのブームは、1年で終わり、そのメンバーとは中学3年生になると、集まることはなくなった。もしかしたら、私以外は集まってやっていたのかもしれないが。

村上春樹の「僕」のように、自分を内省することは、ほとんどなかった。いや、内省は常にしていたように思うが、今思い出せる内省は、おそらく、後から考えたことをその時期の自分に投影しているだけのことであろう。

「僕」は深夜に五反田君とあい、朝に横浜で撮影があるという五反田君をのせて、車の中で話し合うことになった。

五反田君に、メイが亡くなったことを告げると、狼狽した。「僕」が、君のことは黙っていて、三日間留置所に入れられた旨を告げると、なぜ、そんなことをしたのか、と逆に聞き返された。

五反田君はハッと気づいて、謝罪する。そして、なぜメイが殺されなければなかったのかを問う。そして、その責任も。

しかし、「僕」は五反田君に自分を責めるなといい、誰のせいでもないと告げる。そして、そんなしおれた五反田君をチャーミングだとも思う。

五反田君は、撮影が始まるまでホテルで飲まないかと、「僕」を誘うが、「僕」は断る。そして、車で帰りながら、五反田君との友情を反芻していた。

私も、村上春樹の小説には、自分と社会(他人=他者)の接点をさぐり、和解を試みる系列の長編と、自分の存在の根源を掘り下げる系列の長編の二つがあるように感じる。

『ダンス・ダンス・ダンス』は、その「自分と社会の接点をさぐり、和解を試みる系列の長編」の代表作だと思う。

もちろん、『ねじまき鳥クロニクル』や『世界の終わりとハードボイルドワンダーランド』に、社会(他人=他者)との和解というモチーフがないわけではない。いや、むしろ大いにある。ただ、ベクトルが逆である気がする。

なんとなく。

『ダンス・ダンス・ダンス』の単行本刊行は1988年10月。

『となりのトトロ』の公開は1988年4月。

『ダンス・ダンス・ダンス』で殺害される「コールガール」メイと、『となりのトトロ』のメイとさつきが、オーバーラップしてしまうのは偶然だろうか。無関係な命名である、と思いながらも、二つの「メイ」が気になる。

細田守監督の「雨と雪」は、ある程度『ダンス・ダンス・ダンス』の母娘である「アメとユキ」が念頭にあるんじゃないかと思われるが、誰か村上春樹を読む細田守を論じてくれないものだろうか。



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