ドストエフスキー『カラマーゾフの兄弟』8 ~第2編 場違いな会合 「二 年とった道化」~

ええっと、この節は、えらいゾシマ長老の前で、オヤジやらかすんじゃないかどうかと心配していたアリョーシャの予想が的中して、フョードルがグダグダと余計なことを言っちゃう、そしてそれをみんなでヒヤヒヤしながら見つめている、そんな内容です。

ウチのオヤジも、妹の授業参観で、子どもたちが手をあげないから、「ハイ!」とか手を上げちゃってみんなを笑かそうとして、妹に「もう来ないで」と泣かれる、といった振る舞いに及んでいたので、フョードルの「道化」はわからないでもない。私も、そういうことをやりそうになっちゃうので、遺伝てすげえなあと思いました。

今回、重要なのはフョードルの話で、長老に何かを言おうとして、それが回りくどく親父ギャグを入れようとして逆に失敗してしまい、それはいつものことだ、という性格づけトークが披露されているというとこなのかもしれません。ギャグ自体はよくわからないですが、署長さんと指揮者を示す単語に共通の文字が入っていたので、署長さん我々の指揮者になってくれませんかとか言ったら、真面目な顔で舐めてんのか、とかいうニュアンスで詰められた、とか。ふとんがふっとんだ、みたいなシャレですよね、つまり。

あとはディドロがロシアに来て、神はいない!とか言って、長老に論争を挑んだら、長老の返しに、ひれ伏して神の存在を信じたとかいう伝説とか。それって置き換えるとなんだろう。この屏風の中の虎を捕まえよと言われて一休さんが、じゃあまずは追い出してください、とか言ったらギャフンとなったみたいなことなのかな。そういう小咄を、ヘラヘラ出して偉い人にしてしまって、いたたまれなくなり、より過激な自問自答でぐちゃぐちゃになっていく…いやあフョードルのこと、自分ごととして捉えられるようになりましたよ。

フョードルって、第一編でアレコレ言われたように、守銭奴だし、強欲だし、女には目がないし、妻たちにはつらくあたってたし、子どもらについてはネグレクトだし、それらの情報だけを総合すると、ただただ憎んであまりある奴だよね。今なら、こんな奴の話、誰も聞かないよね。奥さんにつらくあたって、早く死なした、子どもの面倒は見ない、という事象だけできっと、ネットでは批判コメント10000件みたいな状態なんじゃないかしら。

そんなフョードルにも発言の機会を与えてて、そんな自分の性格がある種の無学や自己承認の不全にあるみたいな主張がなされてる。

まさにそのとおりで、わたしはいつも、人さまの前に出るたびに、俺は誰よりも下劣なんだ、みんなが俺を道化と思いこんでるんだ、という気がするものですから、そこでつい『それならいっそ、本当に道化を演じてやれ、お前らの意見など屁でもねえや、お前らなんぞ一人残らず俺より下劣なんだからな!』と思ってしまうんです。わたしが道化なのも、そんなわけなんでして。羞恥心ゆえに道化になるんです。長老さま。もとはと言えば羞恥心が原因でして。あばれたりするのも、もっぱら猜疑心のせいなんです。

太宰が言いそうな発言ですね。まあ、太宰はドストエフスキーのことを好きだったんだろうし。でも、道化的なふるまいと家族のことを顧みないっていうのは、ちょっと違うよね、と思うけど、そこがべつに問題になっているわけではないんだろうなあ。

今日、なんだか暗いね。寒くはないけど、かといって、暖かくもない。

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