川端康成『山の音』7「朝の水」
妻と子どもが遊ぶところに車で届けて、私は脚が痛いので、その遊技場の側の喫茶店で、今、このような文章を打っている。
気楽でいいが、それでもなんとなく寂しい。
『山の音』を読むと、より寂寥感が増す。
人生の晩秋に、感じる思いとイメージが、この小説には包み込まれている。
とはいえ川端がこの作品を始めたのが、1948年で、おおよそ私と同じくらいの年頃である。晩秋というにはまだまだと思いたいが、自分の身体に敏感な川端のことだから、きっと色々な変調を感じ取っていたのだろう。占領期であり、決して暮らし向きも良いとは言い切れなかったに違いない。
*
北本という男のことを信吾は思い出していた。
友人が語るところによると、北本は子ども三人を戦死させた後、自分の白髪を一本一本抜いて行って、最後は無毛になってしまい、病院に入院させられることとなった。しかし、入院した病院で黒いフサフサした毛が生えてきて、元気になり退院してのち、すぐに亡くなってしまったという。
ある朝、菊子が鼻血を出していることに気づき、介抱する。妻の保子を起こして手伝ってもらおうと思ったが、娘の房子が帰ってきていることに気づかなかったことに、信吾は強く驚く。菊子の鼻血のことを修一に告げ、それとなく菊子を労ってやれと伝えるが、おとうさんはそんなに息子の嫁に気を使わなくていいんですよ、と強く言われ、信吾は苛立つ。
ところで、北本が亡くなったのは戦中で、信吾は葬式にも行けなかった。そんな北本の娘が書いた紹介状を持って、信吾の会社を訪れたのが谷崎英子であった。そんな縁から、事務員として雇っていたが、修一との関わりの中で疲弊して、三年勤めて辞めることとなった。
そんな英子が、久々に会社に挨拶に来た。修一が浮気している絹子という女性と同居している池田と名乗る女性と一緒に。池田は、英子に説得されたのか、修一と絹子が別れることに協力するという。しかし、信吾は誰もそんなことを頼んでいないのに英子が焼いたお節介にいささか心がざわつく。
朝に菊子が井戸から水を汲む時の音が柔らかくなった気がして、季節の変化に思い至る。そして、池田という女性から言われた、修一菊子の別居案を実行しようと持ちかける。しかし、房子が余計な茶々を入れ、また信吾は不快になる。
*
とてもわがままを言う人がいる。
あの人が「あり得ない」、と言い、「あり得ない」ので一緒に仕事が出来ない、訴える。
とにかく嫌であり、「嫌」だから仕事も進まないという。
私から見ると、「あの人」と言われている人は、融通はきかないが、決して気を使ってないわけではない。
しかし、この「とてもわがままを言う人」の母親はクレーマーである。
当事者同士でやってくれよ、とも思ったが、理由をはっきりさせずに配置転換を企図したが失敗した。まあ、理由を隠した状態で、配置転換を行おうとしても、土台無理な話なのだ。
とりあえず、その「あり得なさ」について、もっと具体的にしよう、その上で解決策を考えようという内容のメールを送ったが返事はない。
人が嫌だから仕事が出来ない、という理由づけは、正直言語道断だが、縁故ゆえに、気を使わなければならない。
縁故だかなんだか知らないが、もう、そういう尻拭いをするのには疲れた。
全てを投げ出してしまいたい、と思うが、これも経験で、あそこを辞めた後に、全部小説にしてぶちまけてやろうと思う。あっ、違反ですか?ハイハイ。事実其儘ではないので。次回から面談は録音しておかないといけないな。
裁判でもなんでもどんとこいや。
人生の3分の1は、人に振り回されてばかりだった。