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川端康成『山の音』4「栗の実」
月曜休日。しかも一人。
久しぶりにカフェで、読書感想文でも打ち込んでみようととしたが、もう限界かもしれない。
廊下を挟んでしゃべっているママ友会の声と、じいさんとオッサンが議論している声が、ステレオでうるさい。
高音と低音どちらも響いてくるので、なんとなく逃げ場がない。電車の方がよっぽど静かで環境がいいと思うが如何。
昔は、こんな雑音どんとこい、みたいな自分だったが、最近はもう対応しきれない。
中学生男子が集まるとありがちな、突如として湧きあがる大きな笑い声とか、どうしてそこで皆の調子が合うのか、驚くばかりだ。
今日はママ友会から、そうした集合的な笑い声が、間歇的に聞こえた。リズムがバラバラなのが、より心に響く。
インターナショナルのプレスクールに子どもを通わせているママの集まりのようだが、いかにも日本的な振る舞いである。
まあまあ、うらやましい。
*
尾形信吾・・・尾形家の父62歳。菊子に父でもなく男でもない愛情を覚えている。保子の姉に憧れていたが、保子と結婚。
尾形保子・・・信吾の妻63歳。八人兄弟の末妹。一男一女。姉の夫に憧れ、姉の死後、その後釜に座りたいとさえ思ったが、信吾と結婚。
尾形修一・・・尾形家の息子。父と同じ会社に勤める。本郷に住んでいる女と一緒に暮している女に熱をあげている。
尾形菊子・・・修一の妻。様々なことに耐え、家のことをこなしているように信吾には見えている。
尾形房子・・・修一の姉。女の子二人。婚家とうまくいかず家に子どもを連れて戻っている。
加代・・・暇をとった女中。
谷崎英子・・・信吾の部屋の事務員。修一とダンスホールにいって、修一の女と会ったこともある。
里子・・・房子の子、4歳。
国子・・・房子の子、0歳。
鳥山・・・信吾の知り合い。更年期の妻にいじめられる。死去。
菊子と信吾は、庭の花を見ながら、軽い会話を行っている。そこに保子が外から声をかける。信吾は耳が遠いので聞こえないが、聞こえないがゆえに保子が菊子と自分との関係に何か言っているんじゃないかと思って、不安になる。菊子は、それをなだめる。
例の子どもを二人連れて実家に帰ってきた房子は、保子の実家に行った。実家といっても、もうだれも住んでおらず荒れ果てている。信吾は、保子と結婚を決めた時の義父母のことを思い出す。
そして、式を保子の実家であげたときのこと、栗の実が木から落ちてはじけるのを信吾は見た。見たのは自分だけかもしれない。保子が憧れていた義兄も親類として来ていた。信吾は複雑だった。信吾は、姉の血が保子を通じて、自分の娘に現れてくれないかと夢想したが、そうはならなかった。
そんなほぼ無縁の保子のさびれた実家に、房子が逃れて行ったのである。
ある日、信吾は、修一と会社に出かけた。修一は出張で、信吾の秘書の英子に踊りにはいけないと告げる。英子は明らかに意気消沈した。信吾は、英子に修一の浮気相手のことを聞いた。深堀りして。ダンスホールで会ったことがあるという。
その女は本郷の大学の近くに友人の女と一緒に住んでいるのだという。そこに旧知の友人の訃報がとどく。妻にかなりいためつけられた友人だった。更年期になった妻に、飯もくわせてもらえず、話もしてもらえない。そうして、亡くなった。
その友人を鳥山という。鳥山の告別式で、その妻を見たが、そんな恐妻エピソードの片りんもなかった。
英子に、さらに聞いて、修一が浮気しているという女の家を信吾は見に行った。しかし、誰にも会えなかった。
*
思ったように事の進まない章であった。
信吾が、修一の浮気相手を見に行く、ことが唯一の事態の進展か。
なぜ、信吾は修一の浮気相手をわざわざ見に行くのか。それは菊子を信吾が意識しているからであろう。しかし、その意識は、好きとか嫌いとかではなく、修一が菊子を傷つけてまで会いに行く女がどれほどのものか、という好奇心もあるだろうし、その理由を知りたいということでもあるだろう。
信吾は、菊子をまあまあの伴侶だと思っている。しかし、修一はそれに飽き足らないようだ。その飽き足らなさとは何なのか。それ以上の何かがあるのか。信吾の振舞いも、合理的とは言えない。衝動的なものだ。
私は核家族だったので、信吾のような大家族的な人間関係を知らない。敢えて言えば肩身の狭い菊子的な立場になったが、信吾と保子にあたる二人が認知症になり、かつ、私はそれでも男だっただめ、まあ、そこまでひどいことにはならなかった。
そういう立場で『山の音』を読むと、全然、古き良き日本の家族のイメージではない。信吾は、菊子の身を案じて右往左往しているし、保子は信吾と菊子の心の通じ合いのようなものを理解した上で放置している気がするし、菊子は修一の浮気を知っているようないないような。修一は家長としての責任感がなく、身勝手だし、房子はトラブって、実家に帰ってきたが、それはそれで肩身が狭そうだ。
「現代」の現われによって、古き良き家族が崩壊しつつある状況を書いた小説とも読めそうだけれども、思い起こすと、川端康成は古き良き家庭のイメージを最初から持てなかった。持てなかったからこそ、理想を描くということもあろうが、『山の音』はそうなっていない。家庭があとちょっとのところで崩壊をまぬがれつつ、微妙なバランスで日々が送られている、そんなイメージだ。
正直、現時点でここに出てくる菊子に原節子はミスマッチなような気がする。原節子に、この役柄をキャスティングしようとしているところに、当時の原幻想がみてとれる。原節子は、もっとギトギトした役どころの方が似合っただろう、と私は思う。
ただただ不吉な小説である。