ツルゲーネフの『はつ恋』を真面目に読む 6

島崎春樹(藤村)のやつが、ちょっと良くないと思う。

ツルゲーネフの『はつ恋』は、やっぱり、シェイクスピア劇のように読むべきだったのだ、と思う。

たしかに、ペトローヴィチの「初恋」が素材となっていて、それはツルゲーネフの自伝的なものでもあったから、彼は生涯独身で通した。

ここにあるのは女性不信か、それとも父に服従した自分への不信か。

(象徴的にも)父殺しが貫徹できずに、折れちゃった人格、のようなものを、この小説からは受け取れる。

「20」。

ペトローヴィチ一家は、別荘を引き上げることに決める。

おそらくマレーフスキイ伯爵が、例の手紙を母に知らせたのだろう。父は、伯爵に対して、冷たい言葉を放った。

ジナイーダとも会った。ところが、彼女はなんだか、様子がおかしい。

肝心の父に対しては…

わたしたち一家は、町へ引揚げた。わたしは、なかなか過去と縁を切ることができなかったし、そう手っとり早く勉強にかかることもできなかった。心の痛手が癒えるまでには相当の時間が要ったのである。とはいえ、父その人に対しては、わたしは少しも悪い感情を抱いていなかった。むしろ逆に、父はわたしの目に、一層大きな人物として映ずるふしもあったのである。…この矛盾は、心理学者どもが、なんとでも勝手に解釈するがいいのだ。

フロイト以前の精神分析について、あまり知らないのだけれど、すでにここでメタフィクショナルに「この矛盾は、心理学者どもが、なんとでも勝手に解釈するがいいのか」と書きつけており、ツルゲーネフ自体も、小説そのものの構造を客観視していたっぽい風情がみられる。そして、それらに対して「心理学者」が何か言うだろう、という予測も立っていた。

これは面白い。

「21」。

引越してから、父は毎日、馬に乗って外に出掛けていた。

あるとき、ペトローヴィチも、それについていきたいとせがんだ。

許された。

でも、途中で父に、ここで待っていろと言われた。

待っていたけれども、退屈だし、ちょっと気になって、父の出かけた先に向かった。

あっ!

ジナイーダと父が話をしている。

それどころか、あっ!

ジナイーダは、きっと身を起して、片手をさし伸べた。……その途端に、わたしの見ている前で、あり得べかざることが起った。父がいきなり、今まで長上着(フロック)の裾の埃をはらっていた鞭を、さっと振上げたかと思うと─肘までむきだしになっていたあの白い腕を、ぴしりと打ちすえる音がしたのである。

「あのひとがぶたれるのだ…」とペトローヴィチは、なんだろう、妄想する。

一体、何をしていたのか。

父は、ペトローヴィチが大学に入ると、すぐに亡くなる。

あいびきの相手が父であったことは間違いないが、父とジナイーダの間に、どのような関係があったのかは、ペトローヴィチの想像の外にある。

「22」。

ペトロ―ヴィチは大学を出た。

そこで、例の5人のうちの一人、詩人のマイダーノフにある。

ジナイーダは、ドリースカヤ夫人となったらしい。

そうなのか。

でも、お産の際に、亡くなってしまった、と告げられる。

会いに行けばよかった。

ペトローヴィチは嘆く。

この嘆きが、一般的には、はつ恋の相手に対する恋慕の念が凝縮した詩的な文章とされている。

そうとも読める。

けれど、

わたしは、何かしら心臓へぐっと、突き上げるものを感じた。わたしは彼女に会えたはずなのに、つい会わずにしまった。しかももう永久に会えないのだ……という想念─このにがにがしい想念が、ひしとわたしの心に食い入って、うちしりぞけることのできない呵責の鞭を、力いっぱいふるうのだった。『死んだ!』とわたしは、入口番の顔をぼんやり見つめながら、鸚鵡返しに言った。そして、そっと往来に出ると、どこへとて当てもなしに歩き出した。過去の一切が、いしどきに浮び出て、わたしの眼の前に立ち上がった。そうか、これがその解決だったのか!

謎の答えを知り得ることはできたのに、知りえなかった。

永遠に謎のままに残り続ける。

「にがにがしい想念」こそ、この一連の物語の「解決」である。

これは初恋の甘い想念だろうか?

シーブリーズのCMとかで胸キュンしているイメージが初恋か?

私には、コンラッドの『闇の奥』と同じような、ノワールな結末のように見える。

問題は解決しなかった。

解決したかと思いきや、何も解決されていなかった。

そして、永遠に解決しない。

ツルゲーネフは晩年まで、この作品を愛したとされるが、それは、この謎のせいだろう。

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