ジャルジャル・偏頭痛・ドゥブロヴニク 〜村上春樹『ダンス・ダンス・ダンス』 20〜

松葉杖はさすがに大袈裟だったので、サポーターとテーピングでなんとか、つま先を杖のように地面につけば、歩けるようにした。

3日もすると、少しずつ治っているような気がして、階段など、ふと左足に体重をかけてしまって痛みが走り、全く治ってなどいないことを知る。

具合が悪い時には、どうしても読書の気分にはなれず、タブレットを見る、寝る、子どもらの面倒を見る、というルーティンになりがちになる。仕事などもってのほかだ。

いやいや、本当は仕事も無視はできないので、休日なのに届くメールには素早く返信をする。PCの前で仕事をしている時よりも、寝ながらタブレットを見ている時の方が返信が早い。連中、私はすぐに返信を寄越す愛いやつじゃ、と判断してくれて結構。ジャルジャルのコントのように、寝ておるでよ。

そんな戯言はどうでもよくて、少しずつ、読んでいかなければならない。脚を痛めてから酒は飲めないので、実は頭はそれなりに働いている。

ところで、偏頭痛持ちの方は、結構おられるのだろうか。私も、若い頃は天候や気温や湿度に健康が左右されることなどとんとなかったのだが、バセドー病以来、偏頭痛が起こるようになった。

起こる兆候がある。決まって、本などを読んでいると視野の一部に光輝が出て、字が読みづらくなる。そして、徐々に光輝の部分は広がり、輪っかのように中央部は元に戻りながら、視野が完全に復活した時点から頭痛が始まるというものだ。

最近は、あっ来た、と思ったらすぐにロキソニンを飲むので、ある程度痛みに苦しむことは無くなった。そして、その兆候は、寒くなったり、抵抗力が落ちていたり、眼精疲労だったり、というタイミングで起こる。今日も、実は偏頭痛に襲われた。

最初は、びっくりして、脳梗塞かもなんて思ったが、一笑にふされた。そんなの素人じゃわかりませんよ、と憤慨したが、まあ、いずれにしても変調は変調なんだからと、偏頭痛の日は無理をしないようにしている。 

五反田くんと会って、ひとまず生活は落ち着いた。休みの日は、また五反田くんとキキが出演している『片想い』を見て過ごしたりした。

私が持っているイメージについて考えたりして日々を過ごしていると、ユキから電話がかかってきた。

軽い雑談の後、ユキのジャンクな生活を聞き、心配になって「僕」は、ディナーを一緒にすることに決めた。ユキは約束を急に変更しないでよ、と言った。「僕」も、当然そんなことはしないし、自分の生活にそんな突発的な出来事は起こらない、と確約した。

しかし、そんな突発的な出来事が起こった。

子どもたちの習い事の間、私は車で待っている。その時間は、こうしてタブレットを叩き、読書できる時間でもある。

今日のように、カルディでクロアチアの調味料を買ったりする多少の時間はある。

クロアチアの調味料はどうも、コンソメのようだが、脂質が少ないらしい。動画などをみると、マグロを焼く時に下味としてふりかけ、そこにオリーブオイルで馴染ませるように使っている。雰囲気的にはブロードを粉末状にしたもののようだ。ただ砂糖も入っていて、若干の甘みも感じられるらしい。

私が市場で仕事をしていた頃、マグロのセリを見学させてもらったことがある。「大物」と呼ばれる棟の一角で、4:50くらいから始まるセリは、生の本マグロの質の高いものから順番に競られていく。

尾鰭のところを切って、その断面の色や粘り気を確かめながらセリは進む。色々な産地があったが、クロアチア産のマグロも結構あった。クロアチアではマグロの養殖も盛んなようだ。

大間産の生の本マグロなど、口にしたことは欠片を一度くらいしかないが、クロアチア産、イタリア産、といった言った地中海やアドリア海で採れた本マグロは、値段も手頃で、美味しい。生ではなかったと思うが、それでも、朝に近隣の店の人が差し入れてくれたマグロは美味しかった。

クロアチアは、ナイキのマークのような形の国で、内陸部と沿岸部と、島嶼部、に別れた起伏に富んだ国だ。私たちの頃は、まだユーゴスラビアだったが、内戦を経て、独立した。旧ユーゴで国名を覚えた私は、未だにスロベニアとクロアチアの位置関係を間違えたりする。全部言えと言われたら、全部言える自信はない。

ただ、ドゥブロヴニクには一度行ってみたい。

焼津出身の友人が、焼津はギリシャの都市国家に近い、などと変なことを言っていたが、ドゥブロヴニクはどこだろう。長崎か広島か伊勢か。伊勢は行ったことないので、一度行ってみたいな。

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