川端康成『山の音』6「冬の桜」
グループワークのファシリは苦手なんだよなあ!
「ファシリ」って略すのは、知り合いのママさんが学童の会議でそう言っていたので、ああ「ファシリ」と納得して使い続けているわけですよ。「ファシリテーター」の略ですね。略語文化の粋だなあといつも思っとります。
私も今の会社に入ってしばらくの時に、研修に4泊5日で行かされたことがあります。自己紹介から、他己紹介、問題の洗い出し、チームワーク。様々な研修プログラムをやって、最後、ポジティブシャワーで終わりましたよ。
あの頃はスカしてたし、なんやかやとアレでしたけど、グループワークは出口をなくして、それだけに集中する環境がないと、なかなかうまくいかないですよね。スマホとか取り上げて外部の出口を遮断しないと。なんて物騒なことを言っておりますが、まあ、研修とかセミナーってのは、まあそういうもんです。
ただ、割と、そういうところで同室になった人とかは、30歳を超えながらも、色々な個人的なことを話し合って、今でもメールのやり取りくらいをしているので、よかったなあと思います。その人は静岡市近傍に住んでいるので、浜松に出張などあった時には、静岡に立ち寄り、色々案内してもらったので、私の静岡へのコミットは案外深いものとなっております。
登呂遺跡と芹沢銈介記念館は、いつ行っても楽しいですね。
芹沢銈介は染織家として名高い人で、柳宗悦といった民藝運動と関連が深いのですが、川端康成の書籍で『愛する人達』や『雪国』の装丁も行っています。私は、道に迷うといつも日本民藝館に行って、心を落ち着けるのですが、民藝館には芹沢の作品も着物関係で展示されたりしています。
道に迷うと民藝館なんて、莫迦みたいですが、あの建物のベンチでぼーっと、収蔵品や廊下を眺めながら、ぼんやりと邪念を払って、その上で収蔵品が話しかけてくれるのを待つわけですね。私なりの精神安定法です。私は集団に属して、一緒に動くのが苦手なのですが、やはり属さないと生きられないのが、この世間というやつ。
柳宗悦はいうわけです。民藝の紋様の一つ一つは反復だが、しかして、一度とも同じ反復はない。同じ紋様に見えたものが実は微妙な違いを個性として訴えてくるまで、民藝館の中で瞑想する。それを人はただの昼寝というわけです。
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尾形信吾・・・尾形家の父62歳。菊子に父でもなく男でもない愛情を覚えている。保子の姉に憧れていたが、保子と結婚。
尾形保子・・・信吾の妻63歳。八人兄弟の末妹。一男一女。姉の夫に憧れ、姉の死後、その後釜に座りたいとさえ思ったが、信吾と結婚。
尾形修一・・・尾形家の息子。父と同じ会社に勤める。本郷に住んでいる女と一緒に暮している女に熱をあげている。
尾形菊子・・・修一の妻。様々なことに耐え、家のことをこなしているように信吾には見えている。
尾形房子・・・修一の姉。女の子二人。婚家とうまくいかず家に子どもを連れて戻っている。
相原・・・房子の夫。離婚したくてたまらない。
加代・・・暇をとった女中。
谷崎英子・・・信吾の部屋の事務員。修一とダンスホールにいって、修一の女と会ったこともある。修一との関係に悩んで、辞職を決意。
里子・・・房子の子、4歳。
国子・・・房子の子、0歳。
鳥山・・・信吾の知り合い。更年期の妻にいじめられる。死去。
テル・・・軒下に住み着いた迷い犬。
水田・・・亡くなった友人。女と温泉街にいるときに死去。
雨宮のじいさん・・・隣家の人。テルの面倒を見ていたが、転居するので、尾形家にテルの世話を依頼。
朝目覚めると、修一に連れられて房子が家に帰ってきていた。その4歳になる娘の里子が裸足で廊下を歩く音で、信吾と保子は気づいた。保子と信吾は、房子の今後について話し合うが、その保子の言葉がもつれたことについて、信吾は不吉なものを覚える。
房子は若干ヒステリックになっている。子どもだけでもうちに置いていけば、という助言に対して、相原の子になるかうちの子になるかわからないのに!とキレたりする。
元日、英子が訪ねてきて、信吾に話があるとして、外に連れ出した。会社を辞めるという。それは結局、英子は修一に惚れていて、友達付き合いのつもりで、ダンスホールに行ったり、例の浮気相手の絹子の家に行ったりして、過ごしていたら、もう耐えきれないという。
信吾に英子は、あんないい奥様がいるのに、なぜ、浮気するのかと問う。そして、修一は菊子を「子供だから」とばかり言うという。それを聞いて、信吾は怒りに打ち震える。修一は、菊子に娼婦を求めているのか、と。しかし、それは自分の血なのではないかと恐れもする。
冬なのに桜が咲いているように見える。トンネルを電車が抜ける音がする。海鳴りのような、山の音のような不吉な音。
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柳の白磁への傾倒、芹沢のベンガラへの傾倒は、国家の中で一元化、斉一化していく地方文化(当時半島は植民地でした)の独自性を受け継ごうとする気概に満ちたものでした。みんなが同じ方を向いている中で、ちょっとだけ角度を変えてみる。こうした「和して同ぜず」の精神で今までそれなりにやってきたわけですが、それにしても、ファシリテーターは難しいと思います。
全員を同じ方向に向かせる方がよっぽど楽である。
これから小学校のPTAの保護者会へと向かっております。本当はあんまり乗り気じゃないし、実際、金曜日だと思って「休みまーす」と連絡帳に書いたのに、水曜日ですと書いて寄越されたわけですよ、前日夜に。ファシリの直後かよ、と思うわけですこっちは。
直後ってこっちも多少ハイになってて、発言とかないと場を回そうとし始めちゃう。そんな余韻が残りまくりで、とにかく場を盛り上げよう、問題を明確化して、議論を沸騰させようと、介入しまくる気持ちが燻っているわけですよ。そんな時にPTAとか行っちゃう?みたいな。
普段はしんねりむっつりしている私が急にハイテンションで場を盛り上げようとし始めるのは、ホント勘弁してほしいのです。ただ、この文章アップは、そのPTAも終わって抜け殻になった頃に、あらすじをまとめる感じで書き足すので、上から読んでいくと何が何だかと思われるかもしれません。
しかしながら、これもまた、人生。
コイツ、やべーよ、という目で見てやってください。
私はヤバいけど、川端はヤバくないんで。
PTAに来た。