授業とは、教師が「業」を「授け」、子どもが「業」を「授かる」時間である
授業には「ねらい」が不可欠です。ねらいのない授業は、単なる活動で終わってしまいます。
「授業」という言葉は、「業を授ける」と書きます。そのため、ねらいを持ち、教師はその時間に「業」を授けることが重要です。
一方、子どもたち(受け手)は、その「業」を「授かる」ことが求められます。
つまり、「ねらい」とは「業」のことです。教師は、何を授けるのか、つまり「業」の詳細を明確に把握しておかなければなりません。逆に言えば、授ける内容を把握できていない授業では、子どもたちも何を授かればよいのか分からず、混乱してしまいます。
先日、通級指導を受けている子どもが、「通級指導は遊ぶだけだからね~」と話していました。私自身、腹が立つ気持ちもありました…!
しかし、それ以上に、私が「業」をしっかり授けられていないことが原因だと痛感したのですー
もし、その子が通級指導を通じてコミュニケーション力の向上を実感したり、他者との関わり方を学び、それを実践する機会を得ていたのであれば、「遊ぶだけ」という発言は出てこなかったはずです。
結局のところ、私が「業」を授けられていないために、通級指導での活動が単なる遊びのレベルで終わってしまっているのです。
他の子どもからは「遊び」という言葉は聞かれませんが、それでも「業」を授けきれていない子どもがいるのではないか、と振り返るよい機会となりました。
確かに、活動内容はボードゲームやカードゲームなど、遊びの要素が強いものが多いかもしれません。
しかし、その活動の中には確かに「ねらい」が存在しています。それにもかかわらず、私のインストラクションが不十分であったり、活動の目的や方法を子どもたちに十分理解させきれていないことが、根本的な原因なのだと思います。
じゃあ、どうする?
仮説と検証のサイクルを回し続け、授業や指導の内容や方法を改善していくしかありません。忘れてはいけないのは、「授業は『業』を授ける時間である」ということです。一時間一時間の授業を大切にし、その積み重ねを意識しながら、子どもたちに「業」を授けていきたいと考えています。
今日の記事は以上になります。
最後までお読みくださりありがとうございました。