夢番地-明日はきっと、明日を迎えにいこうと思った
小学4年生か5年生の時に、ひとつ年上のギターがめちゃくちゃうまかった友だちに教えてもらったアーティスト、RADWIMPS。
RADを好きになったことが、私が「言葉」というものに影響を受けるようになる最初のきっかけだったかもしれません。
洋次郎が書く言葉のひとつひとつに魅了され、当時WALKMANを持ちたての私は、TSUTAYAでCDを借りてはWALKMANに追加し、家のパソコンで歌詞を検索しながら聴き漁っていたのを覚えています。
野田洋次郎の表現力は抜群だと思います。
彼が持つ世界に対する独特な感触を、おそらくそのまま彼の言葉で表現しているのだろうと思いますが、その温度と質感が唯一無二です。
正直な感じが、そのままな感じが、微妙な違いも無視せずに表す感じが、とても好きです。
あまりRAD好きを公言しませんが、全私アーティスト思い入れの強さランキングでは堂々の1位。
(ちなみに2位はゆずとセカオワが肩を並べ、その次にファンモンやGreeeen(今のGRe4N BOYZ)が続くでしょう。)
RADを聴き込んでいるかつトップレベルに好きという人に出会うことはなかなかありませんが、奇跡的にも同レベルのRAD信者に出会ったので、この記事はそんな彼に捧げます。
初期含めて聴いたことのない曲はないくらい聴き倒したRADWIMPSですが、大好きな曲の中でもトップを誇る一曲があります。
それが、「夢番地」という楽曲。
ハマったのは中学生か高校生の頃だったかと思いますが、それ以来なにかとバイブルのように携えてきました。
当時の自分は、飢えていました。色んなものに。
自分の力ではどう頑張っても変えられない人生、宿命のようなものを受け入れなければならないと頭では分かりつつも、気持ちでは分かりたくないと、その圧力に猛烈に抗って、脳も心も体も全くちぐはぐで、今にもバラバラに分裂してしまいそうな時期でした。
でも、もっと大変な境遇の同世代の子たちがいるのも知っていました。なので、自分の状況は相対化して軽視することで保っていました。
当時は、「こんなにがんばって1日を切り抜けたのに、どうして夜が来て、また朝が来るの?」と思いながら過ごしていました。
まさに、「だけどなんで 明日になってみれば今日がまた 始まるの?」でした。
当時は、「将来のために今がんばりなさい」という、気の抜けた大人たちの言葉の数々をいつも睨みつけていました。
まさにこのフレーズで、
「『未来のために今がある』と 言われても僕は信じないよ
だって『今』のこの僕が 昨日の僕の未来
「現状に甘んずること勿れ」と 言われても僕は笑えないよ
だって『今』のこの僕が 誰かの夢見る未来」
毎日を生き抜いている時に理不尽に未来を見せつけられることへの反抗でした。
そんな私にとって、RADの言葉たちは私の心を一滴ずつ癒してくれる薬のような存在で、特に「夢番地」は私の物事の捉え方に対する処方箋でした。
希望でした。
この歌詞の出会った時に、当時の自分の一番の相棒だった一冊のノート「空華」に、「ありがとう」と書いたのを覚えています。
叶えたい夢はあるけれど、叶えた夢も大事にしようと思ったし、
私が手に入れられないものも誰かがそれを叶えてくれていると思ったし、
明日を迎えに行こうと思いました。
「置かれた場所で咲きなさい」という言葉はあまり好きではありませんが、本質的には同じようなことを意味しているのかもしれません。
綺麗に夢のようなものに向かって生きているわけでもないけど、今の自分があの時の自分を救えていたらいいなと思います。
当時の自分へ伝えたいのは、がんばって生き抜いていてくれてありがとう、です。
挙げきれませんが、他の好きな曲を有名どころを外して挙げるなら、
・夢見月に何思ふ
・ピクニック
・螢
・青い春
・リユニオン
・会心の一撃
・光
・棒人間
・ラストバージン
・Tummy
・ブレス
・いえない
・アイアンバイブル
・遠恋
・透明人間18号
・七ノ歌
このあたりでしょうか。
カラオケRAD縛り、全然できると思います。
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