小さな主張とフレンチトースト風オートミール。
「お昼は、アレ食べたい」
長男が発熱で学校を休んだ。
しかし食欲はあるらしく、こちらが聞く前に昼食をリクエストしてきた。朝食を食べ終わって間もないのに、もう昼食の心配をしている。
「アレって何?」
「ほら、この前お母さんが作ってくれたやつ。オートミールで作るフレンチトースト」
ああ、アレか。
長男が言っているのは、フレンチトースト風オートミールのことだ。
オートミールを牛乳や調味料と共にレンチンしてから卵を混ぜ、バターをひいた玉子焼き器で焼く。手間はかからず、本物のフレンチトーストのような風味に仕上がる。玉子焼き器の四角い形になるので、盛り付けを工夫すれば見た目もフレンチトーストっぽくなる。
オートミールを大量消費したかった日に作ったのを、長男は覚えていたらしい。確かその時も、パンで作ったフレンチトーストよりもこっちのほうが好きって言ってたっけ。
「でもさ、熱あるからうどんみたいなのを食べたほうがいいんじゃない?」
フレンチトーストは病人食に不向きだと、私は思った。パンよりカロリーは低いものの、バターを使っているから消化という点では疑問符がつく。うどんなどの麺類で考えていた私からすると、意表を突かれた形。
今の症状は発熱だけでも、あとから胃腸まで具合が悪くなったら一大事だ。何とか消化のいいものに転向してほしい。
ところが、長男は珍しく嫌がった。
「いや、今日はうどんの気分じゃない。絶対フレンチトースト風がいい」
あまりにも言い張るので、長男の気持ちに寄り添うことにした。心配が消えたわけではないが、食欲があるなら食べたいものを食べさせたほうが早く回復するかもしれない。
「わかった。お昼にフレンチトースト風作るね」
私がそう言うと、長男は安心した様子で寝に行った。
普段、長男はあまり自己主張しない。空気を読んで、周りに同調することが多い。空気を読みすぎて自分の意思と反した時でも、我慢してしまう。我慢せずに自分の意見を言ってと声をかけても、自分の意見を言うことは少ない。人の気持ちを汲める優しい性格だが、それが災いして我慢しすぎるところが気になる。
そんな長男が、珍しく自分の意見を通した。小さな主張だけど、ちゃんと言えるじゃない。ならば、願いを聞いてあげよう。
お昼が近づき、私はキッチンに立った。
材料や道具を準備し、調理を開始。
熱した玉子焼き器にバターをひくころ、長男が起きてきた。バターの香りに誘われて、キッチンに入ってくる。
「やった!本当に作ってくれてるんだね」
「そりゃそうよ、約束したんだから」
「うれしいな。食べたいものを食べられるから」
ん?どういうこと?
気になりながらも、生地を焼き始めた。
「そんなにうれしいの?」
弱火でじっくり火を通す間、長男に聞いてみた。
長男は、香りを嗅いで喜んでいる。
「うん。いつもは〇〇(二男)に合わせているからね」
実は以前から気になっていた。長男は二男をかわいがるあまり、二男の意見を優先させるところがある。ゲームも、夕食の献立も。いつしか長男は、私に何かを聞かれると、二男に向かって「〇〇はどうしたい?」と意見を求めるようになった。主張しないほうが、場が丸く収まるとでも思っているのかもしれない。
「合わせているのは分かった。でも、いつも〇〇の意見ばかりになるじゃない?同じ意見じゃないこともあるでしょ。それでいいの?」
私は、気になっていたことを長男にぶつけた。
すると、長男は考えながら言った。
「ちがうときもあるけど…。〇〇に合わせておいたほうが楽だから」
私は少し悲しくなった。「楽だから」という理由は、後から楽じゃなくなることを知っているからだ。我慢しすぎて小さな不平不満がたまると、ある日突然パンクする。その時にはもう手に負えない状態なのだ。
フレンチトースト風の生地を裏返してから、長男に向き合った。
「主張しないのは、その時は楽かもしれないけど、後からモヤモヤが残るよ。違う意見を持ってるのに相手に合わせるのは、優しさじゃない。ちゃんと言って、話し合うほうがいいと思う」
長男は、目を見開いた。
「どういうこと?」
「言いたいことを言えなくてモヤモヤした気持ちって、ずっと残るの。そんな気持ちになるぐらいなら、きちんと言ってほしい。少なくとも私には。ちゃんと言って、話し合えばいい。相手とわかり合うってそういうことだよ」
さらに私は続けた。
「相手のことだけ理解すればいいわけじゃないの。自分をわかってもらう努力も大切だよ。お母さんもあなたと同じように考えていたけど、違うってやっとわかったの。自分をもっと出していいんだよ。っていうか、出してね」
自分を出せない長男に、どうしても伝えたかったこと。相手だけじゃなく、自身のことも大切にしてほしい。自分の気持ちを尊重することを、忘れないでほしい。
私が言い切ったところで、ちょうどフレンチトースト風が焼きあがった。まな板に移して包丁で切り、皿に盛り付ける。今回は焦がさずにうまく焼けた。
長男は皿を見つめながらぼそっと言った。
「僕の意見を言っても、ちゃんと聞いてくれる?〇〇(二男)が反対するかもよ?」
「そりゃあ、ちゃんと聞くよ。話し合った結果、思い通りにならないかもしれないけど、ちゃんと聞いて判断するよ」
すると長男は、私を見て言った。
「お母さんなら聞いてくれることが分かったよ。お父さんは〇〇に甘いから、いつも聞いてもらえなくて。だからみんな一緒だと思ってたんだ」
長男が皿をテーブルに運ぶ。
フォークとナイフを用意し、メープルシロップをかけ、静かに食べ始めた。
私は長男を眺めながら、はっとした。
この子の気持ちを見て見ぬふりをして、優しさに甘えていたのは、まぎれもなく私だ。長男が自分を主張しなくなった原因は、私にもある。
そのことに気づき、心から悔やんだ。
もっと言いたいことあるんだろうな。
伝えることを諦めてきたのかも知れない。
長男の胸の内を思うと、心が締め付けられた。
「やっぱり、お母さんの料理はおいしい」
長男の言葉に、私の目から涙がこぼれそうになった。申し訳ない気持ちで、胸がいっぱいになる。
「ごめんね」
涙をこらえながら、私は言った。
長男は不思議そうに私を見ている。
「お母さん?」
「ごめん。大丈夫」
私は涙がこぼれないよう、天井を見上げた。
にじんだ視界に、照明がまぶしい。
それから何分ぐらい経っただろうか。
ナイフとフォークが置かれた音で、我に返った。
長男は、フレンチトースト風をきれいに平らげていた。
「ありがとう。美味しかったよ」
食器を台所に返しに来た長男は、私に向かってニコッと笑って見せた。愛想笑いじゃない、心からの笑顔だった。
「また作ってね」
長男はそう言うと、テレビを見にリビングへ行った。
私が涙を堪えていたのは、きっと気づかれた。気を遣って何も言わなかかったのは想像できる。病人の長男に対して、私は何をやってるんだ。
でも、どうしても言わずにいられなかった。
今はまだ、私の思いが伝わったかどうかわからない。今後の長男の行動で推測するしかない。もし、心のどこかに引っ掛かってくれたなら、幸いだ。
もし忘れかけていても、またフレンチトースト風オートミールを食べるときにでも思い出してくれればいい。
それだけじゃ済まない。
私にもすべきことがある。
長男の主張をこれからは聞き逃さない。
長男の気持ちを、置き去りにしない。
お昼のバラエティ番組に笑みを浮かべる長男を見て、私は決意を新たにするのだった。
これからは、もっとわかり合いたい。
だから、あなたの心をもっと教えてね。