子どもと一緒に、広島で戦争を学んだ。
ちゃんと知りたかった戦争。
「やっぱり、戦争はいやだ」
実際、そう考える方が多いでしょう。
私だって戦争なんてしたくありません。
しかし私は、戦争を知らない。
学校で習った程度の知識と、テレビや小説や映画で見た知識しか持ち合わせていない。だから、小6と小4の子どもたちに戦争の凄惨さを語ってやることが出来ません。
そんな私に、子どもたちはよく聞いてきます。
「戦争のニュースってよく見るよね。もしかしたら、日本も戦争するかもしれないの?」
いつもは、こう答えていました。
「今のところはないけど、これから先は分からないよ」
すると、子どもは「ふぅん」といって、そこから先は関心がなくなります。
別に、我が子に政治家になってほしいとは思わない。
平和活動家になってほしいとも思っていない。
ただ、戦争について、一人の人間として知っておいてほしい。
彼らのレベルでいいから、戦争を知ってほしい。
なのに、私自身が戦争について聞かれても、まともに答えられません。そんな自分自身にも、歯がゆさを感じていました。
もともと戦闘機や戦艦が大好きな子どもたちは、戦争に興味を持っている様子。しかし彼らにとって戦争とは、現実離れしたものであり、歴史というより知らない世界や物語の一部と捉えているようでした。
そんな状態で本を読ませたり映画を見せたところで、戦争の凄惨さからは目を背け、かっこよく見える戦闘機のほうに注目してしまうのではないか。
実際、ニュース映像を子どもと一緒に見ても、戦車や戦闘機に目が向いてしまう様子。
いつか、学校で戦争について習うときが来ます。
しかし、ただの勉強内容として処理してほしくない。
地球人である以上、戦争から目を背けることはできないと、私は考えています。
6月末、夫から広島旅行を打診されました。
(もしかしたら、子どもに戦争について実感させるチャンスかもしれない)
そう考えた私は、夫にリクエストしました。
「広島に行くなら、原爆ドームと平和記念資料館は絶対に行きたい」
戦争関係のことを考えていなかった夫でしたが、戸惑いながらも私の願いを聞き入れてくれました。
目的
まず、私たちは出発前に、原爆ドームや広島平和記念資料館へ子どもを連れて行く目的を明確にしました。
子どもの目線で、戦争の悲惨さを理解する
被爆した広島・長崎の人々の苦しみを知る
言葉にすると、ハードルが高く感じられました。
正直、今の我が子のレベルで、どこまで理解できるか。夫は危惧します。
しかし、私には考えがありました。
子どもたちが、今、理解できるレベルでいい。
原爆ドームや資料館の展示を、心で感じてほしい。
感じたことを、これから生きていくうえで忘れないでほしい。
もしかすると、平和記念資料館の展示は子どもたちにとって刺激が強いかもしれない。しかし世界には、我が子ぐらいの年齢でも戦争に直面せざるを得ない、厳しい現実がある。だから、賛否両論あっても、言葉だけでは伝えられない事実を教える貴重な機会と捉えることにしました。
原爆ドーム
まず、原爆ドームに行きました。
長男は事前に写真で見たことがあるので、実物を目にして熱心に見て回ります。
しかし、小4の二男は実感がわかない様子。
ただ、原爆ドームの独特なたたずまいには、圧倒されたようです。
30分ほどで、私たちは原爆ドームを離れました。
平和記念資料館へ向かう前に、国立広島原爆死没者追悼平和祈念館にも立ち寄ります。
しかし、こちらの展示は、子どもたちにとって難易度が高かったようでした。
広島平和記念資料館
平和記念資料館は、平日なのに国内外の見学客でにぎわっていました。とはいえ、戦争の資料館なので人の多さのわりには静かでした。
さっそく展示を見て回ります。
館内には、被爆して亡くなられた方の写真とともに、被爆当時の状況や被爆後どう亡くなったかの説明があります。また、被爆者の方が当時着ていた服や持ち物、家族への手紙なども、一緒に展示されていました。
私たちは、だんだん言葉が少なくなっていきます。
とうとう子どもたちに限界がきました。
「怖い。もう見られない」
夫までもつらいというので、3人には先に進んでもらい、残った私ひとりで見学し続けます。
何もわからないまま、一瞬で亡くなった人。
体中をやけどした状態で水を求めてさまよい、川に入ってそのまま亡くなった人。
病院に運ばれたものの、治療が間に合わず亡くなった人。
子どもに会いたいと願いながらも、会えずに亡くなった人。
被爆直後は元気で、将来に希望を持って頑張っていたのに、急激な体調悪化で突然亡くなった人。
あげたらキリがないほどです。
胸に迫るものがありました。
怖いというより、むごい。
正直、見学から数日たった今でも展示を思い出すと、言葉で表現できない思いで胸がいっぱいになります。この記事を読んでくださる方にお伝え出来ないのがもどかしいです。
夫と子どもたちとは、途中の休憩所で合流しました。
夫は落ち着いた様子でしたが、子どもたちは怖くてまだ体が震えると言います。
落ち着かせるためにも、核兵器についての展示はペースを上げて見学しました。本来なら、時間をかけて見たいところでしたが、子どもたちが気がかりだったので、足早に切り上げました。
子どもなりに感じたこと。
展示を回るうちに、子どもたちが落ち着いてきました。
「戦争がこわい」
長男がぽつりとつぶやきました。
「そうだね。戦争は怖いよね」
「うん」
「戦争、起きてほしいと思う?」
「いやだ」
すると、それまで黙っていた二男が言いました。
「戦争に勝てばいいんでしょ?強ければ大丈夫じゃないの?」
ある意味子どもらしい、率直な意見。
言いたくなる気持ちもわかる。
(やっぱり二男には、平和記念資料館はまだ早かったかもしれない)
少しだけ後悔しました。しかし私は、そんな二男にも分かるよう、言葉を選びながら説明しました。
「例えばさ。お母さんが職場へ行っているときに、空爆があったり原爆が落ちたらどうなる?」
「…」
「もっとわかりやすく言おうか。お母さんの職場に爆弾が落ちたら、お母さん、そこで死ぬかもしれない。二度とあなたたちに会えないかもしれない」
「…いやだ」
「逆に、あなたたちがいる場所に爆弾が落ちたら、あなたたちが死んで、お母さんやお父さんと二度と会えなくなるかもしれない」
「…いやだ」
気が付くと、二男は涙目でした。
「爆弾が落とされたら、銃撃されたら、誰だっていつ死ぬか分かんないんだよ?勝ってても負けてても、どんな場所でも戦場になれば、殺される可能性があるんだよ」
二男は考え込みました。
私は熱くなりすぎないよう、努めて冷静に、二男に語りかけます。
「勝っても負けても、戦争で死ぬ人はいるよ。それが私たちだったり、仲のいい友達かもしれない。大事な人が死んじゃうかもしれないのに、戦争に勝てば大丈夫だと思う?」
「……いやだ。やっぱり、戦争はいやだ!」
二男は涙をこらえながら、はっきりと答えました。
「じゃあさ。戦争はいやだってこと、覚えててね。大人になっても忘れないでね」
そう言うと、二男は力強く頷きました。
少し前まで「勝てばいい」と言っていた子どもとは思えないぐらい、目に強い光を感じました。
(今回はもう、大丈夫)
必ずしもいい手立てとは言えないかもしれない。でも、子どもたちに思いが伝わったと感じました。
これから
大人ですら、目を背けがちな戦争。
しかし、誰かが伝えなければ風化してしまいます。
だからこそ、目をそらさずに、戦争や原爆について子どもと一緒に学ぶつもりで、広島に来ました。
正直、小学生にはハードな内容だったかもしれません。今でもまだ、連れて行ったのが正しかったか、迷いがあります。
ただ、貴重な機会になったのも確かです。
子どもたちには苦しい思いをさせたかもしれません。しかし、彼らなりに戦争に向き合い、考えを言葉にできました。
この経験が、今後の彼らの人生にどう影響を及ぼすか、まだわかりません。もしかすると、ただの恐怖体験になってしまう可能性だってあります。
それでも、心のどこかで覚えていてほしい。
戦争のニュースや戦争映画を見た時に、少しでもいいから、広島ではっきりと「戦争はいやだ」と言ったことを思い出してほしい。
私たちの狙いに対する働きかけは、十分でないかもしれません。しかし、ほんのわずかでも彼らの心の片隅に、戦争を意識づけることができれば、今回の訪問は意味があると考えています。
訪問できて、本当に良かった。
最後に、戦争のない世界平和を強く願って、終戦記念日の記事とします。
読んでいただき、ありがとうございました。