アナログの一言で終わらせたくないほど、ほぼ日手帳に魅了されている。
2025年は、手書きの機会を増やしたいと考えている。なぜかというと、手書きだと記憶が色濃く残るような気がするからだ。
きっかけは、ほぼ日手帳を買ったこと。
予定管理のためではない、振り返るための手帳。つまり、日記のようなものでもある。毎日書かなくてもいいし、字の大きさや書くスタイルも自由でよし。ペースや分量だって自由自在。
最初にゆるいルールを作っておいたからか、今のところほぼ毎日続いている。写真シールをたくさん貼る日もあれば、色々書きたい日もあるし、2~3行しか書けない日もある。もっと正直に言えば、2日ほどため込んで書いている日だってある。誰かに見せるつもりはない、私のためだけの記録。だから、好きなように書けばいいし、絵心のかけらも感じられないイラストを描いたって、何の問題もない。
ほぼ日手帳は元旦から始めたので、半月ほど経ったことになる。継続に関しては三日坊主常習犯の私だけど、おかげさまで手帳生活への情熱は衰えを見せない。それどころか、書く時間が楽しくて仕方がない。何をどう書こうか、白いページを埋める作業に胸が躍る。私だけのキャンバスのようなものだから、好きなように彩ればいいのだ。
不思議なことに、手帳を書いていると自分の手書き文字が愛おしくなる。決してキレイとは言えない字。読めるけど、クセがあって筆圧の強い字。それでも自分の書いた文字を読むと、書いた当時の気分や情景も合わせて思い出せる。noteの記事を振り返っても同じことが起きるが、思い出の濃度は手書き文字のほうが濃い。あくまで私の場合だけど。
たった15日だけなのに、すっかり私は手帳に魅了されてしまった。ほぼ日手帳に出会えてよかったと、心から思う。もしかすると、もっと私にぴったり合う手帳がこの世にあるかもしれない。それでも私は、今の気分にぴったりなほぼ日手帳を選んで正解だったと確信している。たぶん、来年もほぼ日手帳を買う。それほど惚れ込んでいる。
もはや私にとって、手帳は一緒に人生を送る仲間と言っても過言ではない。ページをめくって振り返る作業は、まるで古くからの友人と「あんなこともあったね」としみじみしたり、笑い合ったりするようなものだ。いいことも悪いことも含めて、当時の私が書き残したかった出来事が手帳には残っている。取り立てて大きな出来事でなくても、私にとっては大切な日々だ。
手帳は、思い出という宝物を共有する大切な仲間。だから、簡単に辞めたり手放すわけにはいかない。
この関係は、私が手帳を書けば続いていく。
一生を共にできるような、ステキな関係に育つといいな。