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休むことに後ろめたさはいらない。

「休むことに後ろめたさはいりません。ちゃんと休んでください」

これは、私がうつで休職するときに、上司がかけてくれた言葉。

しかしそう言われても、仕事や人員に穴をあけた申し訳なさは消えず、4か月ほどは心から休めなかった。自分の担当だった仕事の尻ぬぐいを同僚にさせているという意識が消えず、自分だけが休んでいることに後ろめたさを感じた。

今思えば、病気を治療する必要があるから、休職という措置を取っているだけ。しっかり治してから復帰するのが、私自身にとっても職場にとっても幸せだ。そう前向きに捉えられるようになったのは、治療を支えてくれる主治医と家族、そして冒頭の上司のおかげ。きちんと休むことが、治療の最短の近道になると教えてもらった。

しかし、休むことについて後ろめたさを感じる人は、私以外にもいると思う。会社によっては繁忙期が影響して、休める時期が決まっているところもあるかもしれない。

でも、誰にだって休みを取らねばならない時があるし、リフレッシュしたい時もある。そんな時は、必要以上に後ろめたさを感じなくてもいいのだ。そして周囲も、同僚が休みを取ることに寛容になれると良い。おたがい、休みを取るときは「お互い様」と思い合う環境になってほしいと願う。

多くの人は休む前に、仕事を前倒ししたり申し送りをして、安心して休めるよう整えるだろう。少しの配慮があれば、もう後ろめたさはいらない。

あなたの休みはあなたのもの。
他の誰のものでもない。
堂々と、休んで欲しい。

充電が完了したら、また一緒に働こう。

私が職場復帰したら、同僚と協力しながら休みを取りやすい環境を整えたい。なぜなら、休みにくいと考えるまじめな人が、職場には未だに多いからだ。必要な休みなら堂々と取ればいい。あなたの心と身体を守れるのは、あなただけだ。少なくとも、遠慮して休めずに心を壊した過去の私のようにはなってほしくない。

休みを取りやすくすることで、同僚たちの心にゆとりができるとしたら、ゆとりは職場だけでなく、同僚の家族や友人にも還元される。さらに周囲の人にもゆとりが生まれたとしたら。微力であるが、少しずつ心のゆとりが広がっていけば、みんなが快く暮らせる社会に一歩近づけるかもしれない。休暇の多様性を議論する前に、まずは後腐れなく休める環境を整えるのが先ではないか。

そんなことを考えながら、今日も私は、3ヶ月後にせまる復帰後の未来予想図を描く。

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