漫画みたいな毎日。「その少しが、大きな違いになるとき。」
素敵な革のバッグもいいけれど、今の私には、使い勝手が悪い部分がある。
現在の愛用のバッグは、無印のショルダーバッグ。
シンプルで軽くて、汚れに強い。
内側にも仕切りポケットが程よくあって、整理しやすい。
子どもたちと一緒の時には、そんなバッグがいい。
切れたり、色褪せや擦れが酷くなったら、買い替える。
まったく同じものに。
それを繰り返し、この度も同じものを買い替えた!と思っていた。
基本的な素材やデザインや中の収納ポケット、外側のポケットの様子は変わっておらず、問題はない。
紐の長さを調整し、肩から掛けてみる。
あれ?
違う?????
何かが違う・・・・。
しばらく首を傾げ、考える。
バッグのあちこちを触って眺める。
あ、これだ。
肩に掛ける紐の幅が0.5cm程なのだが、細くなっていた。
たった、0.5cm。
されど、0.5cm。
肩にかかる負担が違う。
僅かにではあるが、肩に食い込む感じがする。
ちが〜う!!!
気分はスラムダンクのゴリこと赤木キャプテンである。
いや、違うか。
とにかく、違う。
違うったら、違う。
ちが~う!!!!
そうじゃな~い!!!!!!
こういった〈ちょっとした違い〉は、使いやすさや身体への負担が大きく変わってくると思う。
そして、そういう〈ちょっとした違い〉が、私にとっては、〈大きな違い〉として感じられる。
洋服が好きな私は、洋服の形が気になる。
着た時のシルエットの美しさは、やはり裁断や縫製によって変わってくると思っている。動き易さも段違いだ。
・・・肩幅があと数センチ狭いと綺麗に見えるだろうなぁ。
・・・袖の長さがあと数センチ短ければ、手首が綺麗に見えるだろうなぁ。
・・・脇の縫い方が違ったら、楽に腕を上げることができるだろうなぁ。
・・・型紙の取り方によって、動いても背中にシワが寄らないだろうなぁ。
そういった洋服は、必ずしもお手頃な価格ではないことも多いので、そう多く持つことはできないし、多くは必要ない気がしている。
飽きることなく、大事に長く使うことができるから。
ちなみに、私は、洋服を作らない。
それなのに、偉そうに言ってスミマセン。
これは、あくまで、着ている側の意見・感想。
今まで、たくさんの洋服を選び、着て、心地よさと、違和感のどちらも感じ、手元に残したり、手放してきた者の、ごく個人的な見解である。
話をショルダーバッグに戻したいと思う。
肩紐の幅1cmに満たない、その差が、私には心地が悪かった。
物価上昇に伴い、そこを削ったのだろうなぁ・・・と思った。
仕方がないのかもしれない。
でも、価格が多少上がっても、幅を狭くしないでもらった方がありがたい。
長く、心地よく使えたら、それは無駄とはならないし、高いお買い物とはならないと思うから。
こういったことは、他のことにも当てはまる気がしている。
安くすることも大事な時もあるかもしれない。
多くの人が買いやすくなるかもしれない。
価格がお手頃でも、機能的な物をたくさんある。
それでも、価格とはちょっと別のところでの、「心地よさ」「使いやすさ」、「身体が気持ちいい」と感じることを、できるだけ後回しにしたくないと思ってしまう。
死ぬまでの借りている容れ物かもしれないけれど、身体とは、叡智の塊であると、私は思っている。
たかがバッグの肩紐の話でもあり、たかが洋服の話だと思われるかもしれないのだけれど、実は、そこに限った話ではない気がしている。
食べ物だったり、環境だったり、人との関係だったりの話でもあるのだと思う。
様々なことにおける、〈ちょっとした違い〉は、私の中では、すべてにおいての〈大きな違い〉だ。
その〈ちょっとした違い〉が、後から〈大きな違いとなり得る〉ことを、この身体で感じている。
〈ちょっとした違い〉も積み重なれば、いつか大きな差となって、大きな拭い去れない程の違和感をもたらす。
人はそれを〈こだわり〉というかもしれない。
「でもさ、そんな〈小さなこだわり〉も悪くないよね、だって、なんだかイヤなんだもん。身体が居心地が悪いって言ってるんだもん。」
その感覚を見ないことには、感じなかったことには、できない。
それが、〈私〉なのだから。