学校に行かないという選択。子どもたちが地域資源を開拓する。#07「動物園という地域資源はステキだ。」
先のnoteにも、動物園での飼育員の方との出逢いについて書かせていただいた。
子どもたちは、動物園に知り合いの飼育員さんができたことから、「今日も、動物園行こうよ!」と、ますます動物園に行くことに、面白さを覚え始めているようだ。
子どもたちの引率という意味合いが強くなる私の立場なのだが、連日動物園に行き、昨日も動物園で、開館時間から、閉館時間までの約7時間をびっちりと過ごして感じたことがある。
それは、「動物園って面白い!」ということだ。
たまにしか行かない動物園と、続けて通う動物園では、見え方が変わってくることに気がついた。
時々しか行かない場合、子どもたちが観察したい動物の獣舎を優先して回る。お弁当もゆっくり食べるので、思いの外、時間はあっという間に過ぎていく。
しかし、頻繁に通うようになると、慌てず、ゆっくり観察できるのだ。そして、子どもたちも、「この前来た時と、動物たちの様子が違う」ということに、ますます目を向けている様子がわかる。
飼育員の方のガイドツアーが日替わりで行われているのだが、続けて通っていると、同じ生き物のガイドツアーに何回も参加することになる。
同じ生き物のガイドツアーと書いたが、1回目と2回目では違う。
それは、お話してくださる飼育員の方が違うからだけではない。同じ飼育員の方の時もある。どちらかと言うと、私たちの感じ方が変化しているのだと思う。1回目で聞いたお話が、2回目では、また違う疑問が浮かんだり、違う聞き方をしている自分に気がつくのだ。頻繁に通い、何度も目にする動物たちに、親しみを感じている自分がいるのだ。
時々、病気などで死んでしまい、獣舎が空になっていることがある。
子どもたちと私は、「どうして死んじゃったのかな?」と動物たちがどのように死へ向かったのか、という経過を知ることになる。
今、日本の動物園では、動物保護の観点や法律も厳しくなり、新たに動物を迎えるのは難しくなっているのだそうだ。動物たちは高齢化し、動物園で最期を迎えることが増えている現状があるとのこと。
私たちの通う動物園も同様で、動物たちは高齢化していて、先日も、アムールトラの訃報を知った。18歳だったそうだ。
子どもたちは、がらんと空になった獣舎の前にしばらく立っている。
子どもたちが何を感じているのかは、わからない。
命が終わっていく、という事実がそこにある。
動物にとって、どんな生き方がしあわせなのだろうか。
野生のまま命を終える方が、動物園で命を終えるよりもしあわせだと考えたり、自然や動物保護の観点で、動物園そのものに対しての考えなど違いもあるだろう。
どちらが、良いとか、悪いとか、そういったことは、私には言えない。
ただ、こうして身近に生き物の命を感じられる環境はありがたいと思う。今の時代、住環境などの面からも、生き物を自分で飼い育てるのは簡単ではないことも多いだろう。核家族化も進み、人間の死に立ち会わないまま大人になる事も少なくない。
私は、子どもの頃、身近に祖父母やら親戚がおり、幼少期より人に死に立ち会う機会が多かった。今に至るまで、結婚式に参列するよりも、葬儀に参列した数の方が多いかもしれない。数の問題ではないが・・・・。
昨日、会えた人に、今日、会えなくなっていることがある。
こういったことは、理屈ではないと思う。
虫でも、他の生き物でも、「昨日は元気だったのに、朝起きたら、動かなくなっていた」ということがあるのだ。
動物園では、生き物が生まれて育つ難しさから、死に至るまで、あらゆる場所で感じることができる。
私たちが訪れた翌日から、緊急事態宣言で動物園も休園となることが決まっていた。
子どもたちは閉園まで、目一杯、動物園を味わっていた。閉園のアナウンスが流れ、ゆっくり出口へと向かう。
その途中で、エゾヒグマの獣舎で二男が立ち止まり、エゾヒグマの動きを真似て一緒にウロウロとしていた。
「もう、閉まる時間だよ~」と私が声をかけると、そこにいた飼育員の方が、「大丈夫ですよ。ゆっくりしていってください。」と言ってくださった。
あぁ、こんな風に子どもたちが動物を観察する時間を大切にしてくれているんだ。
お言葉に甘え、子どもたちとエゾヒグマを観察させてもらった。そして、飼育員の方と少しお話をした。
緊急事態宣言で閉園しても、あたりまえだが、動物たちのお世話は変わらず行われる。しかし、来園者が来ないので、再開した時には、動物たちは、急に賑やかになった環境に戸惑ってしまうのだそうだ。
そういえば、フンボルトペンギンの飼育員の方のお話を聞いた時に、こんな言葉が印象に残った。
「お客さんに、ペンギンは、飼育員になついているのですか?顔を覚えていて、寄ってきたりしますか?と聞かれることがありますが、そういったことは、ありません。同じ洋服を着た、バケツを持った人が来ると餌をもらえるくらいの認識はあるかもしれませんが、〈なつく〉とか、〈なかよくなる〉とかいったことではないです。掃除に入ると逃げるくらいです。お互いに距離を大事にしています。」と。
それを聞いて、私は、その飼育員の方に好感を持った。
〈動物たちは、自分たち人間の意志で、どうにかすることはできない。だから彼らの生態、生き方を尊重している。〉と言っているのだと思った。
動物園では、生き物が生まれ、死んで行く。
その途中に私たちは、少しだけ立ち会わせてもらっているのだ。
動物園が再開したら、また行こう。
その時、私の目に何が映るのか、楽しみだ。