学校に行かないという選択。「お願いだから勉強しないで!!!!」と叫んだ話。
学校に行かない選択をしている我が家の子どもたち。基本的に「やりたくないことはやらない」です。
私や、夫は、「できる限り、教えない」ことを心に留めています。「教える」という行為が、相手の「まなびたい、知りたい」というタイミングと合わない場合、一方的な形になる危険性を孕んでいるのではないかな、と思うからです。
「勉強しなさい」といったことはありません。
「お願いだから、勉強しないで!」といったことは、何回かあります。
ホントに、切に願いました。
勉強しないで~!!!!と。
その時の出来事を書こうと思います。
漢字が読めない不便さ。
昨年11月のこと。
長男が「小学校6年間で習う漢字1026個を全部覚える」という話が持ち上がりました。
それまで、簡単な漢字は何となく読めたり、ふりがながある本や漫画なら不便はなく読めていた訳ですが、徐々に彼の中で不便だ、と感じることが出てきた様でした。
例えば、仲良くしている生き物好きの方々の勧めてくれる研究の資料や論文が読めない。
だんだんと専門的になる図鑑や参考資料などの説明が読めない。
一人で行動する範囲が増え、行き先が読めないと、バスや電車の乗り替えなどが不安になる。
「・・・ちょっと、不便かも。」と感じていたようでした。
基本的に我が家では私や夫から勉強について強いることはありません。
知りたい、と言われれば、わかる範囲で教えるし、適した環境を探すこともする。
まなびのタイミングは個人個人で違う。
まなびとは自発的なもの。
私と夫は子どもたちの育つ姿からそのような共通認識を持っています。
人から強いられた学びは、本来楽しいはずのものを失ってしまう可能性がある。
従来の教育システムの中でどっぷり育った私は、学びを楽しむ機会を持てずにきたので、やりたくなったらどうぞ、というスタンスを大事にしたいのです。
「長男は、漢字が読めないことをちょっと不便に感じてきているようだよ。」という話を夫にも伝えていました。
夫が人参をぶら下げる。
そんなある日、クリスマスに欲しいものが沢山あり、プレゼントのチョイスに悩む長男に夫が言ったのです。
「今年中に小学校6年間の漢字を全部覚えられたら、欲しいもの全部、買ってあげるよ。」
「やる。」
・・・長男、即答。
えええええええええぇ~!!!!
何故、びっくりしたかというと我が家では、何かに対するご褒美制は存在しておらず、例えばお手伝いしたからお小遣い、とか、テストで良い点を採ったら好きな物を買ってあげるよ、とかの制度は取り入れていません。
必要なら一緒に考えて購入したり、自分でお金を貯める方法を考えたり、クリスマスや誕生日に買ってもらう、などが大体でした。
そもそも、夫は簡単に子どもたちに何かを買い与えるという行為をしない人です。
どちらかというと、私の方が、「ま、必要なら、いいんじゃない?」と思ったり、時には、子どもたちが喜んでくれるなら、と買ってあげたい気持ちが湧き上がりやすいかもしれません。
その夫が、何故????
数分間、頭の中で、夫の思考を想像する私。
「う~ん、きっと、〈背中を押すタイミングだ〉って思ったんだな。目の前に人参ぶら下げてでも。」
子どもたちが寝静まってから、夫と話をすると、やっぱり「背中を押すなら今!」と思ったとのこと。
そして、そこから、長男と私たちの〈小学校で習う漢字1026文字制覇に向けての戦い〉が始まったのです・・・・。
嵐を呼ぶ男。どこでも漢字。
長男は、まず、自分で漢字カードなるものを作り始めました。
表の上段に漢字とふりがな、下段に漢字の慣用句とふりがな。漢字部分を暗記マーカーで消し、漢字そのものと、慣用句を覚えたかを確認する。
しかし、この漢字カードを作るだけもで、相当の時間を要し、お父さんとの約束の期日までに覚えるには時間が足りない!とイライラし始めました。
その時、約束の期日までは確か40日程度だったと思います。1日に25文字~30文字程度は覚えなくてはなりません。
夫がPCで漢字カードを作り、私が暗記マーカーを塗る、という担当をすることにしました。夫は徹夜で漢字カードの土台やテストをつくる日も・・・
「学校の先生って、毎日、コレやってるんだよねぇ・・・大変だよねぇ・・・ありがたいよねぇ・・・」と学校に行かない選択をしている我が家なのですが、ささやかながら、学校の先生の大変さを共有したような感覚になり、親近感が勝手に芽生えました。
「これだけでも、ありがたいのに、学校に文句いって、もっとこうしてほしいとか、学校側に要求ばかりするとか、考えにくいよねぇ。」
世の中の先生たち、おつかれ様です!ありがとうございます!!!
そんなこんなで、毎日、漢字。
早朝5時から漢字。
出掛ける車の中でも漢字。
出掛け先の美術館の脇でも漢字。
覚えられないと言ってはイライラし、「漢字作ったのは誰だ?!」「漢字があるのが悪い!」と言い出す始末。
いやいや・・・漢字、覚えたら便利だから。
5年生のうちに、6年生の漢字覚えらた、来年一年間、漢字やらなくていいんだよ~!!!
と、なだめたり、励ましたりつつも、途中、何度もやめてもいいよ、と言いました。
「楽しくないなら、やらなくていいよ。」「漢字が嫌いになるなら、意味がないよ。」とも言いました。
「お願いだから、勉強しないで!」
不機嫌を振りまくので、家族中が辛くなり、「受験でもないのに、受験生がいるかのようなピリピリしたムード蔓延」です。
家の中が毎日、嵐。
その不機嫌さの中にいることは、私にとってはかなりの負担でした。
そういった「他人の不機嫌」を敏感に察知することが、子どもの頃から身についてしまっている私には、「家の中が不機嫌の嵐」という状況は、耐え難いものでした。
「他人が不機嫌=自分がいけないのでは?」という癖はなかなか抜けない。相手が身近な存在であれば、あるほど、その装置が作動します。自分のそんな受け取り方の傾向も相まって、
「機嫌が悪くなるくらいなら、やらなくていいよ!」
「お願いだから、もう、勉強しないで~!!!!!」
そう、何度、叫んだか。
漢字読めなくても、死なないから。うん。
PCとかも発達していくし、あなたが大人になる時代には、もっと漢字が廃れていて、ぜんぶスマホが読み上げてくれるかもしれないからさ!!
自分が親として、「勉強しなさい!」というつもりなど、これっぽっちもなかったのですが、「お願いだから、勉強しないで!」ということになろうとは、思ってもいませんでした。
「不機嫌の嵐」は、長男の問題の様でいて、実は、自分の問題だと気がつくきっかけにもなったのです。
昆虫ドリルは救世主となるか?!
しかし、文句をブーブー言いながら、決して漢字を覚えるのを止めようとしない長男。
なんだかわからない根性を見せます。
「ここまで、やったのに、今、止めたら勿体ない。」
それでも、なかなか覚えられない日には、漢字カードをグシャグシャにし、床に投げつけるものの、涙をためながら、鼻水垂らしながら、またカードの皺を伸ばしていたり。
「もう、止める・・・」とつぶやいてみたり。
文句を言いつつも、「やり遂げたい気持ち」があるのだなぁ・・・・と感じられるのですが、不機嫌の度合いが上がって行くのはとても辛い。
ここまで来たら、私にできることは、黙って見守ることだけ。不機嫌の嵐も身を屈めてスルーするしかない。
合間で夫が中間テストを作成する時も、彼が少しでも楽しめるように、「シートン動物記」や「ファーブル昆虫記」からの引用していました。すると、やや漢字に対する「大変さ」が薄れるようでした。
さらに、ちょっとでも楽しめる要素になればいいと取り入れた「昆虫漢字ドリル」。昆虫好きの長男が「昆虫漢字ドリルならやってみる」と、興味を示したので、購入してみました。
昆虫ドリル、長男の救世主になるか!?と期待したのも束の間。
昆虫関連の問題で1026文字を制覇するのは、困難だったらしく、時には昆虫と全く関係ない問題が出てきます。
すると、また「昆虫ドリルってぜんっぜん昆虫のこと出てこないじゃん!」と長男の怒り心頭。
昆虫ドリルは救世主にあらず・・・・。
「皇后」の「后」などの漢字は、見慣れない上に昆虫の生態と関連付けるのは、なかなか難しいです・・・。ドリルを作る方々も苦労されただろうなぁ・・・。「この漢字、どうやって昆虫と結びつけたらいい?」って。
「あのね、昆虫ドリル作った人たちも、大変だったと思うよ。頑張ったんだよ。でも、どうにも昆虫と絡められない漢字っていうのが、あるんだよ・・・・。それでも、頑張って作られていると思うよ・・・・」と説明します。
すると、また渋々漢字を覚え始めます。
今まで、自分でやろうとしなかった事に、取り組むのは、大変です。
何かをまなんでいく時のやり方というのは、「自分にどんなやり方が合っているか」を見極めていく為に、自分でやり方を繰り返し工夫し、経験し、見つけていくしかない。
途中で、あまりにもタイトなスケジュールは、漢字を嫌いになるだけかもしれないよね、と夫と話合い、覚える期間の延長を長男に提案しました。
時間がタイトすぎると、全く余裕がなく、辛いだけになりかねません。イライラしなくてもいいのに、焦りからイライラを生む可能性も大です。
せっかく自分から取り組むのであれば、大変ながらも、少しでも「知る楽しさ」の欠片くらいは味わってもらえたらいいなと思ったのです。
期間を延長するにあたり、「欲しい物は2つ、それプラス大好きなお寿司屋さんに行く」という、長男の目の前にぶらさげられたの人参は、「欲しい物2つ」のみに変更しようという夫の提案も、期限の短さの負担を味わった長男は、比較的すんなりと受け入れました。
嵐の中にいた様な約4ヶ月。
長男は、3月末までに漢字1026文字を全部を覚え、お父さんテストに合格し、長男は、念願の「ウェダー(水に入って生物の捕獲などができる胴長)」と「持ち運びできる顕微鏡」を手に入れました。
本当は、大好きな回転寿司には行かれないことになっていましたが、ここまでよくやったよね、とお母さんからのプレゼント(支払いは夫ですが・・・ありがとうございます。)ってことで、お寿司屋さんにも行きました。
こんなに大変な経験をして、「もう漢字は二度とやらない!」と何度も言っていた長男。
それなのに、小学校で習う漢字を制覇するやいなや、
「中学と、高校の漢字ってどれくらいあるの?」というのです。
「え?なんで?」
「小学生のうちにその漢字覚えたら、中学と高校では漢字覚えなくていいんでしょ?そしたら、6年間、漢字やらなくていいんだよね♪」
・・・・なるほど。
でも・・・・
「お願いだから、もう勉強しないで~!!!!!」と心の中で叫んだ夫と私でした。
次に来る嵐も、なんとなく覚悟しよう・・・。
「自分でやる」と決めるタイミングは必ずやってくると思います。
時にはちょっと背中を押すことも、アリかもしれない。
そんな風に思った出来事でした。
しかし、結果、背中を押した責任?もあり、私も夫も嵐の中に巻き込まれまくり、「自発的なまなび」ってどういうことなんだろう?とまたもや考える機会になりました。
わかったのは、長男は文句いってガス抜きしつつも、「自分でやると決めたら、謎の根性を見せやりきるのだ」ということ。
大人でもかなりしんどいと思われる課題だったのに、これだけ集中してやれること。傍から見ても、すごい集中力でした。自分だったらきっと途中で諦めていたに違いありません。
そして、「何かを知るということ」は、大変なこともあるけれど、ちょっとは楽しかったり便利になるのだと感じ、「自分の中の不便」が「ちょっと便利になった」へと変化し、「出来ないかもしれないという不安感」が「最後までやりきった達成感」へと変化する過程を味わったのではないかと思います。
私も夫も、なんだかよくわからないけど、達成感はありました。「・・・お、おわった。」という、くったくたのボロ雑巾の様な、疲弊混じりの達成感が。
できることなら、長男の成長とともに、周りに不機嫌の嵐を振り撒く度合いが低くなることを切望致します・・・。
ホント、頼んます。長男くん。
一方で、約4ヶ月間、長男の振り撒く不機嫌の嵐により多大なる迷惑を被っていた二男。大半は、「見ざる・言わざる・聞かざる」精神でスルーしまくり、「君子危うきに近寄らず」で、遠巻きにしておりました。
そして、「自分は、ああいう大変な目に合わないように、今から漢字を少しづつ、やろ~っと♪」とニコニコしてつぶやいていました。
・・・流石、二男。門前の小僧だね。
嵐は過ぎ去りました。
しかし、長男は、嵐を呼ぶ男。
次の嵐がやってくるのも時間の問題だ、と覚悟しておこうと思っています。
でも、次の嵐のときには、私も少しは嵐を受け流せるようになっている・・・はず。
学校に行かない選択をしたこどもたちのさらなる選択肢のため&サポートしてくれた方も私たちも、めぐりめぐって、お互いが幸せになる遣い方したいと思います!