学校に行かないという選択。「たったひとりの卒業証書授与式。後編。」
たったひとりの卒業証書授与式に至るまでのことはこちらのnoteに書かせていただいています。
式が始まる前に、いつもお世話になっていた養護の先生が、「Kくんのお母さん、これね、大きくなった分のリボンですから。」と折りたたまれたハートに黄色のリボンがかかったカードを手渡してくださった。
帰宅し、長男がそのハート型のカードに結ばれたリボンをひらひらとさせながら、「お母さん!これ自分が大きくなった分の長さのリボンだった!!!」と目を丸くしていた。そのリボンは、長男の6年間で伸びた身長の分の長さだったのだ。
なるほど、そういうことだったのか!と、養護の先生がおっしゃっていた「大きくなった分のリボン」という意味がやっと理解できた。
養護の先生には、1年生の時からお世話になっていて、放課後訪れる彼を、「待ってたよ~!」と抱きしめんばかりに歓迎してくださり、いつも変わらず朗らかな様子で私たちをホッとさせてくださるのだった。時々、身長や体重を測っては、「あら~!大きくなってる~!」と目を細め、「夕方だから、ちょっと身長縮んでるから、おまけ、おまけ!」と数ミリ身長を上乗せして記録してくれたりもした。その姿がなんともチャーミングで私は笑ってしまうのだった。
二男が入学の就学児検診に伺った時に、先生は定年退職を迎えると耳にしていたので、「とても残念です。二男もお世話になるかと思っていたので。」とお話しし、3月31日には、最後だからとお礼の電話を入れたところ、「あのね、就学児検診の時は言えなかったんですけど、実は再任用で、またこの小学校にいることになったんです~!言いたいけど、この前、パパにお会いした時にもね、言えなかったのよぅ~!」と。この知らせを聞いた長男も二男も喜び、私も夫も、「良かったね~!」と言い合ったのだった。
彼らは、養護の先生を自分のおばあちゃん的な位置づけに感じてるように見える。大好きだった幼稚園のスタッフにもちょっと似ていて、顔を見るとホッとすることができ、いつも笑顔であたたかく迎え入れてくれる。私も養護の先生とお話しするのが好きだった。
長男の身長は、1年生から6年生までの間に、35.8センチ伸び、体重は19.1キロ増えていた。
黄色いリボンを自分の胸にあて、「こんなに小さかったんだ!信じられない!」と長男。そして、長男はリボンを私の胸にもあてて、「こんなに小さかったんだね!」と笑っていた。
うん、そんなに小さかったんだよ。
そして、こんなに大きくなったんだよ。
養護の先生がカードに書かれたメッセージを読み、またじわじわと涙が込み上げてきた。こんな風にあたたかく見守ってくれる人がいることは、とても幸せだ。書かれた文章は、先生のあたたかさと優しさ、そのままだった。
式が終わり、担任のH先生は、いつもと同じ落ち着いた様子であったが、口数が多くない先生が、「2週間に1回くらいだったけど、Kさんと会って話をするのは、とても楽しかったです。」と長男に伝えてくださっていた。「また来るから!先生、早く、教頭先生になってね~!」と、先生が答えにくいであろう言葉を投げる長男。長男は、教頭先生と相容れないのである。やれやれ。
卒業式の帰りに玄関先で、長男と記念撮影をしていただいた。
コロナ以降に着任された先生の、マスクをとった口元を見るのは、初めてだったと思う。可愛らしいと言っては失礼なのかもしれないが、笑った顔はとても可愛らしく、子グマのようだった。子グマは笑わないのかもしれないが、イメージとしては、そんな感じだ。
マスク越しに2年間、子どもたちと過ごすことは、表情も読み取れず、ご苦労もあっただろうと、改めて感じた瞬間だった。
偉そうな長男の態度に、いつでもフラットに対応してくださったこと。
ひとつひとつを流してしまうことなく、彼の意志を尊重する対応を一緒に考えてくださったこと。それが、組織に於いて簡単ではなかったであろうこと。
その丁寧な積み重ねは、長男にもしっかり届き、彼は、「学校には、行かないけど、先生は友達だから。」と先生に対する好意を示していたこと。
先生に巡り会えたことは、彼にとってこれからも大きな支えとなるであろうことを、お手紙にしたため、先生にお渡しした。
2年前、H先生が長男の小学校に赴任した時期は、感染症が拡大しており、新年度早々に一斉休校となった。そんな中、ちょうど家族で庭で遊んでいる時に、住所確認として各児童の居住地を自転車で回っていたH先生が、家の前を通りかかった。その時に、長男の様子や、我が家の今の学校や学びに対するスタンスをお話しさせていただいたことがあった。
私は、常々、「なぜ、教職を選んだのか」という問いを、その職に就いている先生たちに抱いている。
その答えが、その先生の「在り方」や「考え方」に直結する大事な事柄だと思っている。「ひとりの人としての先生」に近づくことの出来る問いだと思っている。
その時、私はH先生に「どうして先生は、教職を選ばれたのですか?」と聞いたと記憶している。H先生は、「子どもの頃から、ずっとなりたいと思っていたんです。」とだけ答えた。子どもたちが会話に入ってくるなどし、時間も限られていたので、それ以上のお話を伺うことはできなかった。
卒業式から家に戻り、配られた文集に目を通した。そこには、H先生がいままで出逢った教師との出来事、自分が教師になった経緯、新任時の苦労や失敗について書かれていた。そして、先生が書かれた文章の最後は、こう締め括られていた。
先生の文章を読ませていただき、私が先生に投げかけた質問の答えがここにあったと思った。
先生は、いままでも、「子どもたち」を中心に教師という仕事をし、関わってきたのだと思う。どんな状況に於いても、子どもたちの気持ちに寄り添うことを試行錯誤してきたのだろう。そして、先生にとって「教師である」ということは、日々を「生きること」でもあるのだ。
先生の文章を読んで、自分への善し悪しの判断とは、相手に委ねられるものである、即ち、子どもたちを、子どもである以前に、「ひとりの人」として尊重してこその言葉だと思った。
「信頼できる人」との出逢いは、長男がこれから生きていく世界を肯定的にしていくと思う。人への根本的信頼感。これは、誰かが教えられる事柄ではない。偶然であり、必然でもある出逢いによって、構築されていくのだろう。
長男が担任のH先生に、「先生」として、「ひとりの人」として、出逢えたことは、とても幸運だ。長男の中で、H先生の存在は、「友達」として、「先生」として、これからの成長の支えとなる貴重な出逢いになったのだと思う。
たったひとりの卒業証書授与式は、あらためて私に、私たち家族に、「人の持つあたたかさ」を感じさせてくれたのだと思う。
忙しい業務の中、長男の為に時間を割いてくださったことは、あたりまえではない。学校に行かないという選択をしていることで、先生方を煩わせたことも多々あるだろう。
それでも、長男をひとりの人として、尊重し、望めばいつでも行くことができる開かれた場としての学校として在ろうとしてくださったことに、感謝している。
学校とは、組織である。
なかなか変容の難しい組織である。
でも、その組織は、ひとりひとりの「ひと」で構築されている。
その「ひとりひとり」のあたたかな眼差しを感じられる、貴重な経験をさせていただいた。
この経験は、言葉にはならない形で、長男の記憶の何処かに刻まれるのだと思う。
子どもは、自分で育っていく。
「大人が子どもを育てる」と思っているのは、傲慢だと私はいつも思っている。しかし、それは、子どもたちに関わらないという選択ということではない。
できるだけ沢山の人が、あたたかな眼差しで、子どもたちを見守ろうという意志の元に、子どもたちは安心し、自分の自由と自立を獲得していくのだと思うのだ。
私は、あたたかな眼差しを携えて、子どもたちの世界の端っこに居させてもらえたらいいなと思っている。
子どもたちが、「人」に対する根本的な信頼感をもって成長し、作り上げていく世界を、私は楽しみにしている。
忙しい業務の中、長男の為に時間を割いてくださった6年間。
関わってくださった先生方に感謝です。
いつも長男を見守ってくださる皆様に心から感謝申しあげます。
ありがとうございました。
そして、偉そうに拍車がかかるであろう長男をこれからも皆様に見守っていただければ、嬉しいです。
共に、自由人である二男と4歳だけどJKの末娘もよろしくお願い致します。