奇跡の桃。
毎年、この季節だけのお楽しみが届いた。自然農法で栽培された「奇跡の桃」だ。山梨県の生産者・中沢さんが長年、無農薬で栽培している。一緒に送られてきたパンフレットには、中沢さんのメッセージがこう書かれていた。
日本一の桃源郷を誇る山梨県笛吹市で、長年、自然農法で桃を栽培しております。毎日、朝早く桃畑へ足を運び、鳥のさえずりを聞き、畑の土を触り、桃の木に声をかけて一日が始まります。毎年気候の変化に一喜一憂しておりますが、我が子のように大切に見守りながら、日々、桃と向かい合っております。そして、皆様へ私の桃をお届け出来る今が、最高の喜びのときです。皆さんの〈おいしい笑顔〉を思うと、心がワクワクと躍ります。
昨年も雨が多く、桃は不作傾向だったので、注文したものが、半分以下の数で届いた。そして、今年も、暴風雨の影響で落実が激しく、傷みも多く、出荷数を確保するのに、大変だったとのことだった。
それでも、無事に、今年もこの桃をいただける喜び。
生産者の方々のご苦労は、私の想像も及ばないほど、多いと思う。
それでも、メッセージにかかれているように、日々、桃と向かい合って、見守ってくださっている。
「向き合っている」ではなくて、「向かい合っている」。
そう書かれたその言葉が、私の中で、心地よく響いた。
「向き合う」というと、どこか頑張って、〈そうしなくては〉という決意や意志のようなものがあるように感じられる気がする。
一方、「向かい合う」というと、もっと自然体で、〈私はここにいて、あなたはそこにいる〉という、「机を挟んで、椅子がある。じゃあ、ちょっと座りましょうか」というような雰囲気がある。向かい合わせで、ただ、お互いの存在を受け入れ合っている。
人間の都合とか、意志とは関係なく、中沢さんと、桃は、お互いにただ、そこに存在し合っているのではないだろうか。
「向かい合う」という表現は、中沢さんが桃を「我が子」と書かれているように、どこか「私と子どもたちとの日々」にも似ている。
三人の子どもたちの顔は、まんまるで、やわらかくて、いい香りがして、まるで、桃みたいだ。
桃は子どもたちに似ている。
子どもたちは、桃に似ている。
桃みたいな子どもたちと私は、ただ、お互いに存在している。
そして、毎日、顔を合わせながら、向かい合っている。
そんなことを考えながら、桃と子どもたちを交互に眺めていたら、あたたかいような、でも、どこか切ないような、じんわりした気持ちが私を包んだ。
それにしても、こんなに「美味しいね!美味しいよね!」と、家族皆が笑顔になる桃は、他にはない。
中沢さん、今年もありがとうございます!
そして、「奇跡の桃」が届くと必ず思い出すことがある。
この桃との出逢ったのは、10年以上前だった。まだ私たち家族が、神奈川に住んでいた頃のことだ。
幼少期より、虫歯が多く、歯科ジプシーをしていた私が、やっと辿り着いた歯科でのことだった。
その歯科には、必要以上の治療はせず、日々の暮らし方にも心を向けている歯科医がいた。先生は、年配の女性で、長男の初めての虫歯も診ていただいた。仕上げ磨きについても教えていただき、長男も怖がることなく、通っていた。先生とは、食のお話も色々させていただいた。
ある夏の日、「やなぎださんは、きっと、こういうのが、好きだと思うから。」と、治療の帰りに、大きくて立派な桃を手渡してくださった。
それが、私と「奇跡の桃」の初めての出逢いだった。初めて食べる奇跡の桃は、一切の雑味・苦味がなく、皮まで甘く、やわらかだった。
歯科医の先生とは、神奈川を離れてからも、年賀状のやりとりを続けさせていただいているのだが、今年いただいた年賀状で、昨年の初夏にクリニックを閉められたことを知った。
「ゆっくり、のんびり、楽しくやっています!」
と書かれたお元気そうな文字が、嬉しかった。
先生、今年もありがたく、この桃を家族でいただいています。
家の中は、桃の香りで溢れています。
ありがとうございます。
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