学校に行かないという選択。「幼稚園に行かない選択をした2年間。後編。」
「幼稚園にいかない選択をした2年間。前編。」は、こちら。
「周りの大人が子どもの育ちを見守り、大人も子どももお互いの成長を共有する」
幼稚園の理念の根底にあり、揺らぐことのない部分であると感じていた、「それぞれみんな違うけれど、子どもの育ちを見守り、育ちを共有する」というその感覚が大きく揺らいでいるように感じていた。
そう感じる原因は、色々あったのだが、細かく説明することは現時点では、難しい。まだ、私と幼稚園やそこに通う人たちとの距離が近すぎるのだ。
しかし、今、思えば、周囲は関係なく、何より自分の中で、信じていたものが揺らぎ始めていただけなのかもしれない。そもそも、私が思う「共有できる」という感覚自体、単なる思い込みである可能性がある。
人の感覚とは、本当にそれぞれだ。
様々なバックグラウンドを抱えた人が集い、自分が大事だと感じている感覚もそれぞれのものでしかない。
そのあくまで「個人的な感覚」を完全に共有しあうということは、不可能だろう。
簡単に「わかる」といえる類のものではないし、「わかった気がする」だけであって、感じてる本人と同じように「わかる」というのは、どうあがいても無理なのだ。
そんな風に考えていた。
しかし、その前提を以ってしても、何処か心の片隅で、この幼稚園に通う人たちは、「周りの大人が子どもの育ちを見守り、大人も子どももお互いの成長を共有する」ということを大事にしているからこそ、この幼稚園を選んだのでは?という期待に近いものを私はずっと抱いていた。
変化とは、急に訪れたかの様に見えるが、その予兆は必ずあるのだと思う。
多くの場合において、変化に気が付いてしまうと、変化を不都合と感じ、変化そのものや自分の気付きに対して、無かったことにしたり、見ないふりをしたりしてしまうのだろう。
長い目で見たら、見ないふりをすることの方が都合が悪いにも関わらず、だ。
当初は、感染拡大の状況が、私や子どもたちが「幼稚園に行かない」理由の大きな要因であったが、もはやそれだけではないことも、自分の中では、明らかだった。見て見ぬ振りはできなくなっていた。
感染拡大とは関係なく、長男・二男とも学校に行かない選択をしているが、末娘の「幼稚園に行かない」宣言も加わり、さらに私の心の揺らぎもあり、我が家の三人の子どもたちとの、本格的なおうち時間が始まったのだった。
学校や幼稚園に行かずとも、山や森、川に出掛けたり、科学館・博物館・美術館・動物園などに出掛けたり、家の中で工作や料理をしたり、子どもたちの発案で家の中に水族館や博物館を作ったり、毎日飽きることがなかった。たまに遠くへ旅に出たりすると、また視点が新たになり、子どもたちの成長を感じる機会になった。
何処へも行くことがなくとも、自然環境に恵まれた家の周りで過ごすことは、同じように見えても、毎日違っており、小さな変化も大きな発見に繋がる。時には、なんにもしないことも十分に味わった。
出掛けた先で専門家の方と知り合いになる機会にも恵まれ、またそこからご縁が広がり、子どもたちの世界は狭まるどころが、ぐんぐんと広がり大きくなっていくのだった。
子どもたちの興味に応じて楽しめることを私も一緒に楽しませてもらい、新しい出逢いに恵まれ、とても充実した時間となっていた。
この時間の中で感じたのは、
「幼稚園という場所でなくても、子どもたちは、育っていく」
「依存する対象がないと、心が自由になる」
ということだった。
長男が幼稚園に通っていた時には、「この幼稚園が無くなったらどうしよう」と少なからず不安に思っていた気がする。それは、幼稚園に対する信頼でもあったが、信頼とは、少し形を変えれば、依存となることも多い。
いざ、小学校だけでなく、幼稚園にも通わない日々を子どもたち三人と過ごしてみると、様々な工夫が生まれ、そこには今まで以上の面白さと、子どもたちの成長を身近に感じることができたのだった。
この幼稚園の存在、そして子どもたちと一緒に幼稚園に通うことが出来た時間、それはこの上なくありがたい。その気持は今も変わらない。
今まで、長男が2歳で通い始め、二男が生まれ、末娘が生まれ、今まで、幼稚園に十分に通い、様々な体験と出逢いがあり、ひとりの人として尊重されたという事実がある。私も子どもたちもその様な経験があってこそ紡ぐことができた、おうち時間だったのだと思っている。
末娘が、幼稚園に「行かなくていい」と言ってから二年。
しかし、三週間ほど前から、薄っすらと感じ始めたことがある。
末娘は、友だちとの関わりを求めている、と。
「友だちがいたらな」というような発言をしたり、兄たちと遊んでいても、楽しいけれど、男子の遊びは、女子の思うそれとは微妙にズレがあるような様子だった。兄たちには、兄たちの世界がる。かといって、親と遊んでも、友だちとの遊びとは感覚が違うだろう。
そのような様子を感じていた、ある日のこと。末娘は静かに言った。
「また幼稚園に行きたいな。」
末娘は今年で5歳、4月に年中組となる。年齢的にも、ともだちを求めはじめる時期として、順当だと思った。
時々、お互いの家を行き来して遊ぶ友だちはいるが、幼稚園の様に定期的に通い、関係性が持続しつつ変化しているというわけではない。
彼女の中で、準備は整った。
時は、満ちたのだ。
三週間ほど前から、薄っすらと感じていた、末娘のお友だちを求める様子。そして「また幼稚園に行きたい」という発言に、「やっぱり、来たか!」と思ったと同時に、人の渦から離れて穏やかな時間を過ごしていた自分にとって、また人の渦の中で過ごすことは、想像するだけで、負担に思えた。
幼稚園は、家族も一緒に通うことができる場だ。もちろん、子どもがひとりで通いたいと言えば、それも叶う場でもあるが、現時点で、末娘がその様にいいだすとは到底考えにくい。
しかし、彼女の準備は整ったのだ。
「お母さんと一緒に幼稚園に行きたい。」
私の個人的な感情で、彼女の経験を奪うことはできない。
「子育て」の価値観とは、人生観そのものであったり、生き方の根底、育ったバックグラウンド、現在の夫婦関係などがすべて含まれていると思う。
大袈裟だと思われるかもしれないが、「子育て」の価値観は、「その人そのもの」と言っても過言ではないと、私は思っている。
故に、多くの〈子育ての価値観〉が集う場、というのは、何にしても、エネルギーの集まる場である。それだけでも、心も身体も影響を受ける。
私は、そういったことを受け流すのが上手くない。
見ないようにしていても、見えてくる、大人の矛盾。聴こえてくる言葉に少なからず驚き、大人の何気ない子どもへの対応に心が動いてしまう自分を認識している。
そういう自分であるから、またその渦の中に身を置くことへの恐れや不安を抱くのだろう。
どれだけ大人と言われる年齢になっても、傷付くのが怖くないわけではない。
しかも、自分が信じてきた「この幼稚園は、それぞれみんな違うけれど、子どもの育ちを見守り、育ちを共有できる場である」という前提は、自分の中で大きく揺らぎ始めてしまっている。
しかし、末娘の「時が満ちた」このタイミングを逃すことはできない。
私は、腹を括った。
結局、人は、何処にいても、自分の在り方でしか、在れないのだ。
末娘と時間を共有するために、経験を奪わないために、幼稚園に行こう。
そして、さらなる子どもの成長を喜ぶ日々を送るのだ。
末娘との二度とは戻らない時間を彼女の世界の端っこで見守っていく。
何を大事にするかが決まれば、もう怖いものはない。
私は、私のスタンスで、そこに在ればいいのだ。
そんなことを思った朝、長男のトランペットから、流れてきた曲が、「いつも何度でも」だった。
美しいメロディーとそのメロディーにのって流れる言葉は、私の心の中の引っ掛かりを見事に溶かしていった。
私の両手はいつでも光を抱ける。
ゼロになった身体で、そこに在るだけでいい。
どんなことが起きても、人はいつか死を迎え、今という時は、いずれ過去のものとなっていくのだ。
悲しみを口にするよりも、変わっていくことを嘆くよりも、同じくちびるで、歌をうたおう。そして、子どもたちとお腹を抱えて笑い合おう。
輝くものは、子どもたちの中に、私の中にある。その輝きを大切にするだけだ。
そう思ったら、今までの〈もやもや〉は、嘘のように晴れ、私の目の前には、雲ひとつない青い空が広がった。
もう、大丈夫。
何があっても、私は大丈夫だ。
子どもたちは、もともと何の心配もない。
彼らの中の輝きを消さないように、その邪魔をしないことが、私のできること。
そして、これから出逢う人たちの中の光を、輝きを、みつけられる日々にしていきたいと思っている。
私は、一見、何の変化もないように見える日常を愛している。
そこには、一瞬たりとも同じことはない。
その一瞬一瞬が積み重なり、ある時一気に大きな変化として現れる、その瞬間を見逃したくないのだ。
子どもたちの成長は、大人の目には、階段を上がるように急激に見えるかもしれないが、それは、階段を上がる瞬間だけが、大人の目に映るからだと思う。
その階段は実は緩やかな坂道であり、子どもたちは、一日一日、一瞬一瞬、その道を進んでいる。私は、その緩やかな歩みを、共にそっと味わいたい。
階段を上がるその前兆を、感じることが、私の喜びのひとつである。
末娘の準備は整った。
そして、ちょっと遅れたが、母の準備も整った。
さぁ、新しい春を味わおうか。
この記事の追記も後日、投稿します。
もう少しお付き合いいただければ、嬉しいです。