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言葉は、頼りなく、儚い。
子どもたちに、「毎日、大好きだよ!と伝えましょう!」と、様々なメディアや本、SNSなどで目にします。日々、それを実践している方は、スゴイな〜と思います。
しかし、どちらかと言えば、私は、こどもたちに「好きだよ」と、言わない方です。
必要ないと思っているわけではなく、「好き」という言葉にしてしまうと、なんだか自分の感じている愛しさから、ちょっと離れてしまうな、と感じるからかもしれません。
「好き」にも、色々ある。
山や森、自然の風景が一色の緑ではなく、様々な色彩が混ざり合っているように人の感情も、ひとつの言葉に収まりきれないと思うのです。
我が家では、子どもたちから、「お母さん、好き」と言われることも、殆ど無ありません。
でも、それでいいなと思っているのです。
男子二人は、そういうことを口にしないので、たまに末娘が、「お母さん、大好き!」と言ったりすると、夫と共に驚きます。性差か?個人差なのか?「好き」と言葉にするのも、ひとつの伝え方ですね。
言葉は、大事。
言葉は、便利。
だけど、感覚のオマケみたいなものでもあるのと思うのです。
ある時、何かの話の流れで、子どもたちに、「これから、あなたたちが、大きくなっていく時に、お母さんのコトを、嫌いとか、イヤだと思ったっていいんだからね〜。それって、多分、普通のことだから。」と話したら、
二男は、「え〜?!お母さんのこと、嫌いになっちゃうなんてイヤだ〜!」と半べそをかき、
ツンデレ長男は、「有り得ない。」と一言で片付け、
末娘は「お母さん大好き〜」とリピートし続ける。
笑っちゃいました。
でも、そういうことは、子どもたちの成長の過程で有り得ると思っているのです。
そして、「子どもたちが、母をどう思うか」ということよりも、「私が、日々の中で、どれくらい子どもたちを尊重できるのか」ということの方が、大切だと思っているのです。
そして、私の在り方から、なにか感じてもらえたら、それが一番嬉しい気がします。
こどもたちも、私自身も、言葉にならない気持ちに、たくさんの色をのせて、自分だけの感情を、とことん味わっていったらいいと思っています。
言葉は、便利。
言葉は、大切。
そして、
言葉は感覚のオマケであり、
言葉は頼りなく、儚い。
でも、人が、言葉で何かを伝えたいと思うのは、自分の感じた様々な色彩を、時間軸のどこかに遺したいと思っているからなのかもしれません。
私もそのひとりです。
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