漫画みたいな毎日。「夏の終わり、秋のはじまり。1」
なかなかゆっくりとPCに向かうことができないまま、8月も終わりを迎えようとしている。
この夏の北海道は、そこそこに暑かったが、去年よりは過ごしやすかったと感じている。そして、賑やかな蝉の声は、すっかり涼しげな蟲の声へと変化し、静かに夏が終わっていくのを全身で感じる。
日中こそ、そこそこの気温上昇であるが、朝夕は空気がひんやりとして、肌寒い。また長い冬がくるのか、と北海道民はちょっぴり憂鬱になり、夏の終わりをめいいっぱい味わおうと躍起になっているかもしれない。
夏とは関係ないけれど、6月2日に人生初の断食をし、夫と共に36日の夫婦ゆる断食を終えた。
その後も、断食することで起きる変化が面白くなってしまって、五日、三日、七日・・・と予定に合わせて断食をしている。予定とは、「美味しいものを食べる予定」だ。家族とであったり、友人とであったり、その予定に合わせて断食するサイクルを考える。どこまでも、美味しいもの最優先。
そのように過ごしつつ、今日で断食を始めてから2ヶ月と28日。今朝の体重は当初より10・6キロ減となった。めでたい。ゆるゆるとやっているので、リバンウンドもまったくない。朝のヨガも身体が少しつづ柔らかくなっている感覚が訪れる。そして半世紀生きてきても、まだまだ変わることができるという体験は、私に希望をもたらした。
身体が軽くなった私は、この夏人生初の一人旅に出た。気分だけ青春18きっぷ。いつも「若いときに一人旅をしておけば良かった!」と思っていたが、オバサンになってからの一人旅。ある意味では安心な一人旅だ。オバサンとして、それなりに貫禄もあるから襲われたりすることもないだろう。
旅の行き先は「大阪」。
大阪はこれまで2度訪れている。いずれも修学旅行だ。中学の修学旅行は京都・大阪・伊勢志摩だった。高校では、京都・奈良・大阪・神戸。私の時代は、関東の学校の修学旅行先は関西がメインだったが、甥と姪に聞いたところ、「沖縄」と!公立高校でも沖縄に行く時代なのね、と遠い目をしてしまった。ちなみに、夫は私立の学校だったので、修学旅行は沖縄だったそうだ。なんとなく不公平感を覚える心の狭い妻である。
大阪への旅は、とあるイベントに当選し、参加するのが目的。飛行機を調べると、早く帰るよりも飛行機が安い日に戻って来たほうがリーズナブルであることが判明し、贅沢にも三泊四日の旅となった。
大阪の街は、活気があり、生命力と躍動感があった。
空港も一瞬、「ここはどこの国?」と思わせるような異国感があり、ターミナルとターミナルの間に鉄道の駅があり、2つ目のターミナルはあとから作ったからこういう動線なのかな?と想像する。空港の中を一回りすると、外国人の方が多く、飛び交う言語も日本語以外。昔、シンガポールやマレーシアを旅した時の空気感を懐かしく思い出していた。
なんでこんな場所にテーブルと椅子が?明らかに通路であるような場所にテーブルと椅子二脚のセットが置かれ、そこでラーメンを黙々と食べている中国人らしき親子。動線とか一切無視したような配置と異国感が混ざっていて、なんだか笑ってしまう。
大阪のなんば駅を利用したのだが、JRだけではなく、たくさんの地下鉄も乗り入れていて、案の定迷子になった。案内所に行って説明も受け、地図も受け取ったが、それでも迷子になった。おかしいぞ、私の方向感覚。
壁や天井にある地下鉄の標識を頼りにして進むが、暫く進むと、標識が視界から消える。あってるのかな?とまた道を引き返す。確認してまた進む。それを繰り返しているうちに目的の地下鉄まで辿り着いた。
東京や札幌では、地下通路も片側通行が暗黙の了解であったりする気がするが、大阪は違っていた、ような気がする・・・。
人が交差している!でも、ぶつからない!
それに感動を覚える。良い塩梅で人が交差しているのだ。親切すぎない標識や看板も、「わからなかったら、誰かに聞けば教えてくれる」という文化なのかもしれない、と数日大阪で過ごし、感じたことだった。
当選したイベントでお会いした大阪の方が、「大阪では、すれ違ったら友達やからね!」とおっしゃっていて、その真偽は置いておくとしても、そういう心持ちが根付いているのだと思うと、動線など関係ないのかもなぁと妙に納得してしまった。
大阪に〈生命の躍動感〉を見出した私の旅は何とも言えない躍動感と共に始まりを告げたのだ。
あ、大阪へのイメージなどなど、あくまで個人の感想です。笑
続く。