漫画みたいな毎日。「続・カワイイは最強である。センスとは、神様からの贈り物。」
先日、koedananafusiさんの最強にカワイイTシャツをご紹介させていただいた。夏の短い北海道で、このキウイ鳥さんのTシャツを二男と末娘が、たくさん着られるといいなぁと思っている。見ているだけでほんわかする、とても可愛いTシャツなのである。
ここまで記事を書いていたところ、可愛いキウイ鳥Tシャツを作られているkoedananafusiさんから、記事を紹介していただきました。読みながら、号泣。こちらこそ、koedananafusiさんの最強に可愛いセンスに触れさせていただき、幸せを分けていただいております。ホントに感謝です。ありがとうございます。何度読んでも、泣いてしまいます・・・。ありがたすぎて。koedananafusiさん~!ありがとうございます。
そして、今日は、〈センス〉について、書いていきたいと思っております。お付き合いくださいませ。
素敵なセンスに触れる度に思うのだ。
可愛い、美しいなどという概念は、ひとそれぞれだろう、ということを。
いつも不思議に思うのだが、その「可愛い」「美しい」「素敵」「好き」と思うポイントとは、いったいどこからやってくるのだろう?
一言でいえば、「センス」ということだろうか。
しかし、センス、とはまた、曖昧で、捉えどころの難しい言葉だといつも思う。
・・・センス。
・・・センスってなんだろう。
でも、人との関係性において、鍵となるのが、センスではないかと思えるのだ。他の人センスと自分のセンスの重なりの機微に喜びを感じたり、違いに戸惑ったり、驚きや新たな発見を見出すものでもある気がする。
過去に、センスというものを、どのように捉えたらいいのだろう、と迷っていた時期があった。
良かれと思って知人が贈ってくれる手作りの洋服や鞄が、尽く私の好みとは違っていたことがあった。贈ってくれる気持ちはありがたい。しかし、それが何回も何回も続くと、知人のセンスを押し付けられているような、被害妄想的な心情にさえなってしまった。そして、自己嫌悪に陥るのだった。
「自分の好みではない」と率直に伝えることは、相手を傷つけることであり、自分のセンスを押し付けることでもあると思えた。オーダーメイドで、お金を支払い、作ってもらうのであれば、自分の求めるものを伝えることは、なんら問題にならない。
その時は、相手を傷付ける事なく、その感覚の違いを伝える術を持たなかった私は、それらを静かに洋服の引き出しの奥にしまった。
相手の置かれている状況を考えると、その時の知人は、作ることそのものが喜びであり、相手が何を好むかという事を考えるよりも、自分の作ったものを誰かにプレゼントする事に最も喜びを感じていたのだと思う。
そんな時に、お世話になっていた小児科の看護師さんとセンスについての話になった。
彼女は、「センスは、神様からの贈り物ですからねぇ。」と言った。
私は納得した。
無宗教だが。
神様からの贈り物であれば、どうこう言っても仕方ないじゃないか。
そこは、不可侵の領域だと思えた。
私は私で、神様からの贈り物を大切にすれば良いし、他の人たちのセンスも神様からの贈り物としたら、それをどうにかしようなどと、考えてはならないものなのだ。
そんな気持ちになった。
無宗教ではあるが、神様の存在とはあらゆるものに宿り、自分の中にも存在するものだと思っている。
私は時に、様々な方向から、神様に説得されたり、救われたりすることが多々ある。神様、ありがとうございます。
そして、最強にカワイイTシャツが届いた後、またまた最強にカワイイ物たちが我が家にやってきた。
友人が作ってくれた羊毛フェルトのマスコットだ。
長男が、卒業文集の題材で「セッケイカワゲラ」について書いたことを知り、セッケイカワゲラを作ってくれたのだ。
末娘には、なんとユニコーン!う~ん、虹色で、可愛く美しい。
そして、シマエナガ、キクイタダキ。友人が、「蜘蛛は苦手だけれど、好きなの」と作ってくれたハエトリグモ。
どれもこれも、可愛く、ほっこりし、丁寧に作られた美しさを感じ、掌にのせ、ずっと見ていたくなる。
理屈ではない、神様からの贈り物である自分のセンスと自分以外の人のセンスがどこか、僅かでも重なった時の喜びは、実は、物凄く根源的な喜びなのかもしれないと思うのだった。
それが、共感であったり、理解し合えるかもしれないという期待であったり、何処かでつながっているという感覚をもたらしている気がする。
「センスとは、物事の微妙な感じをさとる心の動き。微妙な感覚。」
何にしても、私への神様からの贈り物であるセンスは、カワイイに癒やされる。そして、自然の中、言葉、生活の中、人の在り方に美しさを感じた時、一緒に笑える時、それに出逢ったという喜びで満たされる。
noteでも、沢山の方々の彩り豊かなセンスに出逢い、その可愛らしさや、美しさにうっとりする時、お腹を抱えて笑ってしまう時、内側から何かが湧き上がり涙する時、私の中の神様からの贈り物であるセンスは、喜びに包まれている。
皆さんの神様からの贈り物に出逢わせていただいていること、そのものが、神様からの贈り物でもあると感じている。
皆さん、いつもありがとうございます。
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