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漫画みたいな毎日。「蝶の羽根が起こすくらいの弱い風うけて。」

何をしていても、自分は何もしていないような気持ちになる日。
こんな日もある。

私の中で、時にこういうサイクルがやってくる。

人は生活していたら、何かしらしているし、そうやって生活している。
何もしていない、という状況の方が少ないのだろう。

それでも、〈私は、何もしていない〉そんな気持ちになる日がある。

私が目覚めて、布団から起き上がっただけでも、
蝶たちの羽ばたきのように、
世界の何処かに影響を与えているかもしれないと、
勝手に思うことにしてみる。

実際、どうなのかということは置いておいて。

9月もあっという間に半ばに差し掛かろうとしていて、
今週末は、夫と末娘の誕生日だから、ケーキを焼くのだけれど、
同じ誕生日だからケーキはひとつでいいよという夫に、
毎年子どもたちのブーイングが起きるので、ケーキはふたつ焼く。

末娘は苺のショートケーキを希望していて、夫のリクエストはこれからだ。
予想としては、ガトーショコラだろうか、それともチーズケーキだろうか。
今まで作ったことのないケーキをリクエストされたらどうしようか。そのときは、ぶっつけ本番だけれど、まぁ、上手くいかなくても大目にみてもらおうではないか。

兄たちが妹の為に、こっそりそれぞれに誕生日プレゼントを用意しているようだけれど、素知らぬ振りをして、通常営業。

末娘の6歳の誕生日は、どのような一日になるのだろう。

「なんでどんどん大きくなっちゃうんだろう?」

末娘の素朴な疑問。
でも、壮大な疑問。
なんでだろうね。不思議だよね。
時間の流れがそうさせるのか、細胞の問題なのかと考えるけれど、
生まれた時の状態から考えると、ヒトの成長の度合いは、命の不思議を感じずにはいられない。

今年の夏は本当に暑くて、北の大地とは思えない湿度と気温に憂鬱さを覚えた。でも、秋の匂いが漂うようになると、息苦しさすら感じていた夏がちょっと懐かしくさえ思えるのだから、喉元過ぎれば熱さを忘れる、とは本当なのだなと自分のことながら呆れたり、人間の身勝手さみたいなものを感じる。でも、だからこそ、何か困難な出来事があったとしても、なんだかんだいいながら、もがいたり、苦しんだりしながらも、もうダメかもと思いながらも、軌道を微調整しながらやっていけるのかもしれない。

でも、実際は、忘れるのではなく、記憶が変化するのかなと思ったりする。感じ方が〈時間〉というものを通じて変わっていくのかもしれない。その時に受けた刺激の量が変わるというか。そんな感じ。

長男の進路に伴う必要な調べ物や連絡のやりとりをしながら、相変わらずマイペースな長男の姿や、二男の成長を伴う心の複雑さや、幼稚園の存在を忘れているかのように家でゆっくりしている末娘を、それぞれ眺める。

何もしていないと思える、今、この瞬間にも、世界の何処かで、蝶は羽ばたき、風を起こしているに違いない。


そんな想像をして、一瞬だけ、静かに目を閉じる。


今日の気分はスピッツ「聞かせてよ」







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