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漫画みたいな毎日。「今が一番良い時ですね、と言われた時に。」
子どもが産まれてから、見知らぬ人に声を掛けていただく機会が増えたと思う。
道を譲っていただいたり、荷物を持っていただいたり、見知らぬ方々に助けていただく度に、社会や地域の在り方が色々言われているけれど、日本の社会も、まだまだ捨てたものではないよね、と嬉しくなる。
その一方で、いつも疑問に思う言葉がある。
「今が一番、可愛い時ね!」
「今が一番、良い時ですね!」
という言葉だ。
子どもたちが小さい時には、この様に声を掛けられることが多かった。
その度に私の中で、むくむくと違和感が湧き上がってくるのだ。
今が一番なら、あとは、下り坂なのか?
おそらく、声を掛けてくださる方は、自分の子育てをある程度、一段落し、懐かしむ気持ちでそう言っているのだと思う。
懐かしい、小さかった頃の自分の子を愛しむような眼差しで、語りかけてくれる。
そのような温かい眼差しを否定するつもりはなく、自分もいつかそんな気持ちになるのだろうか?と想像してみる。
今のところ、子どもたちに対して「あの頃は、可愛かったのに」というような気持ちを抱く事が全くない。
確かに、子どもたちが小さい頃というのは、その時期特有の可愛さがあると思う。そして、同時に、その時々の大変さがある。
今、成長し、思春期に差し掛かっていく子どもたちとの暮らしは、大きくなった今だからこそ感じられる面白さや、愛しいさや、難しさがある。
どちらが良いとか、どちらの方が大変とか、そういったことではないだろう。
子どもたちは、どんどん成長していく。
成長する子どもの後ろ姿を追いかけるのに忙しく、子どもたちの小さかった時をしみじみと振り返るには、まだ、その流れの中に身を置きすぎているのだろうか。
いつかその流れから外れた時に、流れの真っ只中にいる人たちに、どんな想いを抱くのだろう。
少なくとも、
「今が一番良い時ね!」
「今が一番可愛い時ですね!」
では、ない気がしている。
かつての自分と同じように、大変だったり、愛しかったりする毎日を子どもたちと過ごしている〈同志〉に、ちょっと遠くからエールを送り合う感覚。
そして、心の中で、こんな風に思うのではないかと思う。
「今が一番じゃない。今だけじゃなく、これからも、子どもたちとの日々は、大変過ぎて笑っちゃうことも沢山あるかもしれないけど、めちゃくちゃ面白いはずだから!」
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