漫画みたいな毎日。「おせち料理と私。(前編)」
我が家は、今日も、おせち作りの真っ只中である。
このところのnoteにも、おせち作りにまつわる事柄を書かせていただいているのだが、
〈大変なのに、どうして私はおせち作りを止めないのだろう?〉
このことについても、改めて考えている。
先日、書いたように、おせち作りは、私の記憶の上書き作業でもあるようなのだ。
知らぬうちに私に刷り込まれた、大変だという負担感から、「今年はおせち、作らなくてもいいかな?」と子どもたちに尋ねると、必ず「ええええぇぇ~!」と不満の声が上がる。
その不満の声から、「おせち料理を楽しみにしてくれている人たちがいる」と思い直し、また「じゃあ、作るか。」とやる気のエンジンをかける。
しかし、ふと思う。
私の性質からすると、本当に嫌だったら、誰が何と言おうと、決してやらないし、動かないし、動けないはずだ。
そう考えてみると、子どもたちや夫、家族の為に、という大義名分を掲げ、大変さを我慢して、義務的に作っているというだけでもない気がするのだ。
何故、私は、〈おせち〉を毎年作るのだろうか。
〈あぁ、またこの時期がやってきた!!!!!〉
と、プレッシャーにも近い感覚を抱きながらも、何故、作ることを止めないのだろうか。
大体の思い込みや刷り込みのようなものは、乳児~幼少期の何気ない日常に隠れていることが多いのではないかと、個人的には思っている。
そこで、自分の子どもの頃を振り返える。
私の育った家庭では、おせち料理を作るという習慣がなかった。私の母は、料理が好きではない。食べる事に興味がないのだ。そういったことから、お正月になると、市販のおせちが食卓に並んだ。
味付けの濃い昆布巻きや田作り、固い黒豆
、水飴でベタベタしている甘過ぎる栗きんとん、富士山を型取った羊羹、鮮やか過ぎる色の酢蛸。お魚屋さんで買ってくるお刺身。私は、甘い味付が苦手な子どもだった。おせち料理が並んでも食べたいものがなかった。
紅白なますと、煮しめ、松前漬けだけは、母が手作りし、松前漬けが好きな私は、大きな切れの悪いハサミを使い、スルメイカを細切りすることを手伝った。
おせち料理と言われるものに、どのような品目があり、どのような意味があって、どのように作られるのか、全く知らずに育った。
少し大きくなってから、学校の給食だよりなどで書かれていたり、テレビの料理番組でおせち料理の意味を知った。
私の子ども時代は、手作りの美味しさや「ほっぺたが落ちるほど美味しい!」と思う経験とは、縁遠い場所にあった。
だが、同じ両親に育てられたにも関わらず、グルメ志向の6歳離れている姉のおかげで、色々なお店に食べ歩きに連れて行ってもらい、世間一般に美味しいと言われる物を食べる機会を得た。
姉と二人暮らしを始め、料理に試行錯誤しつつ、作る楽しさも感じていたが、こと〈おせち料理〉となると、話は別だった。
その後、夫と出逢い、結婚前に付き合っていた時、彼の口からこの言葉が出てきた時は、衝撃的だった。
「お節って買うものなの?」
え?違うの?!
「お節、好きだよ。」
お節が好きってどういうこと?!
カルチャーショックだった。結婚は異文化交流と言われるが、正にその時に実感した。彼は、私とは違う世界で育ったのだ、と。
最初は、彼の言葉に、自分の育ちを貶されたと勝手に思い込み、不快感を顕にすることも多々あった。
彼にしてみれば、「自分にとってはあたりまえであったことが、そうではないことがあるのか。」という驚きであっただけで、彼も、カルチャーショックを受けていたのだと思う。
私は、彼に、彼の実家のお節について問い詰めた。いったいどんなお節を食べたら、「お節が好き。」「お節って美味しいよね!」という人に育つのか。そこに興味があった。
栗きんとんだけでなく、白花豆のきんとんもあるそうで、きんとんは2種類。田作り、酢蓮、紅白なます、黒豆、伊達巻、煮干しが巻かれた昆布巻、煮しめ、薄く切った大根に鮭を挟み酢漬けしたもの、のし鶏、数の子・・・すべて手作り。市販品は、紅白かまぼこや折り鶴を型どった羊羹や酢蛸くらいだったようだ。
聞いただけで、美味しそうである。
私の知っている〈おせち料理〉とは、距離が在りすぎた。
夫と付き合っていた時にも、年末年始には、実家に帰省することが半ば義務の様になっていた為、長い間、実家で市販のお節が並ぶのを眺めることとなった。
その後、姉が結婚し、結婚前に夫と暮らし始めたことをきっかけに、私は自分でおせち料理を作ってみよう、と決意し、できるだけ気負うことなく作れそうなレシピ本を探した。シンプルで、料理の基本を抑えている本を。
そこで出会ったのが、有元葉子さんのこちらのレシピ本だった。
今、愛用しているレシピ本は、旧版らしく、今は、こちらの改訂版になっているようだ。
姉と二人暮らしを始めた時も、有元さんのレシピ本には助けられた。
料理が好きではない母のもとで育っているので、人を招いても、何を作ったらよいのか、美味しい家庭料理とは、季節を取り入れる料理とは、どういったものなのか、まったくわからなかったのだ。
私は、料理における完全なる迷子だった。
(後編に続く。)