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すきな人の陰《家族と演劇と、わたしと》
はじめに
「『いやきっと、大して私と変わらんよ?』とは思いつつ、贔屓の人物が他と違って見えるのはごくごく普通のことだよね」ーーこれが本記事の結論だ。
その人のことをもっと知りたくなった時に訪れる、自分でもよくわからない何かに心のスイッチを押される感覚。それは案外、もう記憶には残っていない幼い日の確かな心の引っかかりなのかもしれない。諦め、忍耐、無我夢中……子どもだって生きるのは大変で、その大変さが後々の他者を見つめる視点を形作るのではないか。
冒頭の結論に至るまで「人間の『陰』を作るものは何なのか」という問いを自分にぶつけ、思考した。拙い言葉にはなるが、その経路を今からあなたと一緒に辿っていけたらと思う。
街録《小田切ヒロ》を見て
先日、メイクアップアーティストの小田切ヒロ氏の街録インタビューを見た。YouTubeではいつも豪快で優雅で、まるで冬の晴れた日の太陽光そのものみたいな方。数多あるメイク動画のモデル達はいつも顔のタイプが違った人たちだが、同氏が魔法をかけると必ず皆、表情のどこかに繊細さをのせつつ、十人十色の美しさを目覚めさせる。化粧道具ひとつひとつに宿らせる凄まじいパワーが、原石を磨いてどこから光を当てても輝く結晶にさせるのだと思う。
太陽は最初から太陽だったわけじゃない。何度も生まれ変わって太陽になった。ある時はセミの抜け殻で、またある時はもうすぐ電池が切れてしまう風前の懐中電灯で。人間は死ぬまでに、最低でも1回は生まれ変わるような瞬間が訪れるだろうけど、ヒロ氏はそのターンがきっと他人より多い。しかも1回1回の生まれ変わりに天と地ほどの差がある。数十年単位の激しい浮き沈みを繰り返しながら、やっと今の座に君臨できるようになったのだろう。
実母との別れ、「毒親」の二文字では片付けられないような継母からの心理的虐待、学校でのいじめ、教師の裏切り。誰かが「自分は苦労のフルコンボ」と言っていたのを覚えているが、その更に上をいく“フルコンボのコンプリート”とまで言える苦難の人生。私は驚愕し、「ほんとに本当のことなの?」と正直疑ってしまうくらいだった。世の中には《死んだままでも生きなければいけない》人々がいることを思い知らされ、想像を絶した。
ヒロ氏は、今その時にできることを選んで必死に生きてきた。私のような赤の他人が、どんなに言葉を尽くしても軽々しく聞こえてしまいそうな、最悪の辛い状況に置かれていても。
“ありのまま”の自分でいようなんて叫ばれて久しいが、ありのまま=他者に全てをさらけ出すではないと思う。過去に縛られず、未来を不安がらず、この瞬間の今、自分にとって一番必要なことをやる。ありのままとは、“今ここに在るまま”なのだから。だから、ヒロ氏は唯一無二の美のカリスマになって、雪原を銀世界に変えてしまう女王のような存在に見えるのだろう。
一瞬一瞬を全力で生きていたからこそ、ひとりぼっちのその先に必ず、手を差し伸べてくれる人が現れた。ヒロ氏は人生のターニングポイントでかけがえのない相手と出会っているが、それは何も同氏のように壮絶な生い立ちがある人に限った話ではないと思う。生きていれば誰しも、大小多かれ少なかれの苦労は付き物だ。大事なのは、どんな時も「お天道様は今の私に何を求めているのだろうか」と自分に問いかけて、あまり考えすぎずに動いてみること。ヒロ氏ほどの振れ幅はないとしても、今を生き抜けばあなたなりの変化が待っている。その変化がいずれどんな贈り物をもたらすかなんて、神のみぞ知ることだ。
インタビューの中で、忘れられないエピソードがある。小学生時代、もうどうにも耐えられなくなったヒロ氏は、しんどすぎる家庭環境や、実母にも父にも味方になってもらえない地獄の生い立ちを、ノート一冊分書いてある日担任に渡した。するとなぜか担任はノートに書いてある内容を継母にバラしてしまい、より一層継母の仕打ちが酷くなってしまう。その事実を職員会議で知ったのか、それとも学校での暗く沈んだ様子を察してなのか、ある年配の女性教師が廊下で毎日、何も言わずにヒロ氏をただ抱きしめてくれたという。
この話を聞いた時、ほろっと泣けてしまった。孤独な日々の中で人に包まれる時の温かさ、埃臭いけれど学校でしか嗅ぐことのできない古い匂い、“今晩だけは何とか耐えよう”という子どもながらの誓い、そんなものが一気に、私の体験ではなくヒロ氏の原体験としてぐっと迫ってきた。似た体験が私にはない。なのになぜか、まるで自分の追憶のように感じて、自分を優しい言葉で包みたくなった。「よく頑張ったね」本当に胸を打たれた時は、凡庸な感想しか言えないものである。
ヒロ氏は、人と会った瞬間に「この人は私と同じような経験がある」とピンとくるものがあるという。私はそんな直感が一切働かないタイプの人間だ。それは、“同類者見分けセンサー”を呼び起こすほどのトリガー(例えばヒロ氏なら継母や、実親からの捨てられ体験)が自分にはないからかもしれない。ただ、自分との共通項を見抜くことはなくても、自分とのはっきりとした違いに勘が働く方かもしれない。周りとの温度感の違いというか、放つ空気のきゅっと引き締まった感じというか。何というか「この人、陰が藍色だ」と勝手に気づかされるのだ。この“藍センサー”が発動すれば時すでに遅し。気づいた時には、相手をもっと知りたくなっている自分がいる。
見過ごせなかった“陰”
例えば兼ねてから「この人素敵だな」と眺めている人が、他の複数人と並んでいる時。お正月の過ごし方という家庭的な話題だったせいもあるけれど、その時ふと、彼の今までの発言を思い出し、この人が単独行動を好むのはなぜだろうという疑問が頭から離れなくなった。そして、そういえば他の人にはある“のほほん感”が彼にはあんまりなくて、その代わりに周りをちゃんと見ているというか、痒い所に手が届く“孫の手感”の細やかさがあるなと思った。笑顔がほわんと優しいだけに、ふとした時の精悍な表情とのコントラストが際立つ。
あ、これは陰だ。彼はきっと他の人よりも藍色が濃い。彼も気づかない無意識下に埋もれた何かが、彼の深い陰をつくっている。
私は思い込みが強いタイプだと自認している。だから彼に見つけた陰の正体も、単に私が彼を特別な存在に当てはめたいだけかもしれない。元気いっぱいの人よりも、どことなくアンニュイさを併せ持った人がタイプだから、自分に都合良く彼を見ているだけかもしれない。人間は自分が見たいものしか見ない生き物だから。
と、こんな風に思考にブレーキをかけていたのだが、つい先日彼の話を聞いていたら、どうも私の勘はあながち間違いじゃないかもしれないと思えた。人見知りだけど素直で心がオープンな人間に育ったということは、なんとなくひんやりした中でも温かい存在が近くにいたということ。人には人の育ち方がある。
何となくの陰を感じてすぐに思い出した文章がある。漫画家山岸涼子のインタビューだ。そこには親子関係や愛情の真理が書かれている。山岸氏の代表作『日出処の天子』の主人公、厩戸王子のように愛に飢えて育った人だけでなく、人間皆に共通する掟。正直「それを言っちゃあおしまいよ」と寅さんを登場させたくなる言葉(後述)が記されている。でも、ちっぽけな私たちがこの世の真理を越えるなんて無理だから、山岸氏はやっぱり正しい。
だからこそ、変えられない枠組みの中で自分をどのように変えていくかが大切になるのだと思う。平田オリザ『わかりあえないことから』はそんな位置付けの本だ。平田氏の専門である演劇を題材に、本来あるべきコミュニケーションの形について語られている。人とのつながり方が変わるというのは、かなりの自己改革だ。
山岸氏のインタビューと、この本が対になるとすれば、川上未映子のムック本『ことばのたましいを追い求めて』に散りばめられた言葉は、そのどちらにも寄らない中庸だと感じる。真理に絶望することなく、かといってわかりあうことに固執してもいない。けして吹き飛ばすことはできない“すきな人の陰”の中に、こちら側からも見える部分はある、と教えてくれる。
以下ではこの3文献をもとに、
①私が気になってやまない“陰”の正体とはなんなのか
②どうやったらその陰の向こうに行けるのか
③陰と共存するにはどんな私になれば良いのか
という3つの疑問を紐解いていきたい。いささか文学(ポエム)的になってしまうだろうが、読んでくれているあなたが楽しめるように書いていくつもりだ。
陰の正体《山岸涼子》
見えなくて深い陰。だから怖いし、だけど美しい。その人の生き様が陰を作り、逆に光の部分をくっきりと浮かび上がらせる。どこまでいっても鬱な『日出処の天子』についつい魅了されてしまうのは、山岸氏の生み出した怖いけれど面白い世界に、繊細な美しさが共存しているからだと思う。
子どもの頃から私は怖いと感じるものになぜか惹かれるんですね。
幼少期、私は怖いものに全く魅力を感じたことがなかった。「10時まで起きてたら怖い人来るよ」と父に言われ、なぜか裏玄関からダダが侵入して来るのを想像して、本当に怖がっただけ。
怖いものが嫌いすぎたのはなぜだろう。考えてみると、親子関係が良好で「いつも繋がっている」と安心しきっていたからこそ、自分を脅かすものに慣れていなかったのかもしれない。では、私の逆は?もしかすると、「親子でも他人は他人」をわかるのが早いほど怖いものを受け入れるようになるのかもしれない。そしていずれ、その怖さの中に楽しみを見つけるようになる。大人の目を盗んで悪さするスリルを味わうのは、そこに楽しさがあるからだろう(構って欲しい、目をかけて欲しいの裏返りでもあるけれど……)。
子どもにとってのバレるかバレないかのスリルは、早熟に直結している気がする。つまり、家庭の外に家族のような友情だったり、性的な対象への愛情だったりに結びつきやすいのかな、ということ。これは私(=割と遅くまで甘えっ子だった)の逆の人たちだ。心の奥底では親に甘えたいけれど、甘えたい時に甘えられる環境じゃない人。そんな人は甘えが外(友人、交際相手、学校そのものなど)に向けられるよなと、同級生や色んな人を振り返ってみて思うのです。そしてそれは、「親に頼らない自立した人生を見過ごさないで」という無言のメッセージを、どこからともなく受け取らざるを得ない、ということでもあるでしょう。
「山岸さんの作品にいつも出てくるあの怖いお母さんって何?」って。『日出処』を描いている時さえ自分では「怖い母親」を描いている意識はなかったので驚きました。(中略)親にいじめられたわけではなくて、子どもって大人がなにげなく言ったことや行動からいろんなことを感じて、傷ついたりするものなんですよね。
まだ幼いうちに、親の“ひとりの人間としての怖さ”に気づく子はきっといる。色々な事情で親の人間臭さに気づくことは、人間誰しもあるけれど、それが子ども時代の人もいれば私のように29歳という遅めの時期の人もいる。
ここだけの話、私の母は私が婚約破棄になって苦しんでいる時期、めちゃめちゃ怖かった。般若だった。相手と相手家族への怒りもあるけれど、私に対して「どうして復縁したいなんて思うの??」と。あの時期の母は私が覚えている範囲では今までで一番、人間臭かった。アラサーにしてやっと親も人間なんだと気付かされた。私の気持ちは、話せばきっとわかってもらえると思っていたから。全然通じなかったけど(元婚約者のLINEすら残ってない今となっては、てこでも認めてくれなくて良かったと思える)。あの経験以来、親への甘えの質が変わったと思う。子ども時代を引きずった、全幅の砂糖じょうゆみたいな甘えから、余分な成分が濾過され、リズミカルな天然由来の蜂蜜みたいな甘えに変わった。つまりやっと自立(=頼り頼られる関係)になったんだと思う。
母親なのに、この子を好きだと言えない自分を恥ずかしいとどこかで思っている。だから怖いお母さんなのかと言えば、違うと思うんですよ。意識的ではないのに、結果的にはそういう過ちを犯してしまう、人間のそういう怖さを描きたかった。みんなそうなのだと思うんですよ。特に親子の関係は気づかぬうちにそれぞれの歯車を動かすから身近な分傷つきやすくなる。けれどそこに愛がないわけじゃないのです。
昔愛した人を否が応でも思い出してしまうような容姿、立ち居振る舞い、話し方、ふとした時の表情。そんな風に子どもが育ってしまった時、つまり元パートナーとの“血は裏切らない現象”を認めた時、親は純粋に子を愛せるのだろうか。もし私がその立場だったら、正直辛いかも。だって楽しかったことも辛かったことも思い出してしまうでしょう?いくら自分の血が半分流れているとはいえ。「自分の子が欲しい」よりも「パートナーの子が欲しい」という気持ちが強かった人ほど、辛くなってしまうのではないかと。
だからと言ってこんな人がダメな親だとは思わない。親も子もどちらも悪くないと私は思う。どんな良い親でも、子どもを一度も傷つけずに育てるなんて無理だ。逆もまた然り、子供だって親を傷つけるのだから。ただ、そんなお互いの“無意識での過ち”が後々まで残って、月日が経つにつれてだんだんと疎遠ーーよく言えば程よい距離感になっていくのかなと。でも焦れったいですよね。このパターンってきっとお互い愛はあって、本当ならもっと近づけるはずなのに(という希望的観測は、私が欠けのない家庭で育ったから言えるのだろうか)。
自分を100パーセント受け入れてくれる人などいませんし、望んでもいけない。
「親も人間なんだな」と気づくのは良いことだ。ポジティブな諦め。ただ、何事も諦めずにいつも夢見がちでいるのが子どもの特権だとすれば、この気づきが早ければ早いほど、その人の陰は藍色に色濃くなるのかなと。子どもらしさが落ち着いて、どこか冷めた雰囲気になるのかもしれない。ちなみに、前述の通り私は29歳まで気づけなかったので(笑)この頃やっとターコイズブルーの陰になってきたくらいだと思う。
私があの日見過ごせなかった、彼の陰の正体ーーそれは人間への潔さ、家族との境界線への理解が私よりもずっと早いうちに理解できていたということだったのだと思う。そこに全く愛がないわけではなくて、他者を他者として思いやるからこその、美しい藍色に見えたのかなと。そしてそれは、私が今まで見たことない彼だったから、一瞬怖さがキラリと光ったのかもしれない。
陰の向こうへ《平田オリザ》
相手を想うからこそ言わないでおくことってある。言わなすぎるのも問題だから、その塩梅が難しい。
本当に大事なことは、そして一般社会でもっとも多いのは(中略)「言い出しかねて」「言いあぐねて」といった部分なのではないか。
言ってしまったら相手がどんな反応をするか、どう思うかがわかるから言えない。自分の伝えたことに反対されるかもしれないし、変な奴だと思われるかもしれない。でも、自分の心にしまったままでは、自分と相手の間に広がる陰を越えていくことはできない。思い切ってどこかで、一度関係を壊す覚悟で相手に迫らないと、一生相手を信頼することはできない。
伝えたいけれど、単純に言い方がわからないということもある。言葉にしたら感情的になってしまいそう。逆に表情のない平坦な声になるのも避けたい。結局伝えたいことの半分も伝えられないのではないか。というか、そもそも何を話したいのかもわからない。こんな風に自分を疑い始めれば、開きかけた口は一瞬で固く閉ざされる。これではお互いじっくりと向き合うための対話どころか、何気ない会話すら難しそうだ。
俳優の本当の仕事は、「普段私は他人には話しかけないけれども、話しかけるとしたらどんな自分だろうか」と探ることだ。(中略)私たち演劇人は、ごく短い時間の中で、表面的ではあるかもしれないが、他者とコンテクストを擦りあわせ、イメージを共有することができる。
この本では「親しい者同士のおしゃべり」である「会話」と、「親しい人同士でも、価値観が異なるときに起こるその擦りあわせなど」である「対話」を区別している。そして、元々西洋の文化である近代演劇は対話中心である一方、日常はほとんどが「会話」で、「対話」によって生じる価値観のぶつかり合いを避け「察し合う」のが日本の文化だという。
先ほどの『陰の正体』で述べた、早熟な子どもの場合。親とは小さい頃から一定の距離が保たれるから、友人や兄弟と一緒にいるか、ひとりで過ごす時間が長くなる。そうなると遺伝的に引き継いだ考え方や感じ方がありつつ、親の知らない色々なものを見聞きして触れて、その子独自の価値観が生まれるのだと思う。ならば本来はより一層親との「対話」が必要なのだが、何かしら忙しくしている親の事情・心情を「察して」、自分から身を引くようになる。その蓄積があれば、大人になってから親と対話しようとしても難しいのは当たり前だ。会話が少なくても別におかしくはない。だってその子は昔から、親を察する優しい子だったのだから。
それに比べて私は、親と一緒にいる時間を満喫しまくったので、好きなスポーツや音楽、服の好み、ステレオタイプ的人の見方(例えば「〜地方の人ってこんな人だよね」)まで親の価値観に影響されまくった。特に音楽。“歌詞が美しい昭和の歌”の魅力に気づけたのは、間違いなく親のお陰。だけどその分、“なんとなく良い雰囲気のロック”の世界は未踏のままに(母が好きな洋楽の流れからビートルズは聴いたけれど)、10代の多感な時期を過ごしたのだ。ロックこそ若気の至りに必要なのに、と思うと少しもったいない気はする。だからこそ、大学進学と共に親元を離れたあの時期は、私にとってなくてはならない時期だった。
つまり、親との距離感がもどかしい人も悪いことばかりではないのだ。影響されるものが少ない分、自分の可能性は無限大になる。興味のある世界を、本当の意味で自己選択できるということだ。
でも、それでもやっぱりこのままでは良くないかな、と思うあなた。本当は話しかけた方が良いとわかっていても、なかなかその一歩を踏み出せない。それなら、対話(会話でも良い)する自分を演じてみてはどうだろう。どんなに短い時間でも、取り繕ったような内容でも、言葉が一文字も生まれない世界よりはよっぽど良い。0から1を一回でも生み出してしまえば、後々楽になる。
本当の自分なんてない。私たちは、社会における様々な役割を演じ、その演じている役割の総体が自己を形成している。
親に絶対に話しかけたくなるタイミング。それは親亡き後だと思う。だから例えば、もう二度と親に会えなくなった自分を想像して、話せるとしたら何を話すだろうか、生きてるうちに聞いておきたかったことは何だろうか、と考えてみる。あとはもう、自分で作ったセリフを一番楽な場面で演じるのみ。茶の間でも、一緒に外出しても、電話でも良いと思う。
自然発生する会話や、親への責任感からの対話を自分に求めすぎなくて良いのだ。がっちり設定を作って演じればそれで十分。家族だから自然体でいるのが当たり前ではない。人間に自然体なんてなくて、家庭、仕事、学校、すべての場面で自分を演じているのが人間なのだ。
そして、後述の引用の通り結論も必要ないと思う。“根深い何か”は数回の対話で解決できないからこそ根深いのであって、対話でわかり合うことができればそもそも根深くはなっていない。結論を出すことよりも大事なのは、「いざとなったら親子で話し合えるんだ」という実感ではないか。ちゃんと話を聞いてくれる人がいる、その事実を覚えておくことではないか。
それでも残念なことに、「話し合うべきではなかった」と後悔する人もいるだろう。そんな人はきっともう、無理しなくていい。挑戦して駄目だったのなら、他の居場所に光が見つかるはずだ。
人生には、話しあっても結論の出ないことがたくさんある。話しあう必要のないこともたくさんある。何を話しあい、何はジャンケンで決めていいかを決定できる能力を身につけることが「大人になる」ということだと私は考えている。
陰のとなりで《川上未映子》
いくつもの孤独が層になっているから、私がある状況を書く、ある人間を書くとなったときに、あえて書きたいという意識がなくとも孤独は常にそこにある。
何かを書き終わった時に、そこにある人、ある物語を書いたことが、自分自身とつながる瞬間はありますか?
このnoteの冒頭に書いた結論ーー「『いやきっと、大して私と変わらんよ?』とは思いつつ、贔屓の人物が他と違って見えるのはごくごく普通のことだよね」。
“贔屓の人物が他と違って見える”ことについては、生い立ちや対話という視点から長々と述べてきたつもりだ。なのでここでは、残りの“いやきっと、大して私と変わらんよ”と“ごくごく普通”についてさらっと述べたい。特にこの部分は私的な言葉になる。だから長々と書かず、シンプルに。部屋の両側の窓を開けた瞬間、風が通り抜けるような感じで。私にとっての川上未映子は風でもあるし。めちゃめちゃ強風の日もあれば、吹かない日は全く吹かない。そういう存在なのだ。
好きな人に陰を感じるのは、その陰に私自身を見つけるからだと思う。どんなに自分の陰とは違って見えても、よーく分け入ってみれば案外、違うところだけではない。全く同じ成分ではないが、それに近いものは自分の中に隠されているものだ。
2歳頃、弟が生まれた時の話なので忘れていて当然なのだが、実は私にも少しだけ寂しい思い出があったようだ。でもそれはしょうがない話なのだ。うちには家業があるから。ただ、母にとってはその時の私の表情が忘れられないらしい。怒りもせず泣きもせず「無」だったのだから、心配にもなると思う。
覚えていなくても、どんなに遠く過ぎ去っても、おそらく孤独だったという事実は消えない。人生はそんな独りの時間の積み重ねなのだろう。そのままずっと思い出そうともせず、ただ過ぎ去ったままにして元気溌剌に生きるも良し。私のように、人生のどこかの段階で孤独としっかり向き合うも良し。後者は暗くてしんどそうだ。確かにそうだが、でもそれだけではない。他人の孤独に敏感になれる、つまり大事な人の陰に気づけるようになるのだ。懐の深い、素敵な大人になれるのだ。
好きな人の陰に自分の陰を見つけるというのは、恋だとしても変ではない。相手のことをもっと知りたいと思うからこそ、突然の陰との出会いに戸惑って、ああでもないこうでもないと考え続けて、自分なりの答えを出す。このステップを登ることができれば、気持ちは深く、澄んでいく。
陰の向こう側になんかいけない、何かを伝える自信はない。そういうあなたは、ただ黙って陰の隣にいればいい。物理的に隣にいなくたって、心を隣に置いておくことはできる。静かに見守られることを望んでいる時だって、きっとある。それはあなたが何もできないのではない。「寄り添う」ことができているのだ。
さいごに
noteのタイトルに平仮名をまじえたのは、意味がある。「好きな人」とすればなんとなく恋愛色が強くなり、「私」とすれば私=スナめり子自身の色味が濃くなりそうな気がしたのだ。恋愛だけではない大事な人との関係に、読者自身が当てはめながら読んでほしいと思った。平仮名には誰にとっても身近で普遍の、懐の広さがあると思う。
一見バラバラな3冊をまとめ上げるなんてできる気がしなかったから、最後まで書ききることができて本当に嬉しい。私が本達をまとめたのではなく、この本達は私に気づかれるずっと前からつながっていたのだ。
これからも、“見えないつながりを見つける”ことができる書き手として、天真爛漫に世界を眺めていたい。