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若すぎる推しができた【事実婚②】

できちゃった、推しが。デキ推し。
干支一回りくらい年のはなれた従姉妹と同学年、その事実に頭を抱える。
犯罪おばさんの爆誕である。

20代前半から中盤にかけて、とあるアイドルにのめり込んでいた私。
もう二度と推しはできないだろうと高を括っていた。
油断大敵。「勝つと思うな、思えば負けよ」座右の銘が骨身に染みる。

推しがいる生活は、いつでもどこでも自分の桃源郷が作れるから幸せだと思う。仕事が辛くても人間関係に疲れても脳内ハッピー。「あなたはあなたのままで良い。そのままのあなたが僕(私)を応援してくれることに価値がある」あの頃の生活を振り返った今、“推し文化”の本質ってこれなんじゃないかと思う。

推しが自分を成長させてくれるなんて、まやかしだ(この話はいつかどこかで書けたらいい)。

何でもそうだけど物事には良い面も悪い面もあるわけで。推しができた時の悪いこと。私の場合、「どうせ彼女いるんだろうな〜」と軽く受け止めようとしても実はメンタルに影響が出てしまう。推しの彼女の存在は自分の生活にはこれっぽっちも関係ないのに、このちんまりとした寂しさが尾を引いてしまうのだ。

「プライベートは本人の意思に任せています」が定石とはいえ、アイドルは事務所というガードに安心してしまう(安心しすぎている頃に匂わせが発覚するのも定石)。でもスポーツ選手って……無防備からの早婚!!(←あくまで私の主観的感想です)

彼が結婚する頃には、私も事実婚していたいなぁと思う土曜日の朝だった。


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余談はここまでにして、ここからは前回の続きです。

「事実婚は自立(=成熟)した女性にとって必要な、濃密なパートナーシップである」本を何冊か読んで自分なりに考えたこのことについて、3つに分解して説明している。

今回は「②自立(=成熟)した女性になる前の未熟な時期であればあるほど、事実婚について学ぶべきだ」について(①と③を知りたい方は前回のnoteを)。

単純に「自立」と書けば良いものを、わざわざ「(=成熟)」を付けているところにめんどくさい性格が出ている。これには「自立ももちろん大事だけれど難しいことだから、成熟でもOKよ!」という意味を込めた。

自立とは文字どおり自分の足で立つこと。親や家族に頼らなくても、経済的にも精神的にも自分の力で生きていける状態を言うことが多い。

でも実際、ハタチ越えて30歳、40歳……と歳を重ね、いわゆる“いい大人”になっても、本当の意味で自立している人なんているだろうか。例えば最初の方で述べた、推しがいる人々というのは推しを支えにして生きている(依存してる人だって少なくない)。

週5で顔を合わせる上司。会社で上役になればなるほど自分の権限で動いているように見える。でもそんな人も、自分の労働力を会社に与えると同時に平社員よりも大きな対価を貰い、自分の人生にとって会社がなくてはならないお守りみたいな存在になっているだろう。

極端な話になるが、農業も漁業もできない私はスーパーがないと生きていけないし、マッサージの店員さんに話を聞いてもらった後の爽快さが今や欠かせないものにもなっている。

こんな風に人間は皆何かしら、誰かしらを頼りにしながら生きている。では、子どもと大人の違いが自立しているかしていないかではないのだとしたら、どうなれば大人になったと言えるのか。私はそれが「成熟」だと思う。

成熟の意味を調べてみると、こう書いてあった。

(くだものや穀物の実が)十分に実ること。(人間の体や心が)十分に成長すること。

Oxford Languages

自立は「他者のお金や生活力がなくても」「他者を心の拠り所にしなくても」と、自分以外の人間との関係によって語られるものだと思う。一方成熟はどうかというと「自分の十分な成長」。シンプルにこれだ。親密な他者のことを考えなくても成立するから、誰もが達成しやすいのが成熟ではないか。

成熟すると、仕事や結婚、その他人生にまつわる色々なことの方向が決めやすくなる。自然と決まるようになる、という言い方が正しいかもしれない。

つまり、するすると快適に進んでいくには成熟が必要なのだ。でもその成熟に行き着くまでには、誰かに促されてではなく能動的に動くことが欠かせなくなる。ただ、好きなことも嫌いなことも何でもやってみよう、というのは間違いだ。その人それぞれに合ったやり方がある。自分に合うことだけ思う存分やるだけでも、人の生き方は大きく進んでいく(=推し活とは区別したいところだが)。

私の場合、外に出会いを求めて動くことはほぼない。なぜならそれが好きじゃないから。その代わり、noteを書いたり本を読んだり、誰に見せるわけでもないメイクをしたりすることを優先し始めて生きやすくなった。限りある時間の中で、毎日がするする〜っと進む感覚は、成熟に向かっている証なのかなと思えるようになっている。

成熟を待たない。自ら掴みに行く。
書くことで心も頭も整理し、今まで知らなかったことを読書から学び、外見をなるべく綺麗にしようとする。まだまだ未熟な私に、この能動的な動きはかなりの効き目だ。

特に事実婚という、今まで知ろうとしなかった世界を知るというのは抜群の効果をもたらしている。これまで事実婚が頭をよぎったことはあったが、「事実婚=子どもなし夫婦」「子どもをもつには結婚しなきゃ」というイメージが強すぎてろくに調べようともしなかった。あの時ちゃんと調べていれば……元婚約者とまた違った形で苦楽を共にできたかもしれない、今でもそう考えてしまう。

「結婚を考える女性たち全員には、私のような思いをさせたくない。こんな悲しみは私だけで十分だ」心の奥底に眠っていたこんな使命感と向き合えるようになってから、気負うことなく楽に生きられている。

未熟であればあるほど、「嫁」という言葉の意味を深く考えてほしい。
未熟であればあるほど、彼と結婚したい理由をよくよく考えてほしい。
未熟であればあるほど、色々な家族の形があることを知ってほしい。

悲しみは深かった。でも、気づけた。入籍しなくて良かったとつくづく思う。だからあなたに知ってほしい。事実婚について。

家族の形は多かれ少なかれオーダーメイド。特に、毎日必ず一人の時間がほしいあなたと、動物と暮らす方が向いているかもしれない彼が愛し合っているのなら、世間一般の夫婦の形に自分たちを当てはめてはいけない。

「明日金曜日だね、父ちゃん来るの楽しみだね」そんな家族も幸せなのだ。




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