見出し画像

障害と健常のあいだに

いつだったか元看護師の伯母が「人間みんな、脳の偏りはあってよくよく検査とかしたら、みんなどれかの発達障害っぽさに当てはまる」みたいなことを言っていた。母からすると昔から、超しっかり者で気の強い姉だったらしいが、人間を見つめる視点には一歩引いた落ち着きがあると思った。

そういえば、まだ20代前半の頃に友人とも似たような話をした。「私はADHD寄りなんだよね」と友人は言い、「どちらかと言うと私は自閉寄りの方かな」と私は言った。そして先日、また同じ友人と同じ話をしたのだが、彼女の中で自分の不注意だとか忘れっぽさが深刻になっているらしかった。「診断受けてないけど私絶対そうだ」ときっぱり言うその根拠は、子育てで忙しいというバックボーンがあるからこその物とも思うし、逆に子育てをするようになったからこそ自分の「あれ?」という部分が今までよりもくっきりしてきたのだろうとも思う。

うん、まぁ確かに言われてみれば昔から、周りとなんとなく違う雰囲気はあったけれど、その違う部分を私は言語化できないでいる。旧友というとお互いのことを知り尽くしているように聞こえる間柄だが、本当はよく知らないままなのかもしれない。ふわっとしたベールに包んでおいて、再会する時だけ解いてみるみたいな。

唯一言えるとしたら、凄く向いてそう!と個人的に思っていた仕事をわりとすぐ辞めてしまったこと。「向いてないんだよね」と言っていたのは単に嫌だったから、しんどかったから、の意味も込められているかもしれないけど、本当に向いていなかったんだと思う。頭の回転が早い女性が手に職をつけるとしたら?の代表格。不注意は絶対許されないし、いくつもの重要ポイントを忘れないでいなきゃ仕事にならない人達だから。

正直辞めるのはもったいないなぁと、当時の私は思った。それでも彼女が今幸せに生きているのなら、良い選択だったのだろう。曇り空をぶった切って無理やり快晴にするような英断だったのだ。


さて一方、私はというと。朝起きてから出勤するまで、退勤してから夜寝るまでのルーティンが大体決まっている。もちろんその時々で柔軟に変わるが、「思い立ったから起きてすぐあれをやりたい」みたいなことはほぼない。特に金曜日の“ご褒美ルーティン”はなるべく崩さない。多少時間が遅くなっても美味しいご飯を作りたいし、お酒飲んでお菓子も食べたい。旅行や帰省の前泊をする金曜を除き、これをやらないと私の金曜日はずっと来ないままだ。

ある程度、先々の予定を決めておきたい。今週末にはこれがある、逆に今週末は何もない、がわかっていると安心だ。急に楽しい予定が入るのも好きなのだが、前もって知っておく分には何ヶ月先のことでもありがたい。例えば、搭乗日すら確定していない5月の飛行機。本音を言うと予約してしまいたい(誰かを急かすつもりはないのだよ)。6月に本州の友人が遊びに来る日にちだってもう決めても大丈夫だ。1年後の予定が決まっていたとしても窮屈さは感じない。

音に敏感だし、眩しいのも割と苦手だ。今はだいぶ慣れて気にならなくなったが、以前は電話中、周囲の会話が気になって上手く聞き取れなかった。ほんの小さな騒音でも眠るまで時間がかかったり、打ち上げ花火が怖かったりする(もちろん眠れるし、綺麗だな〜たまや〜ともなるのだが)。天気が良い日のお日様が目に染みて、しわしわの梅干しみたいな顔になる。西日が降り注ぐ時間帯、車の運転は窓に下ろすやつ(名前なんだったっけ)が必須。

ルーティン化が得意、見通しがあると動ける、感覚が敏感(鈍感)……。これら全て自閉スペクトラム症の特徴だ。私くらいのほんの小さな困り感は障害ではなく、いわゆる健常者。我慢するのに相当な努力なんて必要なく、経験によって学習し、環境に慣れることで問題なく生活ができる。ただこうして振り返ってみると、やはり私の“脳の傾向”はどちらかと言うと自閉“的”だなと思う。今の仕事を通して自閉“症”の人たちをもっと理解したい、そんな思いも実は、相手が自分に重なる部分があるからなのかもしれない。

スペクトラム=連続帯、の言葉が示す通り、発達障害があるのかないのかの線引きは難しい。また、発達障害の3種類であるADHD(注意欠如・多動性障害)・LD(学習障害)・ASD(自閉スペクトラム症)の線引きも難しく、複数の種類にまたがる人もいれば、どの種類にも当てはまらないけれど「なんとなく気になる子」という事例も少なくない。

連続帯の端っこに位置するような方(比較的重度の方)はもちろんいる。ただ、“ここからは障害でこっちはそうじゃない”の境目はあってないようなものなのだ。世の中の便宜上グレーゾーンと呼ばれているけれど、そのグレーの中にも濃淡はある。


本来はそんなにもはっきりしないグラデーションなのに、障害のある方は明らかに困りながら生活している。それは社会が決まりきった枠組みの中で回っているからだ。組織やルールといった枠組みがないと、一切の物事は成り立たなくなってしまう。自閉症の方だって、スケジュールや作業のシステムが整えられることで力を発揮できる。問題なのは、それが目に見えないし聞こえないこと。そして、柔軟に変えようと思えば変えられるはずの基準や枠組みでも、それを越えられない人々がいることを視野に入れていないこと。そういった、今まで途方もない長い年月をかけて培われてきた人類の慣習は、それにそぐわない人のことを考えて作られていないし、案外健常者だってどうでも良い慣習に苦しめられる時がある。

障害と健常のあいだには、いつもわかりあえない何かがある。障害者から見る健常者も、健常者から見る障害者も、遥か遠くの彼方にいて突き抜けるような深い色をしていてよく見えないし、聞こえない。時々色が薄くなり、気流を感じ、気づいたら星が見えることもあって、移ろっていって掴めない。

でも、そのわからない何かをわからないままにするのではなく、丁寧に解きほぐすのが私たち福祉の支援職だと思う。例えて言うなら雨、というか水。風は見えないけれど水は見え、形を変えることができる。相手に合わせて手を替え品を替え、翻訳する。今の私は情けないことに、自分の仕事についてこんな抽象的なことしか書けない。もっと具体化するのはまた後日になってしまうからこそ、今はただ、流れる水のイメージを心に持っていようと思う。他の誰でもなく支援職こそが、枠組みを強化してしまうことだってあるのだから。


お気づきかもしれないが、このnoteは中島みゆき/空と君のあいだに、から着想を得ている。『君が笑ってくれるなら 僕は悪にでもなる』なんて覚悟、私にはない。それでも利用者や、私に関わるみんなが笑ってくれるとすごく嬉しいから、もっと深みのあること・面白いことをやりたいと思ってしまう。

そういえば、母の気持ちが理解できなくなった時期に、絢香がカバーした同曲を聴いて泣いてしまったことがある。みゆきは母にならなかったけど、絢香は母になった。原曲に忠実なカバーを好むのに、原曲の意味を越える迫力の歌声が、傷心に優しく突き刺さったのだろう。そうか、彼女は母になって守るべきものができて、見えないけれど確かにある境目を、悠々と越えていったのだなと思った。

ちなみに昨今は、障害者の“害”の表記を、“がい”にしている文面が増えている。この漢字のもつマイナスなイメージを、当事者たち自身に結びつけてしまうからだろう。でも、それは違う。あくまで害を受けているのは社会ではなくて、障害者だ。社会が障害者に害を与えているのだ。陸上競技にもあるように、走っていく(歩いていく)ためのハードルが、健常者よりも多かったり高かったりする人々なのだ。私はそう考えるので、流行りには乗らずに漢字表記を用いることとした。漢字か平仮名か?なんてことよりも、もっと話し合うべきこと・目を向けるべき障害があるでしょう?という提案も込めて。

いいなと思ったら応援しよう!